巨人、大鵬、卵焼き…。
子どもの頃、本当に好きだったなあ、3つとも。
大相撲の大鵬親方が亡くなった。
相撲とりは短命が多い、というが、72歳。短命といってもよいだろう。
大鵬が横綱として活躍し出した頃、子どもの頃のわが家には、まだテレビがなかった。
テレビの置いてある近所の雑貨店に、「テレビを見せてください。」と人が集まったものだ。
特に、人がよく集まったのは、大相撲中継であった。
小学校入学前の私は、大鵬が大好きで、「大鵬!大鵬!」と言って応援しながら、テレビの大相撲中継を見せてもらったものだ。
ところが、応援の声が大きくなりすぎて、店の人から、「やかましい。うるさくするなら、出ていけ!」と、怒られたこともあった。
小学校時代は、しだいに、強すぎる大鵬が敗れると喜ぶ、「アンチ大鵬」になってしまった。
特に、小兵の「海乃山」という力士が好きで、立ち会いのけたぐりで何度か大鵬を倒すのを見て、すっかりファンになってしまったものだ。
人生でたくさんの苦労をかかえながらも、相撲界を背負って立っていた人だった。
性格的にもすばらしく、間違いなく、昭和の大横綱であった。
合掌。
子どもの頃、本当に好きだったなあ、3つとも。
大相撲の大鵬親方が亡くなった。
相撲とりは短命が多い、というが、72歳。短命といってもよいだろう。
大鵬が横綱として活躍し出した頃、子どもの頃のわが家には、まだテレビがなかった。
テレビの置いてある近所の雑貨店に、「テレビを見せてください。」と人が集まったものだ。
特に、人がよく集まったのは、大相撲中継であった。
小学校入学前の私は、大鵬が大好きで、「大鵬!大鵬!」と言って応援しながら、テレビの大相撲中継を見せてもらったものだ。
ところが、応援の声が大きくなりすぎて、店の人から、「やかましい。うるさくするなら、出ていけ!」と、怒られたこともあった。
小学校時代は、しだいに、強すぎる大鵬が敗れると喜ぶ、「アンチ大鵬」になってしまった。
特に、小兵の「海乃山」という力士が好きで、立ち会いのけたぐりで何度か大鵬を倒すのを見て、すっかりファンになってしまったものだ。
人生でたくさんの苦労をかかえながらも、相撲界を背負って立っていた人だった。
性格的にもすばらしく、間違いなく、昭和の大横綱であった。
合掌。