久々に、同和教育の研修会に参加してきた。
講演は、徳島県の中学校の先生である、森口健司先生。
市内の同業者の(?)皆様を中心に160名ほどが集まった。
第1部は、講演であった。
森口先生は、若い時から同和教育の実践者であった。
「全体学習」という手法で、生徒の心に響く同和教育の実践を展開した。
学級全体での話し合いを、学年全体の生徒たちを前に行うのである。
そして、生徒たちは、自分をさらけ出し、自分の考えを他の皆に伝える。
それには、勇気がいる。
誰しも、自分の考えを大勢の前で言う時は、ドキドキするものだ。
自分が受け入れられるかどうか、様々なことを考えたりする。
しかし、勇気をもって自分の本音を伝え合うことによって、そこに信頼が生まれ、固いきずなで結ばれた仲間集団が出来上がる。
…講演では、生徒や元生徒が自分をさらけ出して語る姿や、話し合う姿を映像で見せてくれた。
実際の姿だから、説得力があった。
第2部では、今度は、参加者たちの「全体学習」となった。
自分の今までの経験や考えを集まった参加者たちの前で、語るのである。
子どもでなくとも、挙手して発言するのは、ドキドキするものだ。
しかし、森口先生の働きかけのおかげで、次々と語る人が出てきた。
話を聞くたびに、これからのこの仕事に対して前向きになっていった。
そう。この「育業」は、子どもたちのために行うのだ。
子どもたちの力を伸ばし、子どもたち同士の信頼感を高め、生きていくために必要な力をつけていく。
それができるのは、まずは教師であろう。
そういうすばらしい仕事を私たちはしているのだ。
そのように森口先生は語っていた。
その思いは、参加者たちに伝わったのだ。
だから、発言者が連続したのだと思う。
会の終了後、私は、中学校教諭をしている女性の名を呼び、話しかけた。
彼女は、私が担任した最後の教え子の一人であった。
当時小学校5年生だった彼女は、今、中学校の国語の先生をしている。
彼女は、会の第2部で次々と話す人々の方を、後ろ向きでも必ず向いて、じっと見つめて耳を傾けて聴いていた。
そのことに感心したことを伝えた。
また、子ども一人一人のよさを見つけ、それを伝え、生きていく自信をつけていくのが私たちの仕事だよなあと話した。
「そうなんです。あの子たちは、すごく自己肯定感が低いのです。」
と、彼女は、身振りを交えながら話してくれた。
「まだまだ、全然できていないのです。」
と自らの仕事の未熟さを訴えていた。
でも、そういった未熟さを認められる人こそが、つらい子どもの気持ちが分かるのだと思う。
30代も前半を終え中盤に向かおうとしている彼女。
2児の母としてもがんばっている。
きっと、これからもいい仕事をしてくれることだろう。
「がんばって。」
握手をして別れた。
人が、人として、人を大切にすることができる。
そして、このよさを見つけ認め励ますことができる。
それができてこその専門職だと思う。
思いが同じ人の話を聴いたり、育業をがんばっている教え子と語り合ったりできた。
参加してよかったと思った。
今日はよい日であった。
講演は、徳島県の中学校の先生である、森口健司先生。
市内の同業者の(?)皆様を中心に160名ほどが集まった。
第1部は、講演であった。
森口先生は、若い時から同和教育の実践者であった。
「全体学習」という手法で、生徒の心に響く同和教育の実践を展開した。
学級全体での話し合いを、学年全体の生徒たちを前に行うのである。
そして、生徒たちは、自分をさらけ出し、自分の考えを他の皆に伝える。
それには、勇気がいる。
誰しも、自分の考えを大勢の前で言う時は、ドキドキするものだ。
自分が受け入れられるかどうか、様々なことを考えたりする。
しかし、勇気をもって自分の本音を伝え合うことによって、そこに信頼が生まれ、固いきずなで結ばれた仲間集団が出来上がる。
…講演では、生徒や元生徒が自分をさらけ出して語る姿や、話し合う姿を映像で見せてくれた。
実際の姿だから、説得力があった。
第2部では、今度は、参加者たちの「全体学習」となった。
自分の今までの経験や考えを集まった参加者たちの前で、語るのである。
子どもでなくとも、挙手して発言するのは、ドキドキするものだ。
しかし、森口先生の働きかけのおかげで、次々と語る人が出てきた。
話を聞くたびに、これからのこの仕事に対して前向きになっていった。
そう。この「育業」は、子どもたちのために行うのだ。
子どもたちの力を伸ばし、子どもたち同士の信頼感を高め、生きていくために必要な力をつけていく。
それができるのは、まずは教師であろう。
そういうすばらしい仕事を私たちはしているのだ。
そのように森口先生は語っていた。
その思いは、参加者たちに伝わったのだ。
だから、発言者が連続したのだと思う。
会の終了後、私は、中学校教諭をしている女性の名を呼び、話しかけた。
彼女は、私が担任した最後の教え子の一人であった。
当時小学校5年生だった彼女は、今、中学校の国語の先生をしている。
彼女は、会の第2部で次々と話す人々の方を、後ろ向きでも必ず向いて、じっと見つめて耳を傾けて聴いていた。
そのことに感心したことを伝えた。
また、子ども一人一人のよさを見つけ、それを伝え、生きていく自信をつけていくのが私たちの仕事だよなあと話した。
「そうなんです。あの子たちは、すごく自己肯定感が低いのです。」
と、彼女は、身振りを交えながら話してくれた。
「まだまだ、全然できていないのです。」
と自らの仕事の未熟さを訴えていた。
でも、そういった未熟さを認められる人こそが、つらい子どもの気持ちが分かるのだと思う。
30代も前半を終え中盤に向かおうとしている彼女。
2児の母としてもがんばっている。
きっと、これからもいい仕事をしてくれることだろう。
「がんばって。」
握手をして別れた。
人が、人として、人を大切にすることができる。
そして、このよさを見つけ認め励ますことができる。
それができてこその専門職だと思う。
思いが同じ人の話を聴いたり、育業をがんばっている教え子と語り合ったりできた。
参加してよかったと思った。
今日はよい日であった。