Brawn GP & SAF1 & HRF1 - Fan

 F1 メインっス。
 外野から好き勝手な事をギャースカ喚いています。

結構、速いジャン

2006年02月28日 11時31分30秒 | SUPER AGURI
先日のバルセロナテストで、待ちに待ったSAF1のテスト走行が行われたのですが、3日目に我等が琢磨が19秒7と言うタイムを出しました。
その前の日にユージのタイムがが24秒4だったので、いくら初コース・初F1で路面状況も良くなかったのかも知れないとはいえ、このタイムにはショックを受けていたんですが、琢磨のタイムは予想以上です。
私は21秒を切れればと思っていました。

しかし、その日のトップはバトン様で13秒9。
これは昨年の同時期のトップタイム(ルノー・アロンソ)と一緒ぢゃないですか。
速え~。

まだSAF1マシンはやっと走れる程度の状態なんで、今回のテストで得たデータを基に信頼性をアップさせてもらいたいものです。
あとは直前にシルバーストーンでのテストを予定しているとの事なんで、その時は完全2006年レギュレーションに沿ったマシンを2台揃えて、ユージ共々もっと多い走り込みが出来るまで持っていって欲しいものです。

遂に決定

2006年02月16日 17時38分43秒 | SUPER AGURI
スーパーアグリF1のドライバーが遂に決定しましたね。
我等が琢磨と、遅咲きイケメン井出有治。

ずっと前から確定的と言われながらなかなか発表されず、少なからずヤキモキしましたが、良かった~。
マシンの方はバレンタインデー~昨日と、イギリスの空港滑走路でシェイクダウンを行なったそうで、以前より2月中旬に行なうといっていましたが、こちらも予定通り。

順調じゃないですかっ。

今回の走行は普通に走れるか確認するためだけのもので、4年前のアロウズのマシンそのまんま。フロントウイングなんかは今年のレギュレーションに合ってない物ではあるらしいですが、まずは最初の一歩。
これなら予定通り、来週21日からのバルセロナ合同テストに参加してくることでしょうし、その時は今年のレギュレーションに合ったマシンを作ってきてくれることを期待してます。

遅いのは仕方ないにしてもどれくらいおちるのか?
あと、マシンのカラーリングは報道通りなんでしょうが、ウエア等のデザインがすごく気になります。
楽しみ。


あと、ブログタイトル変えました。
気分一新で、’06年の応援に励みたいと思います。

バトン様 PART II

2006年02月09日 17時50分31秒 | F1
誠にご無沙汰だった、更新。
新年も明けてまくり、もうおめでたいもクソもありゃぁしません。
でも、明けましておめでとうゴザイマス。

この度、スーパーアグリF1チームの参戦許可がおりまして、我等が琢磨は今季もグリッドに並べそうなのでホッとしております。(BARも、Honda Racing F1になってしまいましたし、そろそろブログタイトルも変えねば)
この話についても色々ありますが、とりあえずはほったらかしになっていたこの方のレースキャリアについて。


本名:ジェンソン・アレクサンダー・リオン・バトン   現在26歳
通称:バトン様

 この方がカートを始めたのは5歳。
 で、F1に初めて関わったのは1999年。
 プロストプジョーでテスト走行を行い、当時19歳の若者はF1での早さを周囲に見せ付ける。(話題になるほどではなかったが)

 2000年。
 弱冠20歳で、F3000はおろか、F3のチャンピオンにもなっていない(イギリスF3で3位)のに、名門ウィリアムズのレギュラードライバーの座を射止める。
 チームメイトは、当時F1キャリア4年目ですでに表彰台にあがること6回、とっくの昔に兄の七光りを卒業していたラルフ・シューマッハ。
 チームも、来季はカートチャンピオンのファン・パブロ・モントーヤを走らせることが決まっており、バトン様はそれまでの“つなぎ”なだけで、ほとんど期待されていなかった。
 しかし、結果は獲得ポイントが、ラルフ:24ポイント(ランキング5位)に対し、バトン様:12ポイント(同:8位)。
 前年、同じウィリアムズにCARTチャンピオントとして鳴り物入り的な形でF1界に戻ってきたザナルディが同じチームメイトだったラルフ:35ポイントに対し、ゼロポイントで、3年契約のところを1年でクビ切られたことを考えると、バトン様はデビューイヤーでここまでやっちゃう大予想外の健闘を果たし、シンデレラボーイと言われる。

 そこで、ウィリアムズは“こんな有能な若者を手放せねぇ~よ”と言う事で、ベネトン・ルノーに“レンタル移籍”という形をとる。
 いうなれば、ここが去年と一昨年に渡り、揉めに揉めたバトン契約問題の始まりと言えるでしょう。

 そして、2001年。
 皇帝シューマッハを擁し、圧倒的な強さでチャンピオンを獲った(1995年)時とは程遠い姿に変わり果てたこのチームで、試練の日々を過ごし、前年度の大活躍で得た評価がガラガラ崩れる。
 シーズン獲得ポイントはわずか2ポイントでランキング17位。
 チームメイトはフィジケラで獲得ポイントは8ポイントの11位。
 バトン様はこのシーズンを自ら「僕の人生の中で唯一後退した1年」とまで言う。
 しかし、この年と次の年の非常に繊細で扱いにくいルノーのマシンをドライブすることで、現在の丁寧で安定した運転を身につけるのだが。

 2002年。
 ルノーはベネトンを買収して、ルノーワークスとなる。
 が、劇的には速くならず。
 それでもバトン様は前年よりはずいぶん多い14ポイント(7位)を獲得する。
 チームメイトは当時既にF1キャリア6年目のあのヤルノ・トゥルーリで、9ポイント(8位)。
 難敵トゥルーリより良い成績を収めたにもかかわらず、予選では負けることが多く、不調だった前年のイメージが尾を引き、ブリアトーレに首を宣言される。
ルノーとの付き合いは2年で終わる。

 2003年。
 BAR Hondaに移籍。
 元ワールドチャンピオン。BARがF1参入時よりずっと在籍し続ける絶対的エースドライバー、ビルヌーヴのチームメイトに。
 ずっと、このビルヌーヴから批判され続けたが、我慢して上回る成績を挙げる。 バトン様:17ポイント・9位。
 ビルヌーヴ:6ポイント・16位。(ビルヌーヴは当時のデビッド・リチャーズ代表とも大不仲で、日本GP前でチームを辞め、琢磨の電撃参戦&歓喜の6位入賞へと導いてくれた)
 日本GP・USGPではトップ快走も。これでバトン様はBARのエースドライバーとなる。

 2004年。
 チームメイトは我等が琢磨に。
 このシーズンで真のトップドライバー入りしたと言ってい良いでしょう。
 初のポールポジション獲得。
 表彰台にあがること10回。
 フェラーリ独走だったシーズンで、フェラーリドライバーに次ぐ3位・85ポイントを獲得する。
 チームメイトの我等が琢磨は34ポイントで8位。
 が、バトン様はBARとあと1年契約が残っているのも関わらず、ウィリアムズと契約が成立したからBARから出る。と、例の騒ぎの第1段が発生。
 一説には、バトン様がリチャーズのことが嫌いで(ドライバーからよく嫌われるなぁ?)BARを出たかったとか。
 裁判の結果、BARに残ることとなり、昨季終盤の今度は残留希望騒動へと続く。

と、まぁ、簡単ではありますが、長々と書きました。
現在、最も初優勝を期待されいるドライバーでしょう。
今季のチームメイトはバリチェロ。一体どっちが速いのか?
Hondaとは5年契約を結んだとか言われてますが、またイザコザを起こさないでもらいたいと願う。