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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

みなさま、車はここまでで御座います

2022-01-20 00:07:14 | コラムと名言

◎みなさま、車はここまでで御座います

 このあと、しばらくは、「二・二六事件」関係の資料を紹介してゆきたいと思う。
 本日、紹介するのは、茂見義勝(しげみ・よしかつ)の「あのときのことども」という文章である。これは、茂見義勝の随筆集『検事の目』(近藤書店、一九五〇)の最後にある文章である。茂見義勝は、二・二六事件当時、東京区検事局の検事。

  あのときのことども   ――二・二六事件と検察――

      
 その年〔一九三六〕は正月以来、何とも云えない重苦しい空気が人々の心を包んでいた。
 一月十六日には遂に、わが国はロンドン海軍々縮会議を脱退した。これによつて建艦の自由を獲得したとはいうものの、はげしい国際間の競争場裡に、孤立の色を濃くし始めていた。さらにその月の二十八日から始つた、相沢〔三郎〕中佐事件の軍法会議公判は、現役の軍人が軍刀をふるつて、上官たる軍務局長を刺し殺したという未曽有の事件で、本来厳格な軍紀の下にあるべき陸軍について、そのいまわしい部内対立と統御のみだれを曝露しつつ進行していた。一方、二十一日には衆議院が解散されて粛正選挙が呼号され、小原〔直〕司法大臣や光行〔次郎〕検事総長は、いやになるほど繰返して、この際官憲も国民も協力して、粛正選挙の実をあげるよう努力すべきである、などと新聞に発表していたが、その結果は鈴木〔喜三郎〕政友会総裁の落選という番狂わせが生れたりして、全国の検察陣は、選挙法違反事件の処理に多忙をきわめていた。
 この人間世界の変調に呼応するかのように、その冬の気象状態はまた烈しいものがあつた。二月四日に、東京には五十年来という大暴風雪があつたかと思うと、またその二十三日には、更に三五・五センチという降雪があつて、「帝都の大雪、四日の記録を破る」といつた工合〈グアイ〉であつた。
 おびただしい残雪になやまされる市民の心には、ひとしお、春を待ちのぞむものが切実であつた。
 「みなさま、まことにお気の毒さまですが、車はここまでで御座いますから、御降りを願います。」
 二月十六日の朝、いつものように渋谷から東京駅行の市営バスに乗り込んだラッシュ・アワーの乗客達は、霞ケ関(外務省前)の停留所に着くと、突然女車掌から全員下車を言渡されてしまつた。見ると前のバスも停つているし、人だかりもしているようである。
 何があつたのだろうかと、いぶかりながら、雪でかたまつた冷たい道路へ降り立つた人々の前に、それは思いもよらない光景が展開していた。
 すぐ先の内務省(現在の人事院ビル)の角から、向いの裁判所(現在の最高裁判所)の角へかけて、道路を横断して一列の兵隊が銃剣を構えて、こちらをにらんで立つていた。しかも、その列の中程には、雪の上に重機関銃が据えられて、その配置についた兵士は折敷け〈オリシケ〉をして引金に手をそえていた。いつでも射ちだせる構えである。ただごとではない。群集がただ遠まきにして、それに近寄らないのは当然である。バスも人も空しくそこから引返さざるを得なかつた。
 しかし折角目の前に自分の役所を見ながら、そこからすごすごと引返すことは、検事という職責感がどうしてもゆるさなかつた。私はつとめて群集の右端へ右端へと動いて、海軍省(現在の厚生省)の西北の角の近くまでたどりついたが、そこからさらに進んで、裁判所と海軍省との間の道路へ曲り込むことが大仕事であつた。私の東京区検事局はその道を入つた日比谷公園の裏角にある。どうしてもそこへたどりつきたい。しかし、その方へ歩くものは誰も居ない。だから私が歩きだしたら兵隊の目にとまることは必定である。すぐ射つてくるかも知れない。だが射たれても仕方がない。自分には検事という職務が待つている。私は決心して群集の中から歩き出ていつた。
 しかし、機銃は鳴らなかつた。【以下、次回】

 お気づきかと思うが、この人の文章力はナミではない。引用した箇所で、特に注目したいのは、「みなさま、まことにお気の毒さまですが……」と、車掌の言葉によって、いきなり話を本題に持っていくところ。こういう芸当は、なかなかできるものではない。

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