◎いわゆる緊急勅令と帝国議会による承諾
『国家学会雑誌』第四七巻第八号(一九三三年八月)から、清水澄の論文「帝国憲法の解釈に付いて」を紹介している。本日は、その四回目。
今回、紹介した部分には、二か所、割注(わりちゅう)があった。その部分は、{ }で示しておいた。
帝国憲法第八条第二項に「此ノ勅令(所謂緊急勅令)ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スへシ」とあり、同第四十条に「両議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件ニ付各其ノ意見ヲ政府ニ建議スルコトヲ得(下略)」とあり、同第六十七条に「憲法上ノ大権ニ基ツケル既定ノ歳出(中略)ハ政府ノ同意ナクシテ帝国議会之ヲ排除シ又ハ削減スルコトヲ得ス」とあり、同第七十条第一項に「公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得」とある。此等の条項に於ける「政府」は孰れ〈イズレ〉も疑もなく、天皇の輔弼〈ホヒツ〉機関たる国務大臣を指したるものと解すべきである。同第五十四条に所謂「政府委員」も亦、国務大臣の代理者たる委員といふ意義より生れたる名称である。然るに、同第六十七条に「(上略)法律上政府ノ義務ニ属スル歳出ハ(下略)」とある所の「政府」は、支出義務の主体たる国家を指したるものと解せねばならぬ。我が憲法は之を「国庫」と称して居る(帝国憲法第六十二条第三項及び六十六条参照)。乃ち、右の「政府」は国庫といふと同一意義である。
帝国憲法第八条第一項の規定に依る緊急勅令及同第七十条第一項の規定に依る緊急勅令(財政上の緊急処分)は、孰れも次の会期に於て帝国議会に提出して其の承諾を求むるを要すること、右各条二項の規定に依つて明である。帝国議会に於て之を可とするの議決は、孰れの場合に於ても承諾である。承諾そのものの意義には別段の差異なかるべき筈であるが、其の反対の議決即ち不承諾は、右二の場合に於て大に〈オオイニ〉効果を異にする。第八条第一項の場合に在りては、不承諾に因り当該勅令が将来に向つて其の効力を失ふこと、同条第二項の明に規定する所である。然るに第七十条第一項の場合に在りては、当該勅令は不承諾に逢ふも其の効力に毫末の影響を受けざること、同条第二項に何等斯くの如き規定なきに徴し疑を容れぬ。{故に譬へば、本文の聚急勅令を以て金一億円を限度として国債を募集することを得る旨を定め、其の内金八千万円を現実に募入したるとき、該勅令が議会に於て不承認となるも、政府は残額二千万円を募集することを妨げらるゝことはない。}されば、右二様の緊急勅令に対する帝国議会の承諾は、全然同一の意義を有するものと解すべきではない。
帝国憲法第二十八条には「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とあり、同第五十九条には「裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ(中略)対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得」とある。そこで之を簡単に比較すれば、信教の自由は風俗を害するの虞〈オソレ〉あるときと雖〈イエドモ〉尚之を保障せらるべきものなるが如く解せられなくない。乍併〈シカシナガラ〉、かかる見解の是認せらるべき道理はない。風俗を害するの虞あるは、固より安寧秩序を妨ぐるものである。右第二十八条の規定に於て安寧秩序を妨ぐると言ふ中には、風俗を害するの虞あるものを包含するものと解すべきこと疑を容れぬ。此の見解に従へば、右第五十九条の規定に於て安寧秩序を害すると風俗を害するとを併記したのが、寧ろ無用の沙汰であると言ふことになる。これは畢竟〈ヒッキョウ〉苟くも疑なからしむる為めの用意に出でたるものであり、又此の規定の沿革の然らしめたる所である。
帝国憲法第九条但書に「但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」とあり、同第七十四条第二項に「皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス」とあり、両者同様の文詞であるが、其の意義に至つては必ずしも同様でない。右第九条但書規定は命令を以て法律を変更するを得ざることと法律を以て命令を変更するを得ることとの両面の意義を有するものである。それは、法律及命令の効力の関係上些〈イササカ〉の疑を容れざる所である。然るに、右第七十四条第二項の規定は、皇室典範を以て帝国憲法を変更するを得ざることを意味するに止まり、帝国憲法を以て皇室典範を変更するを得る旨を含蓄するものではない。抑々帝国憲法と皇室典範とは、一は国務に関し一は皇室に関する根本法則で、相共に国家最高の法規であつて、其の条規の分野を全然区別せられ、其の効力は対等にして亳も優劣の差別を存せぬ。乃ち、帝国憲法を以て皇室に関する事項を定むることを得ず、皇室典範を以て国務に関する事項を定むることを得ず。又帝国憲法を以て皇室典範を変更することを得ず、皇室典範を以て帝国憲法を変更することを得ず。是れ実に国法上当然の条理であつて、かく解するに非ざれば、帝国憲法第七十三条・第七十四条第一項及皇室典範第六十二条に於て、帝国憲法及皇室典範の改正手続を規定し、前者は帝国議会の議決を必要とし後者は之を必要とせず、其の間に厳然たる区別を設けたることが全く無意義となつて了ふ。ただ、皇位継承及摂政の事は国務と皇室との双方に関する事項であるから、帝国憲法と皇室典範との両者に其の条規を設けてある{帝国憲法第二条及第十七条は其の大綱であり、皇室典範第一章及第五章は其の細目である。}其の皇室典範に於ける細目の条規を以て、苟くも帝国憲法の大綱の条規に牴触するが如きことあつてはならぬ。是れ帝国憲法第七十四条第二項の規定ある所以であつて、此の規定は専ら此の旨意を明にしたるものに外ならぬのである。【以下、次回】