private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

第15章 1

2022-07-17 16:21:23 | 連続小説

R.R


 店内で盛り上る連中を目にして、アラトの満足感は大きくなり、その余韻にひたっていた。
 今夜の『オールド・スポート』では、ひとつのウワサ話が、すべてのテーブルで話題の中心として語られている。
 土砂降りに近い夕立の雨の中、駆け込むように入ってきた人々で、店内はあっという間に満席となった。叩きつけるような雨は、しばらくのあいだ止みそうもないことが、窓から見える山々が灰色のモヤの中に消えていくことでもわかる。
 店内では誰が話すでもなく例の『ウワサ』で持ちきりになっている。自分の情報こそが正しいとばかりに、敢えて大声を出しまわりを牽制する者もいた。
 突然の来客の中、15あるすべてのテーブルがうまっており、大忙しで給仕をするミカの耳にも時折に届く『アカダ』・『ナイジ』の符丁が、何を意味しているのか気になってしかたがないのに、フロアと厨房を行ったり来たりでは話しがつながらず、悶々とする苛立ちだけが積み重なっていくばかりだった。
 アラトが出臼からの指示で、『ウワサ』を伝播すると、瞬く間にひろがっていき、その浸透具合がこの店の中でも実感でる。宣伝効果として申し分のない成果を上げているといえた。
 その出元が自分だけだとアラトは思っているので、まるで自分がこのサーキットを動かしているような気にもなる。もちろん出臼が使っているはアラトだけではない。
 アラトの次の仕事は『ウワサ』とともに広がった全体意見としての期待、つまり、話が膨らんで尾ひれ背びれがついた部分を刈り取り、出臼に報告することにあった。むしろそう言った地道な仕事の方をアラトに託されていた。
 集められた情報から、サーキットに来る観衆が何を望んでいるのか、それを具現化するための施策をどう準備しておけばよいのかをあらかじめ考え、段取りを整えておくことができる。
 馬庭のサロンがその手で牛耳られており、出臼にとって手の届かない不可侵領域な場所ならば、自分は観衆を手中に置き、人為的な操作により掌握し、共感を得ることで、馬庭に自分の価値を示す必要がある。
 そして、もうひとつ、各ツアーズを思いのままに動かすために、先手先手を見越して先に手を打っておくことで、他のGMに存在感を見せつけることができる。
 アラトは出臼にいろいろと含められ、甲洲ツアーズのゴウに声をかけていた。ゴウにも思うところはあったらしく、情報屋で事情通のアラトから聞きいておきたいことがあったのか、向こうから言い寄ってきたのは渡りに舟となった。
 まわりの活況に比べてふたりの座るテーブルは取り残されているようであった。アラトはゴウが苛立っているのをわかって、さらに焦らすように言葉を少なくして、ゴウが先走るのを待っている。
 情報源がこちらにあるのなら、あえて安売りする必要もなく、ゴウから言葉を引き出してからコチラの出方を決められる。
「エーッ! ホントに?」
「本当、本当、たのしみだよな。今度の週末は絶対ハズせねえ」
 つい今しがた席に付いたふたりづれも、さっそく例の話しをしはじめている。
 方々のテーブルでとり行われている浮ついた会話の数々が、余計にゴウの癪に障り、その話題の中心がナイジであるならば尚更で、腕を椅子の背もたれに掛け、身体を斜にしてそちらのテーブルに睨みをきかす。
 訳も分からず、いきなり厳つい男に睨まれる格好になった先の若者は、変に絡まれてもかなわないと、身をかがめ小声になっていった。
「チッ」舌打ちをして身体を正面に戻すゴウ、アラトは周りを見渡してニヤニヤとし、こんな状態だと言わんばかりの態度をとる。
「フン、どうやら単なるデマでもなさそうだな。なにやってんだ不破さんも」
 アラトはどのネタから小出しにしていこうか思案していると、不満を口にしたゴウは、いいかげんしびれを切らして切り込んでくる。
「もったいぶるなって、どうせ色々とニギってんだろ? それでどこにハメ込むつもりなんだ?」
「ゴウさん、それは、ウワサ通りじゃないんですか。今度の日曜日、本戦の前か、いやたぶん後でしょ… 」
 そこに、ふたりがオーダーした食事が運ばれてきた。アラトにはカレーライスが、ゴウはハンバーグステーキとチキングリルが大盛りのライスと共に配膳された。
 額の汗でも拭うかのようにミカは腕を額に当て周りを見渡し、最後に厨房に目をやり、ハンジが後ろを向いているのを確認すると。
「ねえねえ、アラトくん。なんかナイジがとんでもないことになってるみたいだけど、どうなってんの? どのテーブルからもそんな話しが聞えてくるけど、何かあったの?」
 ミカもアラトが情報通であると知っているので、これ幸いと問いただしてきた。ゴウにとってはじゃまくさい存在だとしても、さすがにミカを無下に追い払うわけにもいかず、黙って先に食事を済ませることにした。
 ミカはゴウに小さくあたまをさげ、アラトの脇にしゃがみ込んで話しを急かした。
「なんです、ミカさん知らないんですか。もう、結構なウワサになってんですよ。今日の本戦でナイジのヤツ、突然走ったと思ったら、なかなかのタイム出しちゃいましてね。おかげでオレも酷い目にあいましたよ… 」
 ゴウが何のことかと顔を上げる。ついタイム計測の時を思い出し、苦い記憶を愚痴ってしまった。
 カズナリにろくでもない話しを聞かされ、気分が悪くなったところへ、ロータスが最速タイムを出してお役御免で早々に引き返そうとしていたところ、まさかのナイジが好タイムでアラトが担当の第3計測所へ向かってきた。
 いまでも計測したタイムに自信が持てない中、そのタイムが区間最速となってしまったため、生きた心地がしなかった。トータルで見ればそのタイムが大きな誤差があるとも思えず、胸をなでおろした。結果的にナイジのタイムが取り消しになったおかげで、そこを追求されることはなくなったため、今は自慢話として披露していた。
 アラトは話しを元に戻す。
「あっ、そうは言っても、フィニッシュラインを越える前にスピンしちゃうし、それに車検後に無断でタイヤ交換したから、記録上はノータイムになるみたいですけどね。途中までは区間新も出して、あっ、それオレが計測してたんですけどね。いやあ、あとはゴールするばっかりだったんですけど、だからその区間新も公式記録にならないし」
「何で?」訝しがるミカ。
「うーん、建前としては、車検後のタイヤ交換が規則違反ってことになってますけど。たいしたタイヤ履いたわけでもないんで、それが何のアドバンテージにならないことはみんな知ってますよ。ようは、その方が次の対戦が盛り上がるってやつでしょ」
「不当な採決を受けて、観衆の同情を買う。ってことかしら?」
 ミカの合いの手にアラトはますます口が滑らかになっていく。ウワサを流すために、何度も喋ってきたことなので、ずいぶん流暢になってきた。
「そうそう、ただでさえ、相手のロータスは他所モンで。ほら、国民性ってやつで半官贔屓のところあるじゃないですか。そんな図式を作ってんでしょう。それも、これも、ナイジのヤツがあの走りで、サーキット全体を自分の味方に付けちまったからなんでしょうがね。お偉いさんは皆、金の成る方へたなびくから。おのずとソッチの方向へ持っていくんでしょ」
「ふーん、じゃあ、そんな苦境をバネに、ナイジの奮闘をみんなが期待するって寸法なの?」
「さあ、そこまでは… 」
 そう言いながらも、アラトはいかにも何かを知っていそうな顔つきだった。ミカはさらにアラトの機嫌を取りつつ、知ってることを洗いざらい喋らせようとしたところへ、厨房から鍋を叩く音が耳に入った。ミカが戻ってこないので、ハンジが次の料理が仕上がった合図を送っているのだ。
「あん、もお、いいところなのに。アラトくんまた後で聞かせてね、今日はゆっくりしてってちょうだいよ。コーヒーサービスするからね。あっ、お隣のひとも」
 ミカはゴウにも愛想をふり、後ろ髪を引かれながらも、しかたなくテーブルを離れていく。
 この会話の間に半分ほど食べ終わっていたゴウは、ミカのおかげで労せず自分の聞きたい話しを聞くことができた。
「なんだ、そういうシナリオだったのか。結局は上の方もニューヒーローを売り込もうって算段だ。本戦からはずして試作的なレースと思わせておけば、よしんばロータスが勝っても痛くない。もしナイジが勝てばもうけもの。なんにしろ、次の展開に引っ張って膨らますことができるってとこか」
 アラトはようやくカレーライスにスプーンを入れると、含みを持たせた言い方でゴウを挑発する。
「だからねえ、変に前座で盛り上がっちゃったら、その後の本戦が軽く見られちゃまずいでしょ。最悪、観衆に席でも立たれたら目も当てられないし。最後に持ってきて、本戦を見た後のお楽しみって方がいいんでしょうね。それで観衆がどっちに振れるのか、見極めたいってのもあるんじゃないですか。ナイジの扱いをどうするのかは、上も決めあぐねているみたいですよ」
 他人事のように言うが、そこまで上と精通していることを、さり気なくゴウに見せつけている。さらに言えば当日に至る前に観衆がどちらを求めているのか、その部分の反応を吸い上げるのも、アラトに与えられている命題だ。
 ゴウはアラトの意見と、上層部の方向性を掛け合わせて選択肢を模索すべく押し黙ってしまった。アラトは問題提起だけして、今はひたすらカレーを口に運び出す。
 混乱しはじめているゴウに、今日の本来の目的をいつ切り出そうか、間を測っていた。膨れ上がった頬のまま冷たい水を流し込み、ようやく口が空になったところで上目遣いにゴウの方を見る。
「そんなことより、いいんですか? ナイジみたいなポッと出に、いいとこ持ってかれちゃって。これまでゴウさん達が必死でやってきたツアーズが、踏み台にされてるんですよ」
 手に持ったスプーンでゴウを差す。
「おれに何を言わせなたいんだ?」
 突然、自分について振られたゴウは、アラトの挑発の真意を問いただす。
「こないだの走りはたまたま偶然だった。本当は大したことない。格好の舞台を用意してもらっておいて、そこでやらかしちまえばナイジだってもうお終いでしょ。いや、実際まだ、なにもしてないんだからナイジのヤツ。あの日がヤツの人生最良の日だったってことでもいいんじゃないですか」
「なんだ、さっきの話と違うじゃないか、いったいどっちに付くつもりなんだ」
「さあ? それはオレにはわかりませんから… それより、ゴウさん。ナイジのヤツ、陰でゴウさんのことひどく言ってるみたいですよ。口ばっかりで、大したこと無いとかどうとか。オレ、リクとアイツがそんな話してるの聞いちゃったんですよ」
 途端、ゴウの顔がピクピクと痙攣するのが見て取れた。
「なるほど、とんだスター気取りだ。今まで汗一つかかず、好き勝手やってきたヤツがいい目みるってのは旨くねえハナシだ」
「ですよね。つまり、結局はそこなんですよ、上のほうも実際は持て余してるみたいですし。これまでハスに構えて反体制的な態度をしてきたようなヤツでしょ? 変に人気が出ちゃったけど、どうせ上の言うこと聞く気もないから余計扱いづらいみたいで。上としたら少し暴れさせて使い切ったら消えてもらう方が都合いいんですよ。できれば担ぎ出した不破さんと一緒にね。そうすれば甲洲ツアーズの後釜は… 出臼さんはゴウさんのこと買ってるみたいですよ、不破さんの下で冷や飯食わされてかわいそうだって」
 できすぎた話ではあったが自分を評価されて嫌な気にはならない。そのうえで甘い言葉に乗らないように慎重に言葉を選んだ。
「そうやって、指宿ん時もタネ撒いたのか? オマエもいろいろと良いように使われてるんじゃないのか」
「そうかもしれませんけどね、オレだって、ここで生き残ってくにはやらなきゃならないことでもあるんです。どうせこれ以上速く走れるわけでなし、かといっていまさら他で職捜す気にもならない。ココでクルマ関係の仕事に関わっていきたいんですよ。オレみたいなヤツは便利屋でもなんでも、上に重宝されるようにならないと、代わりが誰でもできるなら存在価値なしじゃないですか。ロータスのヤツが居座るんなら、ますますオレになんかチャンスは無いでしょ。つまりもう走れないってことです。ナイジには悪いけど、競争社会なんだから。しょせんどこでも足の引っ張り合いはあるんだし。自分が勝ち残るためなら、誰かを踏み台にしてもしかたないと思ってますよ。誰だってきれいな手のままで生きてきたわけじゃないんだから」
 ゴウの言葉に対して反発心もありつつ、自分の立場を正当化しようとする思いが、驚くほどスムーズな言葉になって出てきた。他人から見れば自己中心的な意見と批判されかねないことも、自分の生きる道として正当化できる言葉を用意しなければ虚しくなるばかりで、そこには切実なる思いが含まれていた。
 突然真剣な口調になったアラトに少々面食らったゴウにも、キレイごとを言わないアラトに同意できる部分もあった。椅子に身体をあずけた身を低くして目を伏せる。
「まあ、別に、オマエを咎めるつもりは無い。オマエがやらなきゃ、別の誰かがやらされてることだ。しょせんは全体の総意、いや、上層部の金勘定のなれの果てか」
 アラトの立場をどうこう言える自分ではないことはゴウも十分わかっていた。それどころか年齢的なことを考えれば、自分の方がもっと早く考えてしかるべきだ。
 不破がジュンイチや今回のようにナイジに目を掛け、とっておきの持ち駒として立場を確立しようとしているいま、自分のツアーズ内での存在はぼやけていく一方で、将来に何の保証があるわけでもない。
 不破に恨みはないし、十分世話になったことはたしかだ。しかし、アラトの執着心を目にすれば自分の甘さだけが身にしみり、他人の心配をしている場合ではないとあらためて身につまされる。
「 …で、オレにどうしろと?」
「スイマセン、ちょっと、ひとりで喋っちゃいまして。あのう、それは、オレがどうのこうの言うことじゃないですから、ゴウさんの気持ち次第ですよ。ドライバーとしてこのまま終わるのか、アタマを取るか。不破さんのこともありますから、それでもノルのかソルのかはゴウさん次第です」
「ふうん、まあ、そうなるかな」
 腕を組み、天を仰ぐ、ナイジを貶めるにはレースで失敗させるのが最も効果的だ。とすればおのずと選択肢は決ってくる。再びひとりで考え事をしはじめたゴウを横目に、アラトは気付かれないようにほくそえんでいた。
 アラト自身の弱さを見せつつ話しの流れを作っていくのは、出臼からの入れ知恵だった。自分でも驚くほどに感情的に、心情に働きかけて話すことができ、まんまとゴウがハマっているのが良くわかる。人間は弱いものだ。それが自分の立場や将来に関わることならばなおさらだ。
――ゴウさんも、そんなんじゃあ、いつまで経っても遣われる側だぜ――
 出臼にとって、地崎や平良はそれほど問題ではなく、一度、死に体だった不破が、今回のことで唐突に目の上のタンコブになってきた。サーキットに対して影響力のないうちは良かったのに、手持ちの駒に力があるならば、放っておくわけにもいかない。
 ドライバー育成能力のある不破に、いつまでも大きな顔をされるのは煩わしいし、この先のこともある。組みづらい相手ならば、いっそ居なくなった方が助かる。恩を売った形でゴウをGMに充てれば、自分の手駒として扱うことができる。外堀から徐々に埋めていき、本丸を落す最終目的のためならば有効な手段だ。
 店の外の雨音が静かになってきた頃を見計らって、数組の客がそれを機に席を立ちはじめる。
 ゴウは難しい顔をして考え事をはじめたきり黙りこくってしまった。腕を組んだり、髪の毛を掻き揚げたり、額をコブシで突付いたりして、たえず身体を動かしている。その仕草を見ているアラトは自分の仕掛けでゴウがここまで、揺さぶられていることに対して快感さえ感じはじめる。
 そうすると、もっとゴウを揺さぶりたくなってきた。周りの席に人が少なくなってきたのをいいことに、せめてもの慰み代わりにと、取って置きのネタを披露しはじめる。
 ひとつの目的が達成され、よほど気が楽になったのだろう。いまここでゴウを相手にネタを披露する価値がどれほどあるかわからなくても、軽くなった口はもはや止められなかった。
「ゴウさんって、舘石さんの『ウワサ』って知ってます?」