◎マルクス主義の赤本、フロイド主義の赤本
ザピールとライヒの『フロイド主義と弁証法的唯物論』(京都共生閣、一九三二年三月)を紹介している。
本日は、安田徳太郎による「序文」を紹介してみたい。
序 文
訳者は私に本書の序文を書けと註文された。甚だ勝手ちがひの要求で実は非常に困却したのである。マルクス主義者でない私に、フロイド主義に対するライヒ乃至ザピールのマルクス主義的批判の正否を断ぜよと申されるのは、いさゝかお門ちがひの感があるからである。
併しフロイドの著書を嘗て飜訳した私として序文がはりに一言述べたいと思ふ。
欧洲戦争が終りロシアでは革命が起つた頃、丁度今から十数年の昔である。吾々の手許に欧洲から二つの赤本が流れ込んだ。一つはマルクス主義の赤本であり、他はフロイド主義の赤本であつた。当時私は故山本宣治氏と一緒に性学研究の文献を蒐集してゐた頃であつたので、私達は早速に後者の赤本に専心になつた。
当時新しい性学においてフロイド説が問題となつてゐた。幸ひ私は医学の分野にあつたため、フロイドの著書を読む機会を得、性学の正しい理解のためにと、その『入門』を翻訳した。その仕事は私にとつては可なりの時日と努力を要した。
私の『入門』が出て以来私は二方面から批難を受けた。第一に馬鹿な本を出したとブルジユア学界の物笑ひの種となつた。第二にマルクス主義が世界を席捲する現代に馬鹿な主義をかついだとマルクス主義陣営の物笑ひの種となつた。この批難は純真な学生諸君に多かつた。あるマルクス主義者が親切に私をかう叱咤された。あなたは甚だケシからん、あんな反動的な学説を日本に紹介されたのは甚だよろしくない。あんな害毒を流す本は早速に絶版にしなくてはならぬと。あるマルクス主義者はかう揶揄された。尖鋭化する資本主義第三期にフロイド主義とは何事ぞ。フロイド主義を克服してマルクス主義になれと。不幸私は医者であつて、経済学者でも哲学でもなかつた。私は医学者としてフロイド本を翻訳しただけであつた。レーニンの翻訳者必ずしもレーニン主義者でないが如く、私もまたフロイド主義者でなかつた。私の翻訳をきつかけに日本にフロイド主義の紹介が流布され、フロイドは忽ち時代の流行となり、而してまたフロイドはめざましいテムポの中を一瞬にして時代の尖端から沒落して行つた。
当時私が痛切に感じたことは、フロイド主義に対する一つの揶揄――揶揄はブルジヨア学者が好んでふりまはすものである――でなしに、マルクス主義側からの正しい批判を知りたいことであつた。フロイドを紹介したために反動よばはりしたり、絶版を要求したりする代りに、マルクス主義側の批判を聞かして貰ひたかつたのである。まもなく私は独逸版『マルクス主義の旗の下に』の創刊号を手にした。そして私はそこにユリネッツのフロイド主義批判の論文を発見した。それは揶揄ではなかつた。それはマルクス主義からの理論的批判であった。私はさらにラヒ・ザピールの論文を手にした。論争は転開されてフロイド主義は理論的にマルクス主義者によつて克服されて行つた。
私はサヴエート・ロシアにおける彼等のあらゆる科学に対する理論的に堂々たる批判と克服を心から尊敬した。科学者はかくの如くあらねばならぬ,批刹は?なる描足とりに陷ってはならぬ。勉強せよ、勉強せよ、勉強せよとレーニンは言つたが、サヴエート学者は精神分析の知識に対してすらかくの如き蘊蓄を披瀝して批判を闘はしてゐる。どんな学問をも蔑視することなく、あらゆる業績をわが物とし、それを消化し理解して、それに対してマルクス主義的批判を下さうと努力してゐる。その努力の中にこそサヴエート・ロシアの偉大なる発展があるのであらう。
私は自分の歩いた青年時代をふりかへつて一つの感想を綴つた。この感想が本書の序文として許されるなら幸ひである。
一九三一年三月 安 田 徳 太 郎
文中に『入門』とあるのは、安田が翻訳し、アルスから刊行されたフロイトの『精神分析入門』のことである。今、国立国会図書館のデータで調べると、その「上巻」が刊行されたのは一九二六年(大正一五)、その後、一九二八年(昭和三)になって、上巻・下巻が刊行されている。
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