礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『日本保守思想のアポリア』に頂いた感想

2013-07-22 03:35:11 | 日記

◎『日本保守思想のアポリア』に頂いた感想

 歴史民俗学研究会の金子頼久さんから、拙著『日本保守思想のアポリア』に対する読後感想をいただきました。
 感謝申し上げるとともに、以下に、紹介させていただきます。

 『日本保守思想のアポリア』を読んで
 本書は、礫川全次さんが目下取り組んでいられる明治国家論の一連の流れの中にありまして、明治維新から太平洋戦争に至るまでの國體とは一体なんだったのか?という問いに答えるものであります。
 本書により、日本におけるいわゆる「保守主義」なるものが、歪みやねじれを根底とした上に立脚する壮大なつくりものであることが良くわかります。
 日本の「保守」の定義は非常にあいまいです。かつては、革新に対する言葉として使われてきました。日本社会党がなくなってから、革新という言葉があまり使われなくなったと思いますが、その後、民社党も消失し、共産党も、公明党も革新という言葉を使わなくなってしまいました。世間では、ソ連が崩壊したことと、「マルクス・レーニン主義はダメだ」ということとを、一緒くたに重ね合わせてしまったということが、そのあいまいさの一因のようです。
 本書の「まえがき」に、自民党が革新的なスローガンを提示していることが指摘されていますが、民主党政権時代にも、今まで革新よりと見られてきた管総理大臣が、消費税増税の現実路線に舵を切ったことに対し、かつて自民党政権の中枢にあり、海部・宮沢内閣の立役者いわゆる戦後保守の代表と見られていた小沢氏が、ほかの共産党や社民党などの主張する消費税増税反対に同調したのです。これではどちらが保守で革新か判ったものではありません。
 本書を読んで、もっとも最も印象的だったのが、「あとがき」に出てくる、柳田國男の父・松岡約斎が、先祖代々の位牌を川に流してしまうシーンでありまして、これは明治維新、国家神道の形成を如実に物語るものです。明治維新のことを復古であるとか何とか言いますが、それは実は、古い伝統的なものをすべて打ち捨ててしまったあとに、急仕立てにこしらえた壮大な作り事であり、極めて人為的な変質的なものであるということなのです。そのような脆弱な国家は早晩崩れ去るに決まっていますが、その敗北が決定したのが対米英戦だったということであります。
 しかも、柳田國男の父のエピソードを紹介しているのが安丸良夫さんだということで、安丸氏は大本教研究の第一人者としても知られており、国家神道に対しても、その様な鋭い目を持っていたのだと思います。
 また、折口信夫も敗戦後、「神敗れたまひぬ」などと言って、国家神道の脆弱さを指摘し、日本の伝統に深く根付いた神道の確立を提唱しました。折口は、戦争前から大本教の弾圧事件に際して、大本教側に理解と共感を示すような発言もしていました。
 今では日本の保守主義というものは、国防、あるいは排外主義、TPP反対運動や皇室典範改正反対運動としてしか立脚し得ていないのではないかと思われます。

*昨21日は、都合で、ブログをお休みしましたが、どういうわけか、アクセスが急進し、歴代6位でした。こういうことは、今まで、一度もなかったことで、首をかしげています。もちろん、理由などはわかりません。

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