礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ポツダム宣言受諾で帝国憲法73条は失効(美濃部達吉)

2022-12-02 04:36:54 | コラムと名言

◎ポツダム宣言受諾で帝国憲法73条は失効(美濃部達吉)

 五、六年前、所用で京都を訪れた際、寺町通りにあった古書店・梁山泊(りょうざんはく)に立ち寄り、何冊か、珍しい本を入手した。
『世界文化』第一巻第四号〔新憲法問題特輯〕(一九四六年五月)は、その内の一冊である。同誌同号は、宮沢俊義の「八月革命と国民主権主義」という論考が掲載されていることで知られているが、そのほかにも、美濃部達吉、浅井清、尾高朝雄、嘉治隆一という面々が、新憲法をテーマとした論考を寄せている。
 これらの論考を読んで、最も関心を持ったのは、美濃部達吉が、「憲法改正の基本問題」と題された論考において、ポツダム宣言を日本が受諾した結果、大日本帝国憲法の第七三条は効力を失ったと説いていることだった。このことは、同論考を読んで、初めて知った。なお、当ブログでは、柳瀬良幹の文章を通して、美濃部のその説は、すでに紹介している(「日本国憲法は日本国民が制定した民定憲法(美濃部達吉)」2022・7・8)。
 本日以降、当ブログでは、美濃部達吉の同論考を、何回かに分けて紹介してみる。なお、『世界文化』は、戦後の一時期、日本電報通信社(今日の「電通」)から発行されていた月刊誌である。

 憲 法 改 正 の 基 本 問 題   美濃部 達吉
 
    
 憲法の改正に関して第一に考慮せられねばならぬ問題は、其の改正の手続を如何にすべきかに在る。
 憲法改正の手続に付いては、憲法第七十三条に『将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ』とあり、又枢密院官制第六条には枢密院に諮詢せらるべき事項の一として『帝国憲法ノ条項ニ関スル草案』が規定せられて居る。此等の規定が有効である限り、憲法の改正に関しては、其の草案は政府に於いて之を作成し、勅裁を得て枢密院に御諮詢になつた上、更に勅命に依り帝国議会に提出せられ、議会各院に於いて各々出席議員三分の二以上の出席と出席議員三分の二以上の多数を得て改正の議決を為し、それが御裁可を得て公布せらるることに依つて行はるべきものであることは明瞭である。議案の提出権が専ら勅命に留保せられ、議会両院には全く其の初案権が無いのであるから、両院の議員は政府の原案に対する修正発議の権も自由でないことは勿論で、多くの学者は議院には全然修正権なく、単に政府の原案に対し可否を決するのみに止まるものと解して居り、仮りに此の説を非とし議院に修正発議の権が有るといふ説を取るとしても、其の修正は唯、政府の原案中の或る条項を削除し又は之を変更することの外には出づることを得ないもので、原案中に含まれない別箇の事項に付き新に改正を発議することを得ないことは、更に疑を容れない所である。
 憲法の改正に関して令日まで政府の取つて来た態度は、以上の如き見解を基礎として居るものの如く、改正草案の作成に関して、専ら政府のみの手に依つて之を実行し、其の原案は既に完成したかの如くに伝へられて居る。追て枢密院に諮詢せられた上、次の議会に提出せらるる運びに予定せられて居ることと思はれる。 
 憲法の規定の上から言へば、憲法の改正に関して政府が斯かる態度を取つて居ることは、勿論当然と為さねばならぬ。併しながら、憲法改正の手続に関する憲法第七十三条の規定は、果して現在に於いても其の侭有効に存続して居るものと解すべきであらうか。私は此の点に付き頗る〈スコブル〉疑なきを得ない。
 それは何故かと言へば、我が政府の受諾したポツダム共同宣言及び之に基づく連合国政府の覚書には、我が政府の最終の形体言ひ換ふれば将来改正せらるべき我が国憲法は、自由に表明せられた国民の意思に依つて決定せらるべきことを宣言して居るからである。此の宣言は我が国に対し絶対の拘束力を有するもので、若し憲法の規定の中に之と牴触するものが有れば、其の牴触する限度に於いて当然に其の効力を失つたものと解せねばならぬ。而も憲法第七十三条の規定は、憲法改正の発案権を専ら勅命にのみ留保し、其の提案に対し議会は自由の修正権をも有しないものとして居るに於いて、明らかに右の宣言とは相牴触するもので、斯かる憲法改正の手続に依つては、其の改正が自由に表明せられた国民の意思に依つて決定せられたものと謂ひ得ないことは勿論であり、随つてそれ〔憲法第七十三条〕は形式的には未だ改正せられず元の侭に存置せられて居るとしてもポツダム宣言受諾の結果として、当然に効力を失つたものと解すべきであらう。
 之を政府の発表に係る改正草案要網〔一九四六年三月六日発表〕に就いて見ても、其の前文に於いて、『日本国民ハ国会ニ於ケル正当ニ選挙セラレタル代表者ヲ通ジテ行動シ‥‥此ノ憲法ヲ制定確立シ』と曰つて居るのは、右ポツダム宣言の趣旨に従つたことを表明せんとしたものであらうが、政府のみの手に依り尊断を以て起草せられた原案に於いて、国民が之を制定した旨を言明して居るのは、虚偽の感なきみ得ない。勿論それが確定するには議会の議決を経ねばならぬのであるが、原案の如何は其の最後の決定に大なる威力を有することは勿論であつて、仮令〈タトイ〉議会に於いてそれを可決したとしても、原案が国民の意思と関係なく専ら政府の手に依つて作成せられたものである以上は、自由に表明せられた国民の意思に依つて之を決定したものと謂ひ得ないことは、当然でなければならぬ。況んや議会は其の原案に対し自由の修正権をも有しないものと解せらるるに於いては、其の事は一層明瞭であり、更に疑を挟むの余地は無い。〈五九~六一ページ〉【以下、次回】

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