イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

「死」と「宗教」を考察してみた

2006年04月24日 15時37分50秒 | Weblog
猫の死骸を見て思った。
車を走らせているとき猫の死骸を見るとドキッとする。
特に轢かれて間もないであろう死骸などを見てしまった日には、本当に気が滅入ってしまう。
しかしよくよく考えてみると、このような感情は人間のみが持ちうるものであって、他のどの動物には決して見られない。
犬にも、猫にも、サルにも、兎に角こんな感情は絶対に持ち得ない。
それで僕は気がついた。
僕は何に嫌悪を感じているのか。
もちろん無残に轢かれたその状況にも嫌悪を感じているのだが、それ以上に、死に直面してしまったことに嫌悪を感じていたのだ。
死に対して嫌悪感や、恐怖を感じることが出来るのは人間のみ。
人間以外の生き物にとって、死骸は何の意味もなさない。カラスにとっては格好の餌であるし、犬や猫にとっても匂いをかいで素通りできるくらいの軽い存在なのだ。それは決して恐怖や、嫌悪の対象にはなり得ない。
この事実を知ったとき僕は、はっとした。
「死」という概念を知り、そしてその死を乗り越えるために宗教というものが生じてきたとするならば、宗教を持つということは実に人間らしい行為ということになりはしないか、、、、。
さらに逆説的に言えば、宗教を否定するということは、人間が人間たらしめている行為を否定することにはならないだろうか、、、、。
いずれにせよ、「死」を認識できるようになった人間には、宗教は切り離すことの出来ないものなのだと知った。今日一日でありました。

ちなみに写真は、日本橋で最も多く立ち小便が目撃されている場所です。見た目が公衆トイレによく似ているので、皆さん間違うのでしょうね。
もう我慢できん、としてしまうのですかねー。