ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

亡父の37回忌と伯父逝去の報を受けた彼岸の中日

2020-09-22 21:15:00 | 生き方
彼岸の中日。
いつものように、墓参り。

ただ、今日は、墓参りの前に、菩提寺に行ってきた。
寺には、私たちと同様な目的で、集まった人たちがいた。

それは、法事である。
「○回忌」という法事なのだが、特定の個人のものばかりではない。
複数の檀家が集まって、住職から経をあげてもらうのである。

わが家では、亡父の37回忌の法事であった。
今までの法事では、すべて家族だけ、あるいは親類等を呼んで行っていた。
一般に33回忌か50回忌で弔い上げにするとのこと。
33回忌まではしっかりと行ったのだから、37回忌は、少し軽くてもいいかなと思ったのであった。
菩提寺では、彼岸の中日に複数の檀家が集まって法事を行うこともできると聞いて、今回はそうすることに決めた。

指定された時間前に寺に行ってみると、お堂にはすでに20人ぐらいの人々が集まっていた。
さすがに、皆マスクを着用していた。
座って待っていると、住職・副住職が準備を整えた頃、集まった人数は60人ぐらいになった。
結構な数がいるものだね。

読経が始まったが、べちゃべちゃしゃべる不心得者がいて、不快な思いをした。
住職たちにも、集まった人たちにも、ホトケ様にも、非常に失礼だゾ、まったく…。

感染症下なので、途中で焼香することもなく、読経は終わった。
お説教もなく、塔婆が配られて、会は終わった。
なんとも、あっけらかんとした会に感じた。
仕方がない。
これも、COVID-19 感染症の蔓延する時世なのだから、というわけだ。


その後、塔婆をもって、墓参りに行った。
墓の裏側に塔婆を立て、焼香。

37回忌の法事を終えた。

亡くなったときに、父は56歳であった。
あれから36年の月日が過ぎたのか、と、その年月の多さにある種感心もする。

夕方になって、亡母の兄だった伯父が96歳で命を終えたという連絡が入った。
7月に亡くなったその姉、104歳の伯母の葬儀では、しっかりと挨拶をしていた伯父だったのに、わずか2か月後とは。
長い人生を送ってきたのに、最期はあっという間だった。
「人生、そういうものだよ」と、父や伯父・伯母たちは改めて教えてくれているようにも感じる。

「ありがとうございました」と思いつつ、合掌。
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