伊豆七島の伝説
“海難法師”
江戸時代の話です。
伊豆大島に伊豆七島を治める豊島忠松(とよしまただまつ)という代官が住んでいました。冷酷で悪名高い代官で厳しい年貢の取立てなど島民を苦しめていました。
あるとき代官が視察のため新島、利島、神津島、三宅島など島巡りを計画しました。
家来を従え大島から小船で出帆するとき、代官は「天気は大丈夫か?」と島民に聞きました。島民は1年中海に出て漁をして暮らしているので天気のことはよく知っています。風向きや雲行きの様子から明日の天気がどうなるか容易に判断できました。「大丈夫でございます」島民は答えました。実はそのとき本当は近い内に天気がくずれるかも知れないことを島民の誰もが予想していました。しかし、普段苦しめられている代官一行の船出のこと、「どうにでもなれ!海が荒れてみんな死んでくれたらいい!」とさえ思っていました。
代官一行が大島を出帆してまもなく急に風は強くなり雲は厚くなり雨まで降りだしました。そして潮流はいつもより強く中々船は前に進みませんでした。
やがて海は大時化になりました。そして代官の乗った小船はとうとう大波によって転覆してしまい、全員が死んでしまいました。丁度1月24日のことでした。
今でも1月24日になると代官豊島忠松の亡霊が「よくも騙しおったなー!」、と伊豆七島の家々を訪れその家に不幸をもたらすとされています。人々は「海難法師」と呼んで恐れています。そんな訳でその日島民はみんな家の中に閉じこもり1日中じっとしてるということです。そして玄関には厄除けの「トベラの葉」を吊るしておくのだそうです。
“海難法師”
江戸時代の話です。
伊豆大島に伊豆七島を治める豊島忠松(とよしまただまつ)という代官が住んでいました。冷酷で悪名高い代官で厳しい年貢の取立てなど島民を苦しめていました。
あるとき代官が視察のため新島、利島、神津島、三宅島など島巡りを計画しました。
家来を従え大島から小船で出帆するとき、代官は「天気は大丈夫か?」と島民に聞きました。島民は1年中海に出て漁をして暮らしているので天気のことはよく知っています。風向きや雲行きの様子から明日の天気がどうなるか容易に判断できました。「大丈夫でございます」島民は答えました。実はそのとき本当は近い内に天気がくずれるかも知れないことを島民の誰もが予想していました。しかし、普段苦しめられている代官一行の船出のこと、「どうにでもなれ!海が荒れてみんな死んでくれたらいい!」とさえ思っていました。
代官一行が大島を出帆してまもなく急に風は強くなり雲は厚くなり雨まで降りだしました。そして潮流はいつもより強く中々船は前に進みませんでした。
やがて海は大時化になりました。そして代官の乗った小船はとうとう大波によって転覆してしまい、全員が死んでしまいました。丁度1月24日のことでした。
今でも1月24日になると代官豊島忠松の亡霊が「よくも騙しおったなー!」、と伊豆七島の家々を訪れその家に不幸をもたらすとされています。人々は「海難法師」と呼んで恐れています。そんな訳でその日島民はみんな家の中に閉じこもり1日中じっとしてるということです。そして玄関には厄除けの「トベラの葉」を吊るしておくのだそうです。
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