礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ゴビンダ・マイナリさんが書いた日本語の手紙

2012-06-18 05:17:06 | 日記

◎ゴビンダ・マイナリさんが書いた日本語の手紙
 
 今月一六日のTBS「報道特集」は、ゴビンタ・マイナリさんの冤罪事件を特集していた。
 番組の中では、獄中のマイナリさんが、TBS記者の丸山拓さんに宛てた「日本語の手紙」三通が紹介されていた。画面には、時間にして一〇数秒しか映らなかったので、詳しく確認できたわけではないが、その三通は次のようなものだったと思う。

一 七年前に書かれた手紙で、日本語の文章であるが、すべてローマ字で表記されている手紙。
二 六年前に書かれた手紙で、すべて日本語のひらがなで書かれている手紙。
三 昨年書かれた手紙で、ひらがなが中心だが、ところどころで漢字が使われている手紙。

 マイナリさんは、一九九四年に来日している。事件が起きたのが一九九七年であり、当時はインド料理店で働いていたわけだから、ある程度、日本語の会話は上達していたと思われる。
 日本語の会話が可能であれば、日本語をローマ字で表記することもできたと思う。マイナリさんは、七年前には、あるいはそれ以前には、丸山記者に対し、「ローマ字表記日本語」の手紙を送っていた。
 ところが、六年前の手紙になると、これが「ひらがな表記日本語」となった。この間にマイナリさんは、ひらがなを習得したものと思われる。日本語の会話能力があり、またローマ字で日本語を表記することができたマイナリさんであるからして、ローマ字とひらがなとの対応関係さえ覚えてしまえば、ひらがな表記日本語の手紙を書くことは難しいことではなかったであろう。
 問題は、その後である。全文ひらがな表記ではなく、それに漢字表記を加えるとなると、これには、「日本文」を書くための学習が必要となる。その際、ネックになるのは、おそらく「漢字」だったのではないか。
 言語学者の田中克彦さんが書いた『漢字が日本語をほろぼす』(角川SSC新書、二〇一一)という本がある。文字通り、「漢字が日本語をほろぼす」ということを主張しようとした本である。特に田中さんは、外国人が日本語を学ぼうとするとき、漢字が大きな障壁となっていることを強調する。もちろん日本に生まれた日本人にしても、漢字の習得は大きな負担になっている。田中さん自身、いまだに推薦書の「薦」の字が書けないということを告白している。江戸時代の思想家・本田利明は、数万に及ぶ漢字を記憶しようとすれば、その生涯をかけなければならないと述べたという(同書による)。
 マイナリさんが、いつから漢字の混ざった日本語文を書けるようになったのかは知らない。しかし、六年前の「全文ひらがなの手紙」から、昨年の「漢字入り日本語文」へ移行するまでには、かなりの苦労と努力があったのではないかと推測した。
 ちなみに、マイナリさんが最初に覚えた漢字は、「無実」だったという。

今日の名言 2012・6・18

◎私の人生の赤字、もう戻らないです

 ゴビンタ・マイナリさんの言葉。6月16日のTBS「報道特集」で紹介されたゴビンタさんの「昨年の手紙」の中に、この言葉があった。マイナリさんの心境は察するに余りあるものがあった。同時に、日本語口語文が漢字入りで書かれていたことが、妙に悲しかった。

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