1970年代後半というか、昭和50年代前半というか、その時代が自分が最もよく曲を聴いていた時代だった。
あの頃、洋楽は、私には詩が理解できず、何を歌っているのかわからないから、好きにはなれなかった。
素直に自分の思いを詞や曲に表すフォークとかニューミュージックとか言われたジャンルが、好きだった。
そして、多感な若い時代ゆえ(?)、自分の気持ちを代弁してくれるような歌い手を求めていた。
だから、今風にいえば、LPレコードを買って、自分だけの「推し」をもつのがあの頃の当たり前だった。
10年以上前にレコードから電子データに変換したが、あまり聴いていなかったものがある。
あの頃の自分が好きだった「推し」の曲を聴いてみたくなったので、埼玉でいろいろと作業をしたときに、そんな曲を流してみた。
代表的なものを2つ。
1つめは、みなみらんぼうの「みなみらんぼうべすとこれくしょん 人生と旅」。
「ウイスキーの小瓶」とか「人生は回転木馬」、「空っぽな心で」などを聴いて、うんうんとうなずいていた時代があったと、懐かしかった。
一番のお気に入りは、B面の最後の曲、「別れのバス」。
もう泣かないで さよならしましょう
最終のバスが すぐ駅を出ます
もう少し僕が 大人だったなら
君を幸せに できたかもしれない
こんなところは、自分の数少ない(?)経験の情景とダブっていたせいかもしれない。
別れてしまうのは、自分が未熟だったから。
そんなことを考えたりしていた。
若かったからね、感情がまっすぐだったんだよ。
だから、「ウイスキーの小瓶」の詩にあこがれてか、安いウイスキーもよく飲んだものだった。
2つ目は、松山千春の「君のために作った歌」「こんな夜は」。
前者は、デビューアルバムで、後者は2枚目のアルバム。
これらのアルバムは、いずれも「季節の中で」がヒットする前のもの。
デビューアルバムの中で特に気に入っていたのは、「大空と大地の中で」。
スケールが大きく、いかにも北海道人が作った歌だと思った。
松山千春を知ったのは、当時の一番の友人が北海道の十勝地方出身だったせいで松山千春を強く意識していて知っていたから、よく話を聞いたものだった。
その友人も、いかにも北海道人らしい大らかさを持っていた。
学生時代を終えて、しばらくは連絡が取れたのに、いつからか手紙も宛先不明で返ってきてしまうようになってしまった。
彼は、今頃どうしていることだろう?
生きているのだろうか…?
そして、2枚目のアルバム「こんな夜は」。
この中の曲たちを久々に聴きながら、しみじみと聴いてしまったのは「父さん」だった。
若者が、少しずつ齢をとっていく父親を歌った歌だった。
悲しいです 時の流れが
貴方をかえていくことが
小さく見える あなたのそばに
いつも僕が 父さん
貴方の明日に 幸あれと
貴方の明日に 幸あれと
私にとって、この歌を聴いていたころは、20代前半で、父は50代だった。
でも、この歌のような感覚があったということが思い出された。
この歌をきちんと聴いたのは何十年ぶりだろう?
もう、自分がその「父さん」の年齢を超えてしまっているのだ…。
昔の、若い頃の自分がよく聴いていたアルバム曲。
たまにはこうして聴いてみるのも、自分の人生を振り返ることになって、いいのかもしれない。
そんなことを思った時間だった。
あの頃、洋楽は、私には詩が理解できず、何を歌っているのかわからないから、好きにはなれなかった。
素直に自分の思いを詞や曲に表すフォークとかニューミュージックとか言われたジャンルが、好きだった。
そして、多感な若い時代ゆえ(?)、自分の気持ちを代弁してくれるような歌い手を求めていた。
だから、今風にいえば、LPレコードを買って、自分だけの「推し」をもつのがあの頃の当たり前だった。
10年以上前にレコードから電子データに変換したが、あまり聴いていなかったものがある。
あの頃の自分が好きだった「推し」の曲を聴いてみたくなったので、埼玉でいろいろと作業をしたときに、そんな曲を流してみた。
代表的なものを2つ。
1つめは、みなみらんぼうの「みなみらんぼうべすとこれくしょん 人生と旅」。
「ウイスキーの小瓶」とか「人生は回転木馬」、「空っぽな心で」などを聴いて、うんうんとうなずいていた時代があったと、懐かしかった。
一番のお気に入りは、B面の最後の曲、「別れのバス」。
もう泣かないで さよならしましょう
最終のバスが すぐ駅を出ます
もう少し僕が 大人だったなら
君を幸せに できたかもしれない
こんなところは、自分の数少ない(?)経験の情景とダブっていたせいかもしれない。
別れてしまうのは、自分が未熟だったから。
そんなことを考えたりしていた。
若かったからね、感情がまっすぐだったんだよ。
だから、「ウイスキーの小瓶」の詩にあこがれてか、安いウイスキーもよく飲んだものだった。
2つ目は、松山千春の「君のために作った歌」「こんな夜は」。
前者は、デビューアルバムで、後者は2枚目のアルバム。
これらのアルバムは、いずれも「季節の中で」がヒットする前のもの。
デビューアルバムの中で特に気に入っていたのは、「大空と大地の中で」。
スケールが大きく、いかにも北海道人が作った歌だと思った。
松山千春を知ったのは、当時の一番の友人が北海道の十勝地方出身だったせいで松山千春を強く意識していて知っていたから、よく話を聞いたものだった。
その友人も、いかにも北海道人らしい大らかさを持っていた。
学生時代を終えて、しばらくは連絡が取れたのに、いつからか手紙も宛先不明で返ってきてしまうようになってしまった。
彼は、今頃どうしていることだろう?
生きているのだろうか…?
そして、2枚目のアルバム「こんな夜は」。
この中の曲たちを久々に聴きながら、しみじみと聴いてしまったのは「父さん」だった。
若者が、少しずつ齢をとっていく父親を歌った歌だった。
悲しいです 時の流れが
貴方をかえていくことが
小さく見える あなたのそばに
いつも僕が 父さん
貴方の明日に 幸あれと
貴方の明日に 幸あれと
私にとって、この歌を聴いていたころは、20代前半で、父は50代だった。
でも、この歌のような感覚があったということが思い出された。
この歌をきちんと聴いたのは何十年ぶりだろう?
もう、自分がその「父さん」の年齢を超えてしまっているのだ…。
昔の、若い頃の自分がよく聴いていたアルバム曲。
たまにはこうして聴いてみるのも、自分の人生を振り返ることになって、いいのかもしれない。
そんなことを思った時間だった。