礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

難字とその用例

2012-06-04 04:56:48 | 日記

◎難字とその用例

 数年前、神保町の古書店で、渡辺修二郎の『東方関係』(奉公会、一八九四)という本を入手した。著者の渡辺修二郎は、一八五五年生まれの歴史家・評論家で著作多数、没年は不詳。渡辺修次郎という歴史家・評論家もいるが、渡辺修二郎と渡辺修次郎とは同一人物で、本名が修次郎、筆名が修二郎ということらしい。福沢諭吉の生前に福沢を厳しく批判した焉用氏『学商福沢諭吉』(大学舘、一九〇〇)という本があるが、この焉用氏というのが渡辺修次郎のペンネームであることは、広くは知られていない(拙著『知られざる福沢諭吉』参照)。
 さて、『東方関係』は、日清戦争前の日朝関係を論じた本で、極めて詳細である。著者がとっている立場は、今日から見れば批判を免れないだろうが、逆に、当時の日本人の対アジア観を知るためには欠かせない文献ということも言えるだろう。四〇〇ページ近くあり、詳細な記述と各種資料の引用が特徴である。資料といえば、巻末に「日韓条約」(日鮮修好条規、一八七六)などの条約が掲載されているのも貴重である。「露韓陸路通商条約」(一八八八)という条約の存在やその中味については、この本を読んで初めて知った。
 さて、この本で興味深かったのは、その内容以上に、そこで使用されている用語や漢字にレアなものが多いということである。
 たとえば、二二四ページに「曾テ自ラ匕首ヲ国王ノ寵姫ニ■ミテ之ヲ害シ」という表現が出てくる。この■の部分にある漢字は、偏が「事」、旁が「リットウ」という難字である。今日、よほどの学者か、よほどの漢字マニアでなければ、この字は読めないだろう。
 この難字は「さす」または、「さしこむ」と読むらしい(音読みはシ)。右の場合は「寵姫にさしこみて」と読むのであろう。原文にルビは振られていないが、当時は、これをルビなしで読めた人も多かったのか。
 ところで、従来から、さまざまな難字辞典、難訓辞典が出ているが、その難字や難訓の「用例」を示したものを、いまだに目にしたことがない。国語辞典、古語辞典等では、用例を示すことは当たり前のことである。その一方で、用例がついた難字辞典、難訓辞典がないというのは不自然な気がする。今後もし、そうした本が企画されるのであれば、是非、右の難字とその用例を採用してもらいたいものである。

今日の名言 2012・6・4

◎旧を談じ往を語りて、その過失を懺悔するも、老境の一楽なり

 桜痴福地源一郎の『懐往事談』(1894)の序にあたる文章中にある言葉。往時を回顧し、犯した誤りを認めるのも、老いた身の楽しみだと言っている。しかし、このとき桜痴53歳(満)。この当時は、この年で「老境」を強調することが許されたのである。桜痴は、幕末に通訳として渡欧、維新後は新聞記者となった。当時、「天下のニ福」という言葉があったという。福沢諭吉と福地桜痴である。この二人はよく似た経歴を持った名文家であり、比較されることも多かったという。

*ごあいさつ* 仕組みもわからないまま、先月末、ブログを立ち上げ、日記を更新してきました。昨日3日、畏敬する「科学に佇む」さんから、ブログの運営について貴重なアドバイスをいただきました。いっぺんに改善することはできませんでしたが、何とか努力しまして、少し見栄えがよくなったかと思っています。今後も、すこしづつ改善してゆきますのでよろしく。「科学に佇む」さん、アドバイスありがとうございました。

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