礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『かたわ娘』の本文を再構成してみた

2012-06-12 07:06:23 | 日記

◎『かたわ娘』の本文の再構成してみた

ある富家〈フカ〉に女子〈ニョシ〉誕生し、かほかたち申しぶんなく、玉のごとき子なれども、うまれつき眉毛なし。うぶ〔初生〕のことなれば、かくべつ人の目にもつかず、おひおひ月日をおくり、はや八九カ月もたち、前歯一二枚づつはへけるに、その色黒し。尚また半年をすぎ、一年をくらすうちに、うへしたの歯もはへそろひしに、いづれも墨にてぬりたるやうなれども、きんじよ世間の人は、尚これに心づかず、たまたま目にとまることあるも、めずらしからぬ虫歯にもあらんなどとて、噂するものもあらず。ただ両親はとく〔疾く〕よりこれをうれひ、世に不具なるもの多きなかに、眉毛のなきものとては、古来ひとの話に聞きしことなく、あまつさへ初めてはへし歯の黒きとは、いかなる因縁なるやと、人しらずひとり心を悩ませしかども、なほ親の欲目にて、眉毛はともあれ、歯ははへかはるときかならず人なみになることならんと、七八才のころまでそだてあげ、うひば〔初生歯〕ものこらずぬけかはりしに、両親の案に相違し、二度目の歯はますます黒くして、墨のごとくうるしのごとし。

 とりあえず、三段落からなる全文のうち、最初の段落の本文を再構成してみた。適宜、句読点を施したが、振りがな(ルビ)は使用しなかった。つまり、「漢字+振りがな」という方式は、採用しなかった。そのかわり、〈 〉で読みを示し、〔 〕で漢字による表記を示した。
 これによって、かなり読みやすくなり、意味も通りやすくなったかと思う。原文の用字や仮名づかいと、だいぶ異なるが、もともと福沢は、庶民でも読み理解できる文章を心がけた人であり、そのために新しい文体まで創出したことで知られている(拙著『知られざる福沢諭吉』参照)。ご本人は、用字や仮名づかいについて、柔軟な考え方を持っていたと解したい。
 なお、「富家」は金持ちの意味。〈フウカ〉とも読む。女子には〈ニョシ〉という振りがながあった。いすれも辞書に載っている言葉だが、今日ではあまり使われない。「尚」は、あえてひらがなにせず、漢字のままにしておいた。句読点を用いなかった時代においては、こうした漢字表記が、句読点に準ずる役割をはたし、文章の理解を助けていたということがあったからである。ちなみに、「尚」の振りがなは、原文では〈ナホ〉である。

今日の名言 2012・8・12

◎寄席の下足札が五十音でいけますか

 福沢諭吉の言葉。国語学者の大槻文彦は、1891年(明治24)、画期的な国語辞書『辞海』を完成させた。一本を持って福沢諭吉宅を訪問すると、福沢は「結構なものが出来ましたナ」と喜んだ。しかし、語順が五十音順になっているのに気づき、顔を顰めたという。大槻文彦「自伝」(『復軒旅日記』所収)による。なお、このときに大槻が持参した『辞海』は、既刊四冊を合綴〈ガッテツ〉したものだったと思われる。

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