礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岩波文庫に先行したアカギ叢書

2013-10-14 03:54:09 | 日記

◎岩波文庫に先行したアカギ叢書

 先日の神保町の古書展では、岡田貞寛『私と父の二・二六事件』とともに、マルコポーロ作・佐野保太郎編『東方見聞録』(アカギ叢書、一九一四)を入手した。
 アカギ叢書は、西洋文学の翻訳と教養書を中心とした小型本のシリーズで、この種のものとしては、岩波文庫に先行していたことで知られる。あるいは、アカギ叢書のほかにも、岩波文庫に先行していた小型本シリーズがあったのかもしれないが、岩波書店が岩波文庫を創刊する際に意識していたのは、このアカギ叢書であった。このことは、インターネット上にある「岩波文庫略史」という文章に、次のようにあることからも明らかである。

 由来、岩波書店では一つの計画をたてた時には信頼する多くの著者から充分に意見をきくというのがならわしであった。この文庫〔岩波文庫〕については相当な決心をもって出発しなければならなかったのでいつもより更に多くの意見をきかなければならなかった。しかし文庫のような形式の出版物は、昔アカギ叢書というのがあっただけで近来は例がないから、誰も確信をもった返事をすることは出来なかった。アカギ叢書というのは、10銭本で丁度岩波文庫くらいの形であるが、どんな大きな本でも1冊に縮めてしまうという方法がとられていた。この叢書は数十冊でおしまいになったが、一時は大変な売行を示した。この記憶があるから、岩波文庫の計画に対しても人々の頭には第一にそれが浮かんだのであろう。その先入観を破るだけにも並々ならぬ苦心を払わねばならなかった。

 今日、国会図書館の検索機能で「アカギ叢書」を検索してみると、少なくとも、第一〇八編まで出ていることが確認できる。途中、欠番があった可能性も否定できないが、「この叢書は数十冊でおしまいになった」というのは、おそらく勘違いだろう。
 ちなみに、同叢書の第一編、イプセン原作・村上静人編『人形の家(一名ノラ)』は、一九一四年(大正三)三月の発行で、第一〇八編の金子光介〈コウスケ〉著『最近独逸の発展』は、一九一四年一二月の発行である。第一〇編の寺尾新〈アラタ〉編『ダーヰンの進化論』は、一九一五年(大正四)六月になっているから、必ずしも番号の順番通りに刊行されたというわけでもないらしい。【この話、続く】

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