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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

入学者選抜における学科試験の廃止によって生じた弊害

2013-03-22 05:13:35 | 日記

◎入学者選抜における学科試験の廃止によって生じた弊害

 昨日の続きである。平田宗史氏の『教育汚職』(溪水社、一九八一)によれば、一九二七年(昭和二)一一月、文部省が中学校試験制度を改め、入学者選抜における学科試験の廃止を指令した際、次の諸点が懸念されたという。
(一)内申書の公正の問題。
(二)内申書重視の結果、以前より小学校での席次争いが激しくならないかの問題。
(三)学校間各差の間題。
(四)口頭試問の問題。
 このうち、(一)は、小学校側が、はたして公正な内申書を作るかという問題であろう。(三)は、小学校間で学力に差があるので、学力が高い小学校の児童は、内申書で不利になるという問題であろう。(四)は、学力試験口頭試問が実質的な学力試験になる恐れがあるという問題であろう。
 そして、これらの懸念は、一九二八年(昭和三)以降、すべて現実のものとなったようだ。また、このときは懸念されなかったようだが、「メンタルテスト」の過熱という問題も、実際に生じたのではないだろうか。
 以下は、上記(一)の懸念にかかわって実際に生じた事例である。『教育汚職』から引用する。

 先ず、内申書に絡んで、問題が生じたのであった。ある女学校では、内申書一二〇点以上(一三〇点満点)が志願者の半数以上もおり、一小学校で満点の者が十二人もいたという。ある中学校では、二三〇名の募集に対して、小学校席次一番の者が、一七五名、二番の者が、一三〇名もおり、一~二番だけで、すでに定員を超過しているのである。
 昭和三年の第一回の改正法実施につき、文部省の調査をしたところによると、小学校の報告と中等学校の判定とは、一致しなかったという。中学校官公立私立四八二校中、入学考査成績と内申成績と一致したもの一七七校に対し、一致しないもの三〇五校、女学校五七八校中、一致したもの二五七校、一致しなかったもの三二一校である。
 このように、内申書を重視すれば重視したで、いろいろの問題が生じたのであるが、大阪府では、昭和四年には、その年の三月に行なわれた入学試験で、内申書偽造が表面化したのであった。大阪では、昭和二年十一月、文部省の訓令が出ると、試験地獄に代って、情実地獄が登場すると言って、各方面より反対運動が起った。その結果、大阪市教育会は、委員をわざわざ上京させて、文部省に向って反対の陳情をした。というのは、大阪市は、小学校の格差が特に著しいのと、殊に情実の世界、金力の最も物を言う世界だということからである。したがって、内申書重視となったら教育界が、他の圧力により混乱すると言うのである。しかし、それが実施されるとなると、大阪市は、「大阪市内の中等学校長及び小学校長より成る連合協議会を開き、島田視学官を委員長とする十一名の調査委員をあげて、新選抜法による実行案を作った。」のである。中等学校側から、いろいろと苦情があったが、一年目は、文部省の訓令通りに実施された。中等学校長中には、最初から小学校より提出される内申書は信用出来ないという者があり、昭和四年三月、「いよく各公立中等学校が一斉に入学試験を行はんとする二、三日前に、二、三の中等学校長諸君は、何思ひけん、突然某校に集り、各小学校長より提出された内申書を持ち寄て、之れを一々突き合せて見た処が、果して、数点の不正内申が現れて来た。」のである。このことを府当局に知らせたところ、これを無視出来なく、府当局は、急拠、「本年施行の入学試験は、内申に重きをおかず、なるべく口頭試問、筆記試問とによって、選抜を行うべきこと」を内々告示する一方、試験終了後、全部にわたって調査したところ、意外にも、大阪府市内の各小学校約五百校のうち、五十五校、すなわち、その一割まで、不正内申を行なっていた事実が発覚したのである。その不正内申の動機を調べてみると、小学校訓導が、白分の担任児童を一人でも多く、その志望する学校へ入学させたいという単純な考えから出たもので、志望する学校の入学に有利ならしむるよう、その児童の成績の順位をくり上げ、したがって各学科の点数を変造したものが多かったということである。五十五校の小学校にわたる不正内申事件で、百二十名の小学校長および訓導が、譴責〈ケンセキ〉若くは戒告処分を受げた。

 ここで、「情実地獄」というのは、言うまでもなく、児童の親と学校との間に生じうる「贈収賄」のことを指している。平田宗史氏が、なぜ、『教育汚職』というタイトルの本で、「入学試験」を扱っているのかは、すでにおわかりのことと思う。
 いずれにしても、先日来、紹介している『メンタルテスト集』(興文社、一九二九)という本は、こういう過渡的な状況の中で、出版された本であり、きわめて貴重な「史料」と言えるのである。

今日のクイズ 2013・3・22

◎文部省の「入学者選抜時の学科試験廃止」の方針が後退し、事実上、学科試験が復活したのは、何年からだったでしょうか。

1 1930年(昭和5)春から
2 1931年(昭和6)春から
3 1932年(昭和7)春から

【昨日のクイズの正解】 3 内申書■この言葉は今日、中学校から高校に送られる生徒の成績表の呼称となっています。

今日の名言 2013・3・22

◎試験地獄に代って、情実地獄が登場する

 一九二七年(昭和二)一一月、文部省が中学校試験制度を改め、入学者選抜時の学科試験廃止を指令した際、大阪では、「試験地獄に代って、情実地獄が登場する」として、各方面から反対の声が上がったという。上記コラム参照。

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