イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

ジェンダーフリーに気をつけろ

2006年04月08日 23時33分53秒 | Weblog
悪しき平等概念はとうとうジェンダーフリーという思想を生み出してしまった。
ジェンダーフリーとは、簡単に言うと、男性であるとか、女性であるとかという性差は社会的に備わったものであるから、そのようなものを取っ払ってまずはひとりの人間であるというところから考えていきましょうというものである。
これがなぜ悪いのか。
一見とてもよさそうに聞こえるフレーズなのだが、これはいわゆる言葉のトリックである。
ジェンダーフリーとは性差をまったく無視した思想なのだ。男も女も本来変わりがない、性差というのは社会的に備わってしまったものというのが、この思想の骨格部分なのである。
でもそんなことは少し考えればおかしいと思うはず。
男と女が同じ?そうかー?
体のつくりからしてまったく違うではないか。それに最近では脳の働きでさえ男女では差があるといわれている。
確かに人間というレベルにおいては差異はないが、それは価値という意味においてだあって、決して性差がないわけではない。
また性差を認めることは決して差別につながるものでもない。
この思想は被差別意識に燃えるバカな左翼家と、授業そっちのけで左翼運動に没頭するあほな教師連中によって生み出された、まさしく膿のような思想である。
この思想の一番の被害者はなんと言っても小、中学校の子供たちであろう。
一例を挙げれば、着替えは同じ教室でさせる。修学旅行はどう部屋にする、体育の授業も分けることをせず、柔軟体操なども男女がペアになって行うなど、数えだしたらきりがないほどである。
思春期を迎えた子供たちが大人の監視もない部屋で一夜を明かすとなれば、それは考えるだに恐ろしい。
まるでフリーセックスを奨励しているようだ。
まともな親であるならばそんな修学旅行などには決して行かせたくないはずだ。特に女の子を持つ親であればなおさらだ。
ジェンダーフリーを許してはいけない。こんなバカな思想がまかり通ってしまっては日本の行く末が心配だ。
平等という衣を身にまとい、一見とてもよさそうに見えるこの恐ろしい思想に惑わされてはいけない。
こんなものがまかり通っては日本はいずれゲイ大国になってしまう。