日本男道記

ある日本男子の生き様

26:松本米三郎のけはい坂少将実はしのぶ

2012年11月04日 | 東洲斎写楽撰 全40点
26:松本米三郎のけはい坂少将実はしのぶ

この絵は寛政六年五月桐座上演の「敵討乗合話」に登場する役で、志賀大七に父を殺され、その敵を討つ姉妹、宮城野としのぶ。そのしのぶがこの図である。敵を尋ねるため、けはい坂の少将という名で遊女となったその姿である。写楽が半身図で、女形を描いた作のうちでは最も穏やかな描写である。それは米三郎が若く(このとき二十一歳)、舞台上の米三郎の美しさそのままに写楽が描いたためと思われる。つまり写楽は好んで異相を描くのではなく、その役者の舞台上の真を描くということを、この絵が証明しているといっていい。また眼もとには真剣味があり、口もとにはいいしれない真実味があるのも、敵を探す娘の心のうちが描かれている。この絵は派手な色彩がまた特色である。小豆色に麻の葉模様の着付け、下着は薄紅に貝絞りの下着、紅の襦袢を懐から右手で見せた派手な色彩は、ただ派手でなく、大きな帯の黒の部分がひきしめている。さらに、左手にもった煙管の斜めの直線が、画面に安定を与えている。

松本米三郎は、上方の女形四世芳沢あやめの子で、二世松本幸四郎の弟子の松本小次郎の養子となって松本米三郎となった。寛政時代の人気女形であったが、文化二年六月、三十一歳で没した。

東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2012/11/04)

2012年11月04日 | Daily Vocabulary
13816.subject(被験者、調査などの対象者)
He is the subject of a 360 review a while back.
13817.enviable(うらやましいほどの、人もうらやむ)
Tom is a great manager with an enviable list of career acheivement
13818.candor(率直さ、正直)
His candor and determination to heed the feedback he'd received eventually landed him a bigger role in the company.
13819.urge(強く勧める、勧告する、力説する)
Our CEO urges executives to share their 360 results with all thier direct reports.
13820.lieutenant(副官、補佐、身近な部下、懐刀)
Executives usually reveal their 360 feedback only to their closest lieutenant.
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