マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。

公式ではなく非公式です。

西上作戦

2018-01-25 11:03:50 | 日記
【織田包囲網】

1573年。
室町幕府15代将軍足利義昭による織田包囲網が結成され、織田信長と徳川家康は苦しい戦いを強いられた。
そんな中、甲斐国武田信玄は織田家との同盟を破棄し京都へ向けて進撃する事を決めた。

山県昌景率いる部隊.秋山信友率いる部隊.信玄率いる主力部隊と北条援軍部隊が出撃。
武節城.長篠城などの徳川家の支城と岩村城などの織田軍の城を奪取。
そればかりか岩村城にいた織田信長の4男で後の織田勝長を人質に取る。

これを西上作戦

【前哨戦.一言坂・二俣城の戦い】
徳川家康は三河で山県昌景が侵攻しており8000人の兵力で武田軍主力と戦わなくてはいけなかった。
半分の戦力で出陣するが太田川の支流である三箇野川や一言坂で武田軍と衝突し敗北する。
本多忠勝や大久保忠佐らの活躍もあってなんとか逃れる。

武田家家臣小杉左近は本多忠勝と交戦した際

「武士の情けを心得ている者とみた、お名前を」(本多忠勝)
「小杉左近と申す乱心者、はようわしの気が変わらぬうちにいきなされ!」(小杉左近)
と言うやり取りがある。
理由は死を覚悟した本多隊の勇猛さに恐れたからと言われ。

小杉は
家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八
と言う狂歌をよんでいる。
二俣城の戦いで中根正照が防衛し善戦するが、給水手段を遮断され開城している。

【三方ヶ原本戦】
次々と城を落とされ浜松城で決戦する構えを取った。
しかし、武田軍はそれを無視し三河方面へ向かう。
鳴くまで待とう時鳥と我慢強いイメージのある徳川家康だが、この時の家康は若さゆえの血気盛んであり。

激怒して出陣、武田軍の背後を狙う。
坂を下って信玄を強襲し討ち取る作戦であるが。
それは罠であり、家康が目にしたのは待ち構える武田軍。
2時間戦うが、惨敗をしてしまい。

織田軍の佐久間信盛はあっけな撤退し、平手汎秀などの援軍の将が戦死。
鳥居忠広・本多忠真などの家臣が戦死した。

【撤退】
成瀬正一などの旗本を連れて浜松城へ退却する家康。
この時脱糞したと言われているが、一言坂の戦いで惨敗した際とも言われている。
夏目吉信、鈴木久三郎と言った家臣がそれまで武田軍の前に立ち奮戦の末戦死しながらも時間を稼ぎ、家康の逃走経路を確保した。
なんとか浜松城に帰還し、追ってくる山県昌景の軍勢に対し空城の計を使い撤退させた。

【僅かな反撃】
このままでは気がすまない家康は大久保忠世、天野康景に命じ。
犀ヶ崖付近に野営中の武田軍を夜襲し混乱させる。
混乱した一部が崖から落ちたり陣地や橋に見せかけ崖から落とすゲリラ戦を実行。
この時500名の武田兵が戦死した。

【信玄の死】
圧勝した武田信玄だが、野田城攻めの最中に病死する。
跡継ぎ勝頼に自身の死を三年隠せと言う遺言残して。

だが
この動きは織田信長に察知され重臣の柴田勝家や丹羽長秀・蜂屋頼隆・明智光秀に命じて近江石山城の山岡景友が降伏させている。

【戦後】
徳川家康は長篠城の奥平一族を寝返らせ、領地の奪回を果たす。
跡を継いだ勝頼の猛攻を受けるが、2年後の1575年に長篠の戦いで武田軍は壊滅。
以後、織田・徳川の攻撃を受け最終的に滅亡する。

この出来事は徳川家康に成長を促す事になる。


Xは戦死者
【徳川軍】
徳川家康
内藤信成
石川数正
酒井忠次
鳥居元忠
服部正成
本多忠勝
榊原康政
大久保忠世
大久保忠佐
成瀬正一
戸田忠次
渡辺守綱
水野忠重
島田重次
内藤正成
松平家忠
日下部定好
小栗久政
小笠原信興
中根正照×
本多忠真×
成瀬正義×
夏目吉信×
鳥居忠広×
鈴木久三郎×
青木貞治×
内藤正貞×
山口飛騨守×
佐脇良之×
長谷川橋介×
米津政信×
大久保忠寄×
石川正俊×
小笠原安次
小笠原安勝
小笠原安広×
など
【織田軍】
佐久間信盛
平手汎秀×
水野信元
など
【武田軍】
武田信玄
武田勝頼
武田信豊
穴山信君
馬場信春
内藤昌豊
山県昌景
高坂昌信
小山田信茂
真田信綱
米倉重継
小杉左近
小幡信貞
土屋昌続
など

【オススメ漫画リンク】
漫画で分かる三方ヶ原の戦い


この漫画は自分が好きなシリーズです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿