桐生悠々(政次)は、『新愛知』『信濃毎日』などの論説主幹を歴任し、神聖天皇主権大日本帝国政府軍部右翼と闘った。又、個人雑誌『他山の石』を発行し、欧米の新著を紹介し文明批評を行うとともに、反戦平和の主張を死に至るまで続けた人物である。以下に彼の死に際して送った挨拶状を紹介しよう。
「拝啓、残暑凌ぎ難き候に御座候にも拘わらず、益々御健勝奉大賀候。扨、小生「他山の石」を発行以来茲に八個年、超民族的超国家的に全人類の康福を祈願して筆を執り、孤軍奮闘又悪戦苦闘を重ねつつ今日に至候が、最近に及び政府当局は本誌を国家総動員法の邪魔物として取扱い、相成るべくは本誌の廃刊を希望致居候。小生は今回断然之を廃刊する事に決定致候。初刊以来終始変わらぬ御援助を賜り居候御厚情を無にする事は小生の忍び能わざる所に有之候えども、事情已むを得ず御寛恕を願上候。時偶小生の痼症咽喉カタル非常に悪化し流動物すら嚥下し能わざるように相成、やがてこの世を去らねばならぬ危機に到達致候故、小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せる事を歓迎致居候も、唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見る事なくして早くもこの世を去る事は如何にも残念至極に御座候。
昭和十六年9月 日
他山の石発行者 桐生政次 」
(2023年10月26日投稿)