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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

終戦の翌日、温泉旅行に出かけた原田種成一家

2021-09-02 01:46:26 | コラムと名言

◎終戦の翌日、温泉旅行に出かけた原田種成一家

 先日、深い考えもなく、『漢文のすゝめ』(新潮選書、一九九二)という本を買い求めた。著者は、『大漢和辞典』の編纂に尽力したことで知られる漢学者の原田種成(たねしげ)である(一九一一~一九九五)。
『漢文のすゝめ』というタイトルは、同書の内容を正しくあらわしたものではない。この本は、漢学研究を中心とした、原田種成の自伝的回想である。
 どのページを開いても、興味深い記述にぶつかるが、本日は、終戦直後に、一家で温泉旅行に行ったという話を紹介してみよう(一七四~一七五ページ)。

 八月十四日(火) 明日の正午に重大放送があると知らされた。その夜、空襲警報が発令され、高崎・伊勢崎と熊谷が焼夷攻撃された。しかし、これは小規模なものであった。
【一行アキ】
 八月十五日(水) 十一時ごろに〔群馬県勢多郡〕富士見村の須田秀吉氏宅を訪い、正午の玉音放送を聞いた。初めの部分を聞いて、無条件降伏だと覚り、やれやれこれで助かったと思った。軍は本土決戦を呼号し、関東平野が戦場となり、私は家族を連れて逃げまどう姿を想像していたので、心の底からやれやれ助かったと思ったのである。
 緒戦のころ、もしこのまま日本が勝ったり、和平交渉が成立するようなことがあったならば、我が国は軍人が威張り散らす国になって、手がつけられない状態になり、ついには破滅に至るのではないかと私は心配していた。敗戦となり、世間には神風は到頭吹かなかったという声があるが、私は真に日本国家のことを憂えた神が国家の将来を危くした横暴な軍部を一掃するために敗戦という神風を吹かしたのであろうと思った。
【一行アキ】
 私の場合は戦災に遭ってから終戦まで間が十日ばかりであったが、東京で二月三月ごろに戦災に遭い、中には焼け出されて頼って行った先でもまた戦災に遭ったという人もあり、 それ以来、半年ほども罹災者の暮らしをしていた人に比べれば、前橋に住んでいて幸いだと思った。
 敗戦、無条件降伏ということは国民生活の上にどういうことが起るのか。全く予想がつかない。しかし、ともあれ空襲警報のサイレンは鳴らず、長い間の灯火管制の暗い生活から開放され、久しぶりに明るい電灯の下で夜の食事ができた。
 私は妻に言った。長い間、ほこりまみれ、汗まみれの暮らしが続いたので、ここで一つ温泉に入って戦争に負けた垢【あか】をきれいに洗い落そうではないかと。長野原の桜井さんの親戚が川原湯で温泉旅館をやっているので出かけることにした。
【一行アキ】
 八月十六日(木) 三人の子供を連れ、市内電車に乗って渋川に行き、中之条【なかのじよう】行きのバスに乗って中之条に着いた。そのころは吾妻【あがつま】線が未完成で、鉄道はなかった。吾妻線は小串【おぐし】鉱山から採れる鉄鉱石と火薬に必要な硫黄〈イオウ〉を運ぶために突貫工事をしていたがまだ完成していなかったのである。中之条で長野原行のバスに乗換えようとしたが、バスの運転手が戦争に負けたことに腹を立ててどこかへ行ってしまって今日はバスが動かないという。仕方がないので〔群馬県吾妻郡〕中之条町折田【おりた】の予科三年生の折田秀一の家へ行って事情を話して一晩厄介になった。
 翌日、長野原行のバスが動いた。〔吾妻郡〕長野原町大津の桜井氏を訪ね、川原湯温泉への案内を頼んだ。東介さんが宿泊用の米を用意して敬業館という宿へ案内してくれた。座敷へ通され、温泉に入ってたまった垢を落し、久し振りにゆったりした気分になった。別の部屋のほうを見ると学童疎開らしい子供たちが大勢いた。まだ東京へ帰る手はずにならないらしい。
【一行アキ】
 八月十八日(土) 前橋へ帰ると、部屋を借りている農家で、戦争が終ったから養蚕を始めるので部屋を明けてほしいと言われた。前橋市の八割も戦災で焼かれているから、貸家はもちろん貸間も求めることができない。どうすればよいか、思案した。
 そのころ前橋市で罹災者のために戦災住宅を斡旋する話があった。それは焼け跡に六坪の家を建てるものであった。
 しかし、敗敗によって我が国を占領した米軍が、真っ先に解体したのは軍と内務省であったが、その次は教育制度の解体、特に師範教育の改革がなされるであろうと推測した。そうなれば師範学校はなくなりはしないか、教授の職を追われるのではないか、前橋に住んでいることができなくなるのではなかろうかとも思案した。今から思えば杞憂に過ぎなかったことをその当時には真剣に憂慮したのだった。だから、身の振り方が決まるまで、仮の住居を何とかしなければならないと考えたのである。【今回の引用は、ここまで】

 若干、コメントさせていただく。原田種成は、玉音放送を聞いて、「やれやれ助かった」と感じたという。そのように感じた日本人は、少なくなかったと思う。しかし、翌一六日から、温泉旅行に出かけた一家というのは、全国的に見ても珍しかったのではなかろうか。
 ちなみに、原田一家が泊った敬業館は、八ッ場(やんば)ダムの建設にともない、二〇〇八年八月閉館。今は、ダム湖の湖底に沈んでいるはずである。【コメント、もう少し続く】

今日の名言 2021・9・2

◎日本国家のことを憂えた神が敗戦という神風を吹かした

 8月15日の玉音放送を聞いた原田種成は、「敗戦」をそのように理解したという。上記コラム参照。

*このブログの人気記事 2021・9・2(8位の吉本隆明は久しぶり)

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