礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

賜はりし蘭の一花散りにけり(吉田貞子)

2022-10-01 00:36:30 | コラムと名言

◎賜はりし蘭の一花散りにけり(吉田貞子)

 岡義武の『山県有朋――明治日本の象徴』という本について、もう少し、述べてみたい。
 岡義武の『山県有朋』(岩波新書、一九五八)は、『復刻 史疑 幻の家康論』(批評社、一九九四年五月)を執筆していた時に熟読した。『復刻 史疑 幻の家康論』は、村岡素一郎の『史疑 徳川家康事蹟』(民友社、一九〇二)を復刻し、これに長めの「解説」を付した本である。明治後期に出た徳川家康論について論じているうちに、明治大正の元勲・山県有朋について調べる必要が生じたのである。その経緯については、いま説明を省く。
 昨日の記事でも触れたが、山県有朋は一九二二年(大正一一)二月一日に亡くなり、同月九日に、日比谷公園で「国葬」が営まれた。
 その国葬の模様について、岡義武『山県有朋』は、次のように記している。

 一月末に、山県の病状はまったく険悪となった。三一日には小田原にも雪が降った。山県は病床からそれを眺めながら、「雪が降って寒いだろう」と傍の医師に眩いた。翌二月一日には、まったく危篤に陥った。天皇・皇后から贈られた枕頭の鉢植の蘭の花がこの日音もなく散ったとき、妻貞子は「賜はりし蘭の一花散りにけり君のみたまも去らんとすらん」と詠じた。午後一時、山県は死去した
 山県が危篤に陥ると、特旨をもって従一位に叙せられ、また外孫有光に祖父の功労をもって男爵が授けられた。二月三日、国葬の御沙汰あり、七日に天皇からは勅使をもって誄詞【るいし】が贈られた。それにいう、「忠純志ヲ奮ヒテ大業ヲ維新ニ賛【たす】ケ、厳正朝ニ立チテ洪謨【こうぼ】ヲ草創ニ翊【たす】ク。功ヲ陸軍ノ宏制ニ致シ、既ニ武ニシテ且ツ文ナリ。力ヲ自治ノ良規ニ竭【つく】シ、出テテハ将、入リテハ相【そう】タリ。勤誠久シク著【あらわ】ル。維【こ】レ国ノ元勲、位望竝ニ隆ク、時ノ碩老ト為ス。股肱【ここう】是レ頼リ匡輔是レ須【ま】チシニ、今ヤ溘亡【こうぼう】ス。曷【なん】ゾ畛悼ニ任【た】ヘム。茲ニ侍臣ヲ遣シ賻【ふ】ヲ齎シテ臨ミ弔セシメ、以テ哀寵ヲ昭【あきらか】ニス」。
 二月九日、葬儀は国葬をもって日比谷公園で取り行われた。当日午前一〇時品川沖に碇泊した軍艦から一九発の弔砲が轟くとともに、文武の高官の参列の下に葬儀が挙行された。しかし、不参者の数は相当に多く、場内は寂しかった。これより約一カ月前に、大隈重信が残したが、そのときは、同じこの日比谷公園でいわゆる国民葬が行われて、雑沓、盛大をきわめた。これは、大隈が当時「民衆政治家」と称せられて世上一般の間に一種の人気をもっていたことの現われであった。国葬翌日の『東京日々新聞』は、「大隈侯は国民葬。きのふは〈民〉抜きの〈国葬〉で幄舎【あくしや】の中はガランドウの寂しさ」という見出しを附して、次のように述べている、「議会でも協賛した国葬だのに、この淋しさ、つめたさは一体どうした事だ」。幄舎内は「上下両院議員はホンの数へるばかり、実業家の顔は松方五郎君位のもので、他は見かけない。一番端の東京都名誉職の席も空々寂々て、武と文の大粒なところと軍人の群で、国葬らしい気分は少しもせず、全く官葬か軍葬の観がある」。また、諸新聞は、次のように報じている。山県の棺が、一旦安置されていた麹町永田町の大蔵大臣官邸を出て日比谷公園の葬場へむかう途中、沿道には弔旗を掲げた家は少く、掲げてあるとかえって目につく位であった。また国葬というのに民衆の中には喪章をつけているものはほとんどなかった。
 山県の遺骸は、小石川護国寺に葬られた。そして、枢密院議長元帥陸軍大将従一位〈ジュイチイ〉大勲位功一級公爵山県有朋之墓という墓柱がその上に建てられた。明治から大正にかけて、そして、ことに伊藤博文の死後わが国の政界に正に君臨したといってよい山県がその位〈クライ〉人臣をきわめたことを、この墓柱の文字は示している。〈一九二~一九四ページ〉

 文章中に、「妻貞子」とあるが、吉田貞子のことである。吉田貞子は、夫人・友子の死後、事実上の夫人となった人だが、入籍はしていないという(ウィキペディア「山県有朋」)。
 大隈重信が亡くなったのは、一九二二年(大正一一)一月一〇日のことだった。同月一七日、日比谷公園で、その「国民葬」が挙行されたが、そこには三〇万人の民衆が押しかけたという(本年九月二二日の佐賀新聞電子版による)。山県有朋の「国葬」が挙行されたのは、奇しくも、その翌月のことだった。その「国葬」には、どのくらいの人々が参列したのだろうか。岡義武の『山県有朋』は、その「数」を記していない。

*このブログの人気記事 2022・10・1(8・9位になぜか清水幾太郎)

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