礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国語の歴史は国語生活の歴史である(時枝誠記)

2020-10-19 00:02:42 | コラムと名言

◎国語の歴史は国語生活の歴史である(時枝誠記)

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十六 国語史研究」を紹介している。本日は、その三回目。

 そこで次に私は「国語史研究の一構想」に従い、従来の国語史研究に対して時枝博士の提唱された国語史を考えてみたいと思う。博士は従来の国語の歴史的研究は構成主義的言語観にもとづく音韻史、文字史、語彙史、文法史といった要素史的国語史研究というべきものであるが、これは国語はどのように変遷して来たかということを説明しえてないとし、そこでこの要素史的国語史研究に代わるものとして、言語を言語主体の表現、理解の行為であるとする言語過程観にもとづく国語史研究の構想を考えられるのである。いったい言語を人間の有目的的な行為または活動と考える立場に立つと、それは人間生活の一形態と認められるところからこれを言語生活という。博士はこの言語生活が話すこと、聞くこと、書くこと、読むことの四つの形態の総合によってある体系をなしているという考えを出し、これらが個人の言語生活においてまた一時代全体の言語生活においてどのようになっているかを問い、そのような体系の変遷において国語史が成り立つことを説かれた。これによると国語史はいうまでもなく国語の歴史であり、国語の歴史はすなわち国語生活の歴史でありさらにそれは国語形態の総合の歴史ということになるのである。ところで、言語生活は時代と文化の発展に並行して変遷すると共に、その言語生活の発展がまた時代と文化の発展に寄与する。文字が発明されなかった時代には人間の社会はごく狭い地域に限られ、文化の継承も限られた範囲に限定されている。文字の発明によって文字言語の生活がはじめられると同時に、大きな国家あるいは社会組織も可能になって、文化も急速度に発展する。音声言語の生活も同じく時代と文化の発展に応じて新しい形式が造られて、ここに言語生活の歴史が形成される。江戸時代までは支配階級と庶民階級との言語生活は大変かけはなれていて、それぞれ別々の言語生活を営んでいたが、明治以後義務教育制の実施と共に、国民全体の言語生活は次第に平均化されるようになった。印刷術やラジオ、テレビ等の発明が言語生活の拡大と発展に寄与することが多大であったというふうに、言語生活の歴史を説かれるのである。
 しかし、ここではまだ時枝博士が新しい国語史研究の構想を述べたにとどまる。それが『国語学原論続篇』に至っていよいよ国語の歴史的研究の名に値するものになって来る。ここでとりわけ私が興味を抱くのは博士が従来の国語史が樹幹図式において構想されたのに対して、新しい国語史は河川が多くの支流を集めて海に注ぎ込む状況を図に表した河川図式において構想すべきであると述べられたことである。ここに博士が樹幹図式というのは生物学などで樹木の枝や幹を伝って樹木の根にさかのぼっていこうとするのである。樹木のいま見る姿は根幹の分裂、分肢したものであり、それと同様に国語の歴史を原始国語の分裂、分肢において考えようとするわけである。このような図式に対して、博士の出されたのは河川図式と呼ぶべきもので、国語がよし原始の状態から発したにしても、今日の国語の中にはそれとは性質の違う異分子的支流が流れ込み、それらを包容しつつ国語を構成していると見るのである。次に樹幹図式と河川図式を『国語学原論続篇』第二篇各論第六章言語史を形成するものの項から掲げてみる。【図式、略】
 見られるとおり、これを国語についていうと今日の国語から原始国語にさかのぼり、そこから国語と同類の言語が分岐して来るさまを記述しようとするのが樹幹図式的研究であり、これに対して、国語の中に流れ込んだ異質的な言語を明らかにし、今日の国語の構成をたしかにしようとするのが河川図式的研究である。時枝博士はここで和辻哲郎〈ワツジ・テツロウ〉博士が『続日本精神史研究』(昭和十年)に収められる「日本精神」という文章の、八日本文化の重層性などを引いて文化史的研究には一般に後者の方法をとられていることを説かれる。が、私は時枝博士がやはりこの第六章言語史を形成するものの中で、
《言語過程説においては、言語は人間の行為であり、従つて、それは、また、当然、文化の一つである。文化の歴史は、自然史のやうに、樹幹図式によつて把握されるべきものでなく、河川図式によつて把握されなければならない。一本の川には、水源を異にした大小幾多の支流が流れ込んでゐて、下流の大をなしてゐる。そこには、種々様々な土質が流れ込んでゐるに違ひない。それらの構成分子を分析し、それらがどのやうに組合はされて、下流を成してゐるかを明かにすることが必要である。我々が知りたいのは、源流の奥の水源ではなくして、我々が、今、立つてゐる下流についてである。すべての文化的記述は、下流の形成を明かにすることであつて、そのために、上流への溯行も意義があるのである。言語史研究も、これと同じでなければならない。》
と説かれているのを読んで、ふと和辻博士が『面とペルソナ』(昭和十二年)に収められる「天竜川を下る」という文章を思い出した。それは大正十年〔一九二一〕秋に和辻博士ら友人十三人が飯田の町に集まって天竜川を下るさまを書いたエッセイであるが、天竜川を溯行〈ソコウ〉するのよりも天竜川を下り無事下りおわったところがより美しく描かれているからである。それにしても、時枝博士がこうして和辻博士の、日本文化の特色を重層性としてつかむという、今日では普通になった考え方のはじめである、日本文化の重層性によるあたり見事というほかない。【以下、次回】

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