礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

憲法改正といふ形式の下に国民主権主義を成文化する(宮沢義俊)

2022-12-10 03:42:48 | コラムと名言

◎憲法改正といふ形式の下に国民主権主義を成文化する(宮沢義俊)

 宮沢義俊の論考「八月革命と国民主権主義」の紹介に戻る。本日は、その五回目(最後)。

    *    *    *
 八月革命によつて日本の政治の根本建前は神権主義から国民主権主義に変つた。もとより憲法は形式的には少しも変つてゐない。天皇制も形式的には八月以前と少しも変るところはない。しかし、その根本建前は全く変つてしまつた。このことを注目しなくてはならぬ。
 今年元旦の詔書で天皇は御自身現御神〈アラミカミ〉でない旨を言明せられ、自らの神性乃至神格を否定せられた。このことも右にのべられた八月革命を前提としてのみ理解できる。そこで神権主義が否定せられたから、かやうな詔書が発せられたのである。もし、八月の革命がなかつたとしたら、かやうな詔書は到底発せられ得ぬ筈である。
 このたびの政府の憲法改正草案が国民主権主義を根本建前として規定しようとするのも、八月革命を前提としてのみ説明できることである。すでにそこで日本の政治の根本建前として神権主義が否定せられ、国民主権主義が採用せられてゐるから、いま憲法改正といふ形式の下に国民主権主義を成文化することが許されるのである。もし、八月革命でさういふ変革が行はれてゐないとすれば、単なる憲法改正の手続でさういふ根本建前の変革を定めることが許されぬことはさきにのべられた如くである。
 かやうに考へると、我々が好むと好まぬとにかかはらず、神権主義はすでに廃棄せられ、日本の政治の根本建前として国民主権主義がすでに承認せられてゐるのであるから、政府の憲法改正草案が国民主権主義をその建前としてゐることはきはめて当然だといふことになる。いまや、問題は国民主権主義を日本の政治の根本建前としてみとめるのがいいかどうかではなくて、国民主権主義といふ原理を憲法の中で表明するのが適当かどうか、また表明するのが適当だとすれば、どういふ言葉で表明するがいいか、といふにある。そして、この意味で政府草案に対しては多くの批判が為され得よう。
 勿論、問題をもつと掘下げて、国民主権主義をみとめるのがいいかどうか問題とすることもできる。ただ、さきにものべたやうに、八月革命でとにかく国民主権主義は一応承認せられたと見なくてはならぬから、ここで国民主権主義否なりと主張することは、昨年の八月革命そのものを否定する新たな革命を主張するにほかならぬといふことを忘れてはいけない。
    *    *    *
 政府の憲法改正草案が発表せられた後で、「タイム」誌は“We the mimics‥”といふ見出しでこれを評し、日本人の模倣的頭脳がこのアメリカ式憲法草案を生んだと皮肉つた。“We the mimics‥”(我ら模倣者は‥)とはまさにわれわれ日本人の骨を刺す痛烈な皮肉である。
 政府案が国民主権主義を採用したのは決して単なるアメリカの模倣ではない。しかし、その表現や、そのほかの草案の規定には模倣と評せられ得るものがきはめて多い。これらの点は十分再検討せらるべきものと信ずる。
 民主政治は決して単なる模倣によつて建設せられ得るものではない。「我ら合衆国人民は」の真似をして「日本国民は」といつて見たところで、「人民の、人民による、人民のための政治」の真似をして「其の権威は之を国民に承け、其の権力は国民の代表者之を行使し、其の利益は国民之を享有すべき」国政といつて見たところで、それだけでは“We the mimics‥”と冷笑されるのが関の山である。政府案の審議にあたる議員諸公はこの点をよく弁へて、真に自主的な民主憲法を確立させるためには遺漏なきを期してもらひたい。〈七〇~七一ページ〉

 本日、紹介した部分で、最も注目すべきは、「すでにそこで日本の政治の根本建前として神権主義が否定せられ、国民主権主義が採用せられてゐるから、いま憲法改正といふ形式の下に国民主権主義を成文化することが許されるのである。」という一文であろう。すでに「変革」がなされているのであるから、憲法改正は「形式」にすぎない、と宮沢は言う。その「憲法改正の手続」の妥当性という問題は、あえて争うまでもないという趣旨であろう。これは、かなり大胆な発言だと言わざるをえない。
 最後のところで、“We the mimics‥”が、三回、引用されている。原文では、mimicsが、いずれも、minicsと誤記(誤植)されていたので、訂正しておいた。
『世界文化』第一巻第四号から、美濃部達吉および宮沢義俊の論考を紹介してきたが、このあとは、同誌同号の「巻頭言」を紹介したい。さらにそのあとは、美濃部・宮沢の両憲法学者について、若干の補足をおこないたいと思っている。ただし、明日は、いったん、話題を変える。

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