図書館から借りてきた本で、ニューヨークの本を読んだ後、何の気なしに書棚を見たら、「ルート66」という本が目に付いた。
私が最初にアメリカ旅行をしたのが2000年の3月のことで、この時はラスベガスからグランド・キャ二オンを回ったおり、その時このルート66をほんの少しかすめたことがあった。
ルート66と言えば、私のような軽佻浮薄のアメリカかぶれには忘れられない思い出がある。
言うまでもなく、あのナットキングコールの歌と、昔のテレビ映画「ルート66」そのものである。
この本によるとナットキングコールの歌の方は1946年にホビー・ドループという人によって作られたとなっており、テレビ映画の方は1957年に製作されたとなっている。
1957年と言えば日本の言い方では昭和32年、私の年で丁度高校を終えるか終えない多感な時期に放映されたということになる。
この歌とテレビ映画との関連は定かには知らない。
このテレビ映画の主題歌であったのかどうか、そのあたりのことはよく知らないが、このテレビ映画「ルート66」は当時の若者の心を大いに魅了したことは確かだと思う。
バドとトッドという若者がシボレー・コルベットを駆って、道中でさまざまな出来事に出合いながら旅をするというストーリーであったと記憶する。
私は軽佻浮薄なアメリカかぶれを自認しているが、自分の目で初めてアメリカを見たのは2000年、平成12年であったが、その時見たアメリカは私のイメージを壊すものではなかった。
しかし、テレビの画面でしか見たことのないアメリカの光景と、本物のロケ―ションはやはり違っていて、本物に圧倒される思いがしたものである。
この時は観光旅行だったので、ガイドに案内されてバンでの移動であったが、窓外に見える光景は、これぞアメリカだと思わせるものであった。
テレビ映画をよく見ていたので、大体の想像はできていたが、やはり国土の広さを実感したものだ。
それが如実に現れるのが道路であって、日本の道路とは大いに違う。
この相違は、日本とアメリカという地勢的な要因で、なんともいた仕方ない面があるが、我々の国ではあらゆることが箱庭的に細やかにならざるを得ない。
そこに行くと、アメリカの大地はやはり大きくて広くて天に突き抜けるようなおおらかさがある。
我々の国土は狭いうえに急峻な山に囲まれているので、道路もその山を這うように縫うように作られているが、アメリカでは先が見えないほど一直線に伸びており、道は上下に浮き沈みしているが、我々の場合は左右にそれこそ紆余曲折している。
このアメリカの道路も自然にできたわけではなく、人々が知恵と汗をかき集めて築いたわけで、そういうことを成し遂げるところがアメリカ人の偉大な所だと思う。
アメリカ大陸に渡ってきたヨーロッパの人々は、結果的に大西洋から太平洋に至るまで鉄道を引き、道路を作ったわけで、こういうことが何故その地に有史以来住み続けてきたネイティブな人たちには出来なかったのか不思議でならない。
道、道路の有用性については、古代ローマの時代にすでにそのことは解っており、ローマ帝国はそれを取り入れて、道の整備を怠りなく行っていたわけで、それは生活道路であると同時に軍用道路でもあったわけで、人類の思いつくことは案外似たり寄ったりの部分があるということだ。
私の浅薄な知識によると、朝鮮民族は近代化がすぐそこまで迫ってくるまで、道路の重要性には全く無頓着であったという風に聞いている。
そういえば韓国のテレビ映画「チャングムの誓い」に出てくる集落の場面には、道らしい道が描かれておらず、野っぱらの中の小屋掛けという感じの民家が雑草の中に見え隠れするという風に描かれている。
それから察すると、彼の地では道路の有用性というものが近代にいたるまで見直されたことがないらしい。
その点、我々の国は大昔から5街道の整備ということがあったわけで、道に対する認識は一歩進んでいたように思う。
とはいうものの、戦後の、しかも21世紀という時代になると、我々の国では道路が大きな社会問題と化した。
例の高速道路無料化の問題で、民主党政権はこれをマニフェストに掲げて見たものの、いざ実行に移す段になると、様々な問題が噴出してきた。
私の考えでは、基本的に道路は無料にすべきだと思う。
しかし、日本のような狭い国土に車があふれるほど集中するとなると、その交通渋滞を放置しておくわけにもいかない。
よってバイパスを作って車の流れを分散させる手法をとらざるを得ず、そこで渋滞に巻き込まれずに目的地に行けるという経済効果が生まれ、付加価値のついた道路の建設ということが出てきた。
それと合わせて、用地買収の減価償却を利益者負担で解決する、という2重の意味で有料にせざるを得なかったに違いない。
アメリカの場合、砂漠の真ん中に一直線に道路を作って、後からその道路に人が集まるというのではなく、我々の場合は、人の住んでいるところを次々と結んでいかねばならず、尚そのうえ既得権の田や畑を犯すことなく、避けて通さねばならずアメリカと同じ発想ではありえない。
21世紀の今日、道路と言えば必然的にクルマのため道路ということになるが、こういう過去の発想はもう時代遅れではなかろうか。
今、都会の中での車での移動というのは完全に機能を喪失しており、メリットは何一つあり得ない。
大きな荷物とか重い荷物があるときはいた仕方ないが、身一つで移動するときは車のメリットは完全に失われている。
にもかかわらず人は車に乗りたがる。
私たちの世代が「ルート66」のテレビ映画に夢中になった時代は、わが国ではまだまだモーター・リゼイションに至ってはおらず、車を持つということは社会的なステータスであり、羨望のまなざしであり、大きな夢であった。
ところが今では自転車代わりぐらいの感覚で、ゴミを捨てに行くのにもそれを使っているわけで、完全に移動の道具になり下がってしまっている。
思えばこの間、約60年という開きがあるわけで、私のような人間までが車に乗っているということは、それだけでもう相対的な価値が下がったということであり、それが道路という道路からあふれているわけで、ならば有料で以て新たな価値観を提供する道路が出来ても不思議ではない。
私は常々思っていることであるが、鉄筋コンクリートの道路というのは、恒久的な施設であるわけで、そうたびたび改修工事をするものではない筈である。
ならばそういう施設には複数の目的を併せ持ったというか、多目的・多用途の複合施設のような発想が出来ないのかということである。
どこかの国では高速道路を戦闘機の発着に利用して、国防に資するということをしていると聞いたことがあるが、我々の国ならば海に囲まれているので、護岸堤防と道路を兼ね合わせることなどは当然考えられてしかるべきだと思う。
海岸や河川で、護岸工事は護岸工事で行い、その下に同じように道路工事をするなどということは実に無駄なことだと思う。
当然、道路の下には電話、電気、上下水道、ガス管というような社会的なインフラを集中的に埋設して、メンテナンスもそこで同時に行えるようにするなどというアイデアが出てもよさそうに思う。
昨今の東京の地下鉄は大いに整備されて実に便利になったが、この地下鉄についても、もう少し多用途に使う方法を考えてもいいのではなかろうか。
せっかく高いお金を掛けて地下にトンネルを掘るのだから、そのトンネルを地下鉄のみの単一使用ではなく、各種のインフラ整備にも合わせて使えるように工夫されても良いように思う。
例えばレールの下に電気や水道、ガスの管を敷設するなど、多用途に使えるよう工夫が施されてもいいと思う。
所管官庁が縦割りになっているのでそれは不可能だ、という言い分は実に思慮に欠けた物言いで、そんなことは最初から解っているからこそ、それを打破しなければならないわけで、それを推し進めるのが行政改革の理念ではないのかということだ。
今の日本で道路の事を考えるならば、鉄道との関係を十分に掘り下げて考えるべきだと思う。
例えば、車を列車に積んで都市間の移動は鉄道によるという方法を真剣に考えるべきだと思う。
高速道路の無料化も、東名・名神は除外されそうであるが、無料化になると有象無象の大衆が我も我もと群がるわけで、実にあさましい貧乏人根性を呈することになるが、都市間の移動を鉄道にゆだねれば、コスト削減にも大いに役立つと思う。
ただ鉄道と車の接点に問題が残っているわけで、ここを如何にスムースに繋げるか、という問題が解決されれば大いに考える値打ちが出てくると思う。
我々、大和民族というのは複合的な思考というのが極めて不得意なのかもしれない。
道路は道路、鉄道は鉄道、水道は水道、電気は電機、ガスはガスというように、それぞれに別々に縄張り争いをしているわけで、それを複合的に組み合わせて全体として一つの都市を形作るという考え方を苦手とするのかもしれない。
東京の地下に地下鉄用のトンネルを掘ったならば、そのトンネルに出来る限りの機能を併せ持たせるという発想には至らないわけで、このトンネルはあくまでも地下鉄用のものだ、とこだわり続けるのである。
このように複合的な思考が出来ないというのは日本人の特質であり、お役所仕事の縦割り行政の根幹をなすものであろう。
複合的な思考を日常的に考えておれば、我々の今日の在り方もかなり大きく変わっているに違いない。
例えば先に述べた鉄道の複合的な利用なども、それを推し進めればきっと輸送業務の効率化が可能だと思うが、相も変わらず一人の運転手が夜っぴきで運転し続けているわけで、高速道路は渋滞し、荷物が延着するということは計り知れない経済的な損失を被っているということだと思う。
運転手が個人的に披露するという問題を超えて、渋滞に嵌ることで他の運転手の疲労をも蓄積し続けているが、それが目に見えるものではないので、何となく見過ごされてしまっている。
東海道沿線、あるいは太平洋ベルト地帯の荷物の搬送を全て鉄道コンテナーに替えたならば、かなり良い環境が再現されるのではないかと思う。
ただそういうことをすると、その分、運転手がいらなくなるので、雇用の面で失業者が出るかもわからず、その意味からも現状維持が続いているのかもしれない。
アメリカはやはりどこからどう見ても我々の想像を絶する巨大な国だと思う。
というのは今述べたコンテナによる鉄道輸送を既に行っているわけすで、しかもコンテナーを2段に積んで鉄道で輸送している。
こういうことは我々の方では発想すらできないことである。
誰が考えても鉄道輸送の方が便利だ、という部分も残っているわけで、発想が均一化しないところがアメリカの強みだと思う。
このルート66がアメリカのマザー・ロードとして活躍したことは解るが、やはり如何に有名な道でも、時代の進化には勝てないようで、その意味では我々の東海道53次の運命とよく似た面がある。
道というものは一度作ったら未来永劫在り続けるというものではなさそうだ。
道そのものはいささかも進化しないが、その上を通るものが次から次へと進化してしまうわけで、片一方が元のままでもう一方が進化してしまえば、当然、合わないようになるわけで時代遅れとなり、新しいものが古いものに取って代ってしまう。
よって今ではこのルートも新しいインターステートという高速道路に寸断されてしまって、昔の面影もないらしいが、こうなると不思議なもので昔を懐かしがるものが出てきて、懐古趣味に耽るものがあらわれてくる。
しかし、若いころに見たアメリカ映画は実に楽しかったし、羨ましかったものだ。
そういう映画に出てくるアメリカの若者に、なんとも言えぬ憧れと羨望のまなざしで見ていたものだ。
我々が当時、1950年代、昭和30年代、そういう感情を抱いたということは、敗戦からほぼ10年近くが経ち、経済復興のとっかかりをつかみ、日本が徐々に右肩上がりの空気を感じていたころで、テレビでアメリカのこういう生活に触れて我々もああいう生活を目指そうと思っていたからではなかろうか。
丁度、我が家がそうであったように、この頃日本ではテレビが各家庭に普及しだして、テレビを通じて我々はアメリカ人の生活というものを目の当たりにしたので、こういう生活にあこがれたのは私一人ではなかったと思う。
ただ惜しむらくは、我々があこがれたのは、アメリカ人の家や、車や、生活様式のみで、彼らの深層心理については全く無頓着であったわけだ。
彼らはヨーロッパ人や、ユダヤ人や、黒人や、ヒスパニックを国内に内包しながら、U・S・アメリカを如何に一つに纏め上げてきたのか、という国家の根本にかかわるその根幹を知ろうとしなかった。
つまり、我々日本人とアメリカ人の精神的な相違の根本は民主主義の認識の違いだと思う。
この民主主義というものは、我々にとって輸入された概念であって、我々が古来からもっていた思考ではなかった。
我々は、野球がアメリカ伝来のスポーツであることは知っているが、アメリカ人が真に好むスポーツはむしろアメリカンフットボールである。
この二つのスポーツの大きな相違点は、野球は個人プレーに重きをおくが、アメリカンフットボールは徹底的な団体競技で、それぞれに国民性をモロに表している。
このチームで何かを成す、チームで事を進める、という発想が我々は不得意なわけで、どうしても個人が個人がという思考になってしまう。
個人が組織に磨り変っても、その組織が他の組織と連携して、という発想には至らないわけで、どうしても競争という形になってしまう。
お互いが競争するのと、お互いが連携し協力し合うのでは結果は完全に違ってくるわけで、こういうものの考え方を我々は苦手とする。
小さなコミュニティの中で、我々ならば和気藹藹と合議制でリーダ-も変わり番こに勤めて、わけ隔てなくトラブラないように気を使ってきたが、アメリカ人の発想ならば、誰か一人が元気な発言をして、それに賛同するものは黙ってついていくが賛同しないものはそのまま残る。
ついていくものも残るものも、お互いに自己責任なので、凶と出るか吉と出るかはわからないが、それが運命だと認識している。
ことほど左様に、我々とアメリカ人は発想の根本から相違があるわけで、この相違はそれぞれの地勢的な環境から生まれてきたものと考えなければならない。
日本の急峻な山と、アメリカの何処までも開けた大地では、物の考え方もおのずと違って当然だと思う。
私が最初にアメリカ旅行をしたのが2000年の3月のことで、この時はラスベガスからグランド・キャ二オンを回ったおり、その時このルート66をほんの少しかすめたことがあった。
ルート66と言えば、私のような軽佻浮薄のアメリカかぶれには忘れられない思い出がある。
言うまでもなく、あのナットキングコールの歌と、昔のテレビ映画「ルート66」そのものである。
この本によるとナットキングコールの歌の方は1946年にホビー・ドループという人によって作られたとなっており、テレビ映画の方は1957年に製作されたとなっている。
1957年と言えば日本の言い方では昭和32年、私の年で丁度高校を終えるか終えない多感な時期に放映されたということになる。
この歌とテレビ映画との関連は定かには知らない。
このテレビ映画の主題歌であったのかどうか、そのあたりのことはよく知らないが、このテレビ映画「ルート66」は当時の若者の心を大いに魅了したことは確かだと思う。
バドとトッドという若者がシボレー・コルベットを駆って、道中でさまざまな出来事に出合いながら旅をするというストーリーであったと記憶する。
私は軽佻浮薄なアメリカかぶれを自認しているが、自分の目で初めてアメリカを見たのは2000年、平成12年であったが、その時見たアメリカは私のイメージを壊すものではなかった。
しかし、テレビの画面でしか見たことのないアメリカの光景と、本物のロケ―ションはやはり違っていて、本物に圧倒される思いがしたものである。
この時は観光旅行だったので、ガイドに案内されてバンでの移動であったが、窓外に見える光景は、これぞアメリカだと思わせるものであった。
テレビ映画をよく見ていたので、大体の想像はできていたが、やはり国土の広さを実感したものだ。
それが如実に現れるのが道路であって、日本の道路とは大いに違う。
この相違は、日本とアメリカという地勢的な要因で、なんともいた仕方ない面があるが、我々の国ではあらゆることが箱庭的に細やかにならざるを得ない。
そこに行くと、アメリカの大地はやはり大きくて広くて天に突き抜けるようなおおらかさがある。
我々の国土は狭いうえに急峻な山に囲まれているので、道路もその山を這うように縫うように作られているが、アメリカでは先が見えないほど一直線に伸びており、道は上下に浮き沈みしているが、我々の場合は左右にそれこそ紆余曲折している。
このアメリカの道路も自然にできたわけではなく、人々が知恵と汗をかき集めて築いたわけで、そういうことを成し遂げるところがアメリカ人の偉大な所だと思う。
アメリカ大陸に渡ってきたヨーロッパの人々は、結果的に大西洋から太平洋に至るまで鉄道を引き、道路を作ったわけで、こういうことが何故その地に有史以来住み続けてきたネイティブな人たちには出来なかったのか不思議でならない。
道、道路の有用性については、古代ローマの時代にすでにそのことは解っており、ローマ帝国はそれを取り入れて、道の整備を怠りなく行っていたわけで、それは生活道路であると同時に軍用道路でもあったわけで、人類の思いつくことは案外似たり寄ったりの部分があるということだ。
私の浅薄な知識によると、朝鮮民族は近代化がすぐそこまで迫ってくるまで、道路の重要性には全く無頓着であったという風に聞いている。
そういえば韓国のテレビ映画「チャングムの誓い」に出てくる集落の場面には、道らしい道が描かれておらず、野っぱらの中の小屋掛けという感じの民家が雑草の中に見え隠れするという風に描かれている。
それから察すると、彼の地では道路の有用性というものが近代にいたるまで見直されたことがないらしい。
その点、我々の国は大昔から5街道の整備ということがあったわけで、道に対する認識は一歩進んでいたように思う。
とはいうものの、戦後の、しかも21世紀という時代になると、我々の国では道路が大きな社会問題と化した。
例の高速道路無料化の問題で、民主党政権はこれをマニフェストに掲げて見たものの、いざ実行に移す段になると、様々な問題が噴出してきた。
私の考えでは、基本的に道路は無料にすべきだと思う。
しかし、日本のような狭い国土に車があふれるほど集中するとなると、その交通渋滞を放置しておくわけにもいかない。
よってバイパスを作って車の流れを分散させる手法をとらざるを得ず、そこで渋滞に巻き込まれずに目的地に行けるという経済効果が生まれ、付加価値のついた道路の建設ということが出てきた。
それと合わせて、用地買収の減価償却を利益者負担で解決する、という2重の意味で有料にせざるを得なかったに違いない。
アメリカの場合、砂漠の真ん中に一直線に道路を作って、後からその道路に人が集まるというのではなく、我々の場合は、人の住んでいるところを次々と結んでいかねばならず、尚そのうえ既得権の田や畑を犯すことなく、避けて通さねばならずアメリカと同じ発想ではありえない。
21世紀の今日、道路と言えば必然的にクルマのため道路ということになるが、こういう過去の発想はもう時代遅れではなかろうか。
今、都会の中での車での移動というのは完全に機能を喪失しており、メリットは何一つあり得ない。
大きな荷物とか重い荷物があるときはいた仕方ないが、身一つで移動するときは車のメリットは完全に失われている。
にもかかわらず人は車に乗りたがる。
私たちの世代が「ルート66」のテレビ映画に夢中になった時代は、わが国ではまだまだモーター・リゼイションに至ってはおらず、車を持つということは社会的なステータスであり、羨望のまなざしであり、大きな夢であった。
ところが今では自転車代わりぐらいの感覚で、ゴミを捨てに行くのにもそれを使っているわけで、完全に移動の道具になり下がってしまっている。
思えばこの間、約60年という開きがあるわけで、私のような人間までが車に乗っているということは、それだけでもう相対的な価値が下がったということであり、それが道路という道路からあふれているわけで、ならば有料で以て新たな価値観を提供する道路が出来ても不思議ではない。
私は常々思っていることであるが、鉄筋コンクリートの道路というのは、恒久的な施設であるわけで、そうたびたび改修工事をするものではない筈である。
ならばそういう施設には複数の目的を併せ持ったというか、多目的・多用途の複合施設のような発想が出来ないのかということである。
どこかの国では高速道路を戦闘機の発着に利用して、国防に資するということをしていると聞いたことがあるが、我々の国ならば海に囲まれているので、護岸堤防と道路を兼ね合わせることなどは当然考えられてしかるべきだと思う。
海岸や河川で、護岸工事は護岸工事で行い、その下に同じように道路工事をするなどということは実に無駄なことだと思う。
当然、道路の下には電話、電気、上下水道、ガス管というような社会的なインフラを集中的に埋設して、メンテナンスもそこで同時に行えるようにするなどというアイデアが出てもよさそうに思う。
昨今の東京の地下鉄は大いに整備されて実に便利になったが、この地下鉄についても、もう少し多用途に使う方法を考えてもいいのではなかろうか。
せっかく高いお金を掛けて地下にトンネルを掘るのだから、そのトンネルを地下鉄のみの単一使用ではなく、各種のインフラ整備にも合わせて使えるように工夫されても良いように思う。
例えばレールの下に電気や水道、ガスの管を敷設するなど、多用途に使えるよう工夫が施されてもいいと思う。
所管官庁が縦割りになっているのでそれは不可能だ、という言い分は実に思慮に欠けた物言いで、そんなことは最初から解っているからこそ、それを打破しなければならないわけで、それを推し進めるのが行政改革の理念ではないのかということだ。
今の日本で道路の事を考えるならば、鉄道との関係を十分に掘り下げて考えるべきだと思う。
例えば、車を列車に積んで都市間の移動は鉄道によるという方法を真剣に考えるべきだと思う。
高速道路の無料化も、東名・名神は除外されそうであるが、無料化になると有象無象の大衆が我も我もと群がるわけで、実にあさましい貧乏人根性を呈することになるが、都市間の移動を鉄道にゆだねれば、コスト削減にも大いに役立つと思う。
ただ鉄道と車の接点に問題が残っているわけで、ここを如何にスムースに繋げるか、という問題が解決されれば大いに考える値打ちが出てくると思う。
我々、大和民族というのは複合的な思考というのが極めて不得意なのかもしれない。
道路は道路、鉄道は鉄道、水道は水道、電気は電機、ガスはガスというように、それぞれに別々に縄張り争いをしているわけで、それを複合的に組み合わせて全体として一つの都市を形作るという考え方を苦手とするのかもしれない。
東京の地下に地下鉄用のトンネルを掘ったならば、そのトンネルに出来る限りの機能を併せ持たせるという発想には至らないわけで、このトンネルはあくまでも地下鉄用のものだ、とこだわり続けるのである。
このように複合的な思考が出来ないというのは日本人の特質であり、お役所仕事の縦割り行政の根幹をなすものであろう。
複合的な思考を日常的に考えておれば、我々の今日の在り方もかなり大きく変わっているに違いない。
例えば先に述べた鉄道の複合的な利用なども、それを推し進めればきっと輸送業務の効率化が可能だと思うが、相も変わらず一人の運転手が夜っぴきで運転し続けているわけで、高速道路は渋滞し、荷物が延着するということは計り知れない経済的な損失を被っているということだと思う。
運転手が個人的に披露するという問題を超えて、渋滞に嵌ることで他の運転手の疲労をも蓄積し続けているが、それが目に見えるものではないので、何となく見過ごされてしまっている。
東海道沿線、あるいは太平洋ベルト地帯の荷物の搬送を全て鉄道コンテナーに替えたならば、かなり良い環境が再現されるのではないかと思う。
ただそういうことをすると、その分、運転手がいらなくなるので、雇用の面で失業者が出るかもわからず、その意味からも現状維持が続いているのかもしれない。
アメリカはやはりどこからどう見ても我々の想像を絶する巨大な国だと思う。
というのは今述べたコンテナによる鉄道輸送を既に行っているわけすで、しかもコンテナーを2段に積んで鉄道で輸送している。
こういうことは我々の方では発想すらできないことである。
誰が考えても鉄道輸送の方が便利だ、という部分も残っているわけで、発想が均一化しないところがアメリカの強みだと思う。
このルート66がアメリカのマザー・ロードとして活躍したことは解るが、やはり如何に有名な道でも、時代の進化には勝てないようで、その意味では我々の東海道53次の運命とよく似た面がある。
道というものは一度作ったら未来永劫在り続けるというものではなさそうだ。
道そのものはいささかも進化しないが、その上を通るものが次から次へと進化してしまうわけで、片一方が元のままでもう一方が進化してしまえば、当然、合わないようになるわけで時代遅れとなり、新しいものが古いものに取って代ってしまう。
よって今ではこのルートも新しいインターステートという高速道路に寸断されてしまって、昔の面影もないらしいが、こうなると不思議なもので昔を懐かしがるものが出てきて、懐古趣味に耽るものがあらわれてくる。
しかし、若いころに見たアメリカ映画は実に楽しかったし、羨ましかったものだ。
そういう映画に出てくるアメリカの若者に、なんとも言えぬ憧れと羨望のまなざしで見ていたものだ。
我々が当時、1950年代、昭和30年代、そういう感情を抱いたということは、敗戦からほぼ10年近くが経ち、経済復興のとっかかりをつかみ、日本が徐々に右肩上がりの空気を感じていたころで、テレビでアメリカのこういう生活に触れて我々もああいう生活を目指そうと思っていたからではなかろうか。
丁度、我が家がそうであったように、この頃日本ではテレビが各家庭に普及しだして、テレビを通じて我々はアメリカ人の生活というものを目の当たりにしたので、こういう生活にあこがれたのは私一人ではなかったと思う。
ただ惜しむらくは、我々があこがれたのは、アメリカ人の家や、車や、生活様式のみで、彼らの深層心理については全く無頓着であったわけだ。
彼らはヨーロッパ人や、ユダヤ人や、黒人や、ヒスパニックを国内に内包しながら、U・S・アメリカを如何に一つに纏め上げてきたのか、という国家の根本にかかわるその根幹を知ろうとしなかった。
つまり、我々日本人とアメリカ人の精神的な相違の根本は民主主義の認識の違いだと思う。
この民主主義というものは、我々にとって輸入された概念であって、我々が古来からもっていた思考ではなかった。
我々は、野球がアメリカ伝来のスポーツであることは知っているが、アメリカ人が真に好むスポーツはむしろアメリカンフットボールである。
この二つのスポーツの大きな相違点は、野球は個人プレーに重きをおくが、アメリカンフットボールは徹底的な団体競技で、それぞれに国民性をモロに表している。
このチームで何かを成す、チームで事を進める、という発想が我々は不得意なわけで、どうしても個人が個人がという思考になってしまう。
個人が組織に磨り変っても、その組織が他の組織と連携して、という発想には至らないわけで、どうしても競争という形になってしまう。
お互いが競争するのと、お互いが連携し協力し合うのでは結果は完全に違ってくるわけで、こういうものの考え方を我々は苦手とする。
小さなコミュニティの中で、我々ならば和気藹藹と合議制でリーダ-も変わり番こに勤めて、わけ隔てなくトラブラないように気を使ってきたが、アメリカ人の発想ならば、誰か一人が元気な発言をして、それに賛同するものは黙ってついていくが賛同しないものはそのまま残る。
ついていくものも残るものも、お互いに自己責任なので、凶と出るか吉と出るかはわからないが、それが運命だと認識している。
ことほど左様に、我々とアメリカ人は発想の根本から相違があるわけで、この相違はそれぞれの地勢的な環境から生まれてきたものと考えなければならない。
日本の急峻な山と、アメリカの何処までも開けた大地では、物の考え方もおのずと違って当然だと思う。