ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「がんばれ」より「がんばっているね」

2012-02-17 17:32:50 | 「育」業
 学校の行事に全校登山がある。
 「全校」だから、1年生も頂上を目指す。
 その登山中、がんばっているけど疲れてしまった1年生の子がいた。
「がんばれ。」
と励ましの声をかけた。
 すると、なんと、
「がんばれない。」
という声が返ってきた。
 え?がんばれない? 
 その返答のわけをじっくり考えたら、大人である自分自身の鈍感さに気付いた。
 「がんばれ」という言葉は、「命令形」の言葉なのだ。
 大人は励ましているつもりで発しているのだが、子どもにとっては、大人から命令されているように感じるのかもしれない、と思えてきた。
 そこで、「がんばれ」をやめて、「よくがんばっているね」と声をかけることにした。
 がんばりを認めて励ます言葉に変えたのです。
 すると、どうだろう。
 その子は、黙々と、懸命に歩いていくのだ。

 この言葉は、長距離走の記録会でも使ってみた。
 走っている子に、
「よくがんばっているぞ。えらい。」
と、声をかけていくのだ。
 声をかけられた子は、たいていその後、一生懸命走って行った。
 子どもたちは、自分ががんばっていることをまず認めてほしいのだ。
 認められるとさらにがんばることができるのだ。
 そんなことに気付かせてくれた「がんばれ」「よくがんばっているね」の言葉であった。

 新潟シティマラソンに出場したとき、脚の痛みが限界に来て、もう走れなくなった。
 ひたすら歩いているとき、「がんばれ」と応援された。
 しかし、「がんばれ」なかった。
 これ以上、がんばれないのだ。
 大人の声援はまだしも、沿道の子どもたちに「がんばれ~!」と叫ばれるのはつらかった。
 走らないのは、まるで、「やる気のない大人」のように見えただろうから。
 走らないのは、私は、「もう走れなかった」からである。

 子どもたちの生活にも、同様なことがあるのだろう。
 子どもたちだから、応援してあげようという気持ちで、「がんばれ」と声をかけていくのだが、「がんばっているね。」の方が、はるかによいようだ。

 一人一人のがんばる姿をみとめて、「がんばっているね、いいぞ。」と声をかけられる大人でありたい。
コメント
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