ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

子どもの頃もよく熱を出していたことを思い出し…

2024-05-01 20:40:46 | 生き方
昨夜も高熱に苦しんだ。
薬は飲んでいても、1,2回の服用では効かないのか、夕方以降もずっと38℃台の熱が続いた。
夜中、寝ていても熱さで2時間おきくらいに目が覚め、熱を測ると38.9℃だとか38.6℃だとかが続き、一番高いときで39.4℃まで上がった。
さすがに、三晩も続けてしっかりした睡眠がとれないのは、きつい。
 
それにしても、寝込んでから治って、また1か月で寝込むなんて。
こういう生活って、子どものとき以来だなと思いながら寝ていた。
そう、子どもの頃の私は、体が弱かった。
特に、小学校低学年の頃には毎月のように熱を出し、医者の世話になっていたのだった。
そのたびに、3㎞ほど離れた医者から往診してもらい、よく注射をしてもらったものだ。
あの頃は、尻に注射を受けるのが普通だった。
尻だと目に見えないから、子どもの私にとってまだよかったけどね。
一度熱を出すと、回復までにだいたい3日くらいはかかったのだった。
今思うと、本当に母には迷惑をかけたと思う。
寝床のひ弱な私の様子を気遣ってくれていたことを思い出す。
食事もおかゆにしてくれたり、水枕を何度も取り換えてくれたり、缶詰の桃を食べさせてくれたり、いろいろしてもらったなあ…と思い出す。
あの頃の水枕のチャプチャプした感じは、今も皮膚と音の感覚で簡単によみがえるほどだ。
医者への連絡だって、あの頃は全家庭に電話があったわけではないから、電話がある家まで行って電話を借りてかけたのだろう。
そんなおかげで、息子はこうして67歳まで生きている。
父は、若いころ血の気盛んだったらしく16,17歳で志願兵となって訓練を受けた過去を持っていた。
だから、強く育てようとそれなりに厳しく私に当たっていた。
だが、ただでさえひ弱な私が、小学校高学年でいじめにあっていると知ってからは、その厳しさは少なくなった。
そんな父にはひ弱な息子で申し訳なかったが、今は父の享年より11年も多く生き続けている。
父は定年退職を全うできなかったが、私はそれをできてから、早くも何年もたった。
今生きていられるのも、あの両親のおかげなんだよなあ、と改めて思った。
熱のおかげで(?)、改めて両親のことを思い出す機会となった。
 
さて、なかなか下がらない熱だったが、今日は朝の38.3℃からしだいに熱が下がってきた。
このまま平熱に落ち着くことを期待しよう。
(代わりに咳がひどくなってきた…⤵)
 
 
 
 
 
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