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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国語はただ伝統に従うことで正しい方向が決まる

2021-05-11 04:04:44 | コラムと名言

◎国語はただ伝統に従うことで正しい方向が決まる

 橋本進吉著作集第一巻『国語学概論』(岩波書店、一九四六一年二月)の「解説」(時枝誠記執筆)から、「橋本進吉博士と国語学」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。

 最後に、博士の問題問題に対する立場を考へて見る。既に述べたやうに、明治の新国語学は、国語問題の解決といふ重大な責任を負荷されてし、やがてそれらの実践的問題とは手を切つて、専ら印欧言語学一分科としての純然たる科学的体系を立てることを目的として努力して来た。かくして国語学は、国語問題をその応用的部面と考へ、その純学問的領域に於いてはこれを埒外〈ラチガイ〉に置き、或はこれに無関心の態度をとり、時にこれを白眼視するやうになつた。従つて屡々革新的国語国字改革論と相対立するやうな結果を生むことになつた。世の中では国語学者が、進歩的立場に対して保守的立場を固執するものと解し、或はそれが国語学者の単なる好尚に基くものであるといふ風にもとられなくはなかつたのである。しかしながら、この情勢は、単に国語学者が高踏的な立場をとつて、世俗的な問題にかゝはることを潔しとしなかつたことに起因するとのみは解することは出来ない。国語学者のこのやうな態度は、思ふに明治以来の国語の歴史的研究によつてもたらされた言語の本質観、言語史観によるものと解せられるのである。国語学者は、その歴史的研究によつて、国語の或る時代の形に規準を認め、これを規範とすることに反対すると同時に、国語に対して人為的な工作を加へることを危険と見た。そして国語の伝統の力を痛感し、国語の社会性を強調したのである。従つて国語の伝統即ちその自然の流〈ナガレ〉に反し、社会性を無視した改革論は、国語にとつて極めて危険なことであると考へたのである。国語の歴史的研究を使命とされた橋本博士にとつて、国語の将来の運命を論じたり、その政策を考へたりすることは、少くとも国語学の本質的領域ではなかつたのであるが、晩年の博士はこれらの問題に対して多大の関心を示してをられた。その意見の開陳としては、昭和十八年〔一九四三〕春日本諸学振興委員会の公開講演会に於いてなされた「国語の伝統」と題する講演が、恐らく博士の残された唯一のものと考へられるのであるが、その立論の根柢は、やはり当代の国語史観に立脚してゐると考へられるのであつて、国語の将来の方向を決定するのは、国語の過去に於ける流であり、そこに将来の方向を見出さうとするのである。人為を以てその方向を左右することは危険であり、国語はただ伝統に従ふことに於いてのみ、その正しい方向が決せられると考へられたのである。
 以上私は国語学者としての博士を、明治以降の国語学史上に跡づけて、その歴史的研究に於いて、又文法研究に於いて、又国語問題に対する態度等に於いて、極めて簡単に述べて来た。もとよりそれは私の一面観に過ぎず、博士の深意に添はない多くの臆測があつたであらうと懼れるのであるが、語学者としての博士の全貌は、本著作集刊行によつて始めて明かになるのであつて、世の橋本学説研究者によつてそれが実現されることを期待して止まないのである。

   国 語 学 概 論【略】

   国 語 学 研 究 法【略】

   国語学と国語教育【略】

   国 語 の 伝 統
 本書については、既に「橋本進吉博士と国語学」の中にこれを解説したのでこゝでは省略することにした。

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