◎軽井沢町でのテニストーナメントに同席した織田和雄さん
今月五日の東京新聞朝刊26面に、次の記事が掲載された。
織田和雄さん死去
87歳 上皇ご夫妻の仲取り持つ
上皇さまのテニス仲間で、結婚前の上皇さまと上皇后美智子さまの電話を取り次いだ「キューピッド役」として知られる織田和雄(おだ・かずお)さんが十一月二十五日、虚血性心不全のため死去した。八十七歳。兵庫県出身。葬儀は近親者で執り行った。喪主は長男智雄(ともお)さん。
学習院中・高等科と大学で上皇さまの二年後輩。一九五七年、上皇ご夫妻が初めて出会われた長野・軽井沢町のテニストーナメントに同席し、結婚前のお二人の電話を取り次ぐ役を担った。上皇さまの退位後も東京都港区の「東京ローンテニスクラブ」を訪問したご夫妻と懇談するなど交流を続けた。学習院大を卒業後、三菱商事に勤務。東京都テニス協会や日本マスターズ陸上競技連合の役員なども務めた。
父は二八年のアムステルダム五輪で、日本人で初めて金メダリストとなった三段跳びの幹雄さん。著書に「天皇陛下のプロポーズ」がある。
「長野・軽井沢町のテニストーナメントに同席し」とあって、「テニスコートでの出会いを演出した」とは書いてない。一九五七年(昭和三二)八月一九日の「出会い」を演出したのは、小泉信三、吉田茂、田中耕太郎といった「カトリック人脈」だったという(ウィキペディア「田中耕太郎」)。
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