羽幌には1823、ほぼ定刻に着いた。この駅は天売、焼尻への玄関口。それ以外に立ち寄る観光客もないせいか、駅の売店のオッサンがSに「島に行くの」と問いかけている。
駅を出てYHへ急ぐ。駅前通を左に折れて、羽幌の町を通る広い道を南へと歩く。どうやら、あの男みたいな女と男もYHに向かう様子である。我々の前には、この二人ともう一人男が歩いている。他に人影もなく、ここもまた静かな町だ。
YHのガイドブックには歩いて15分とあるが、羽幌線を越える道にたどり着くまでに15分位かかった。りっぱな役場を右手に見た後左に折れる。線路を越えると右手に夕闇の中に池が見える。このあたりは公園のようだ。その向こうにYHらしき建物がある。ひっそりした小高い丘の中腹にある。
YHに着くと、我々の前を歩いていたさっきの3人が受付にいる。例のごとくカードに必要事項を記入。ここのYHは全員にシーツを出してくれる。私はシーツを持ってきたと言うと、シーツ代は取っていないから使えと言う。
我々の部屋は変な名前のついた鳥の名前である。カーペットを敷いた集会室らしきところを抜け、連絡道のような廊下を通り、右に曲がるとさらに長~い廊下が続く。その突き当りを左に折れたところに部屋が並んでいる。Sが、「小学校の建物見たいや」と言ったが、なるほどそのような建物で、食堂などは教室のようである。
食事は、新聞紙を上に載せてテーブルの上に置いてあった。味噌汁、メシはそれぞれジャーの中に入れてあり暖かい。おかずも良かった。魚があったのを覚えているが、他は思い出せない。今回の旅で泊まったYHの夕食はどこも内容の悪いものはなかった。
夕食後フロに入る。このYH内に 張り出してある日課表には、フロは7時30分までとしてあった。夕食を食べ終わると7時30分を回っていたが、YHに着いて受付で金を払っている時に、「フロ入れます」 と言っていたのを信用してフロへ行く。 誰もいなかったが、まだ入れるようだ。私が入るとすぐに同室者らしき真っ黒に日焼けした二人組が入ってきた。彼らは車で来たと言う。Sはトイレで、ちょっと遅れてやって来た。
フロを出て自室へ戻ろうとすると、「ミーティングやるから来ない?」と言う長期滞在ホステラーの声。私は自室に戻り、先にフロを出た二人組にミーティングがあることを知らせた。彼らも同様に声をかけられて知っていたようだ。その後、フロに入っているSにミーティングがあることを告げ、玄関近くの集会室へ行く。
駅を出てYHへ急ぐ。駅前通を左に折れて、羽幌の町を通る広い道を南へと歩く。どうやら、あの男みたいな女と男もYHに向かう様子である。我々の前には、この二人ともう一人男が歩いている。他に人影もなく、ここもまた静かな町だ。
YHのガイドブックには歩いて15分とあるが、羽幌線を越える道にたどり着くまでに15分位かかった。りっぱな役場を右手に見た後左に折れる。線路を越えると右手に夕闇の中に池が見える。このあたりは公園のようだ。その向こうにYHらしき建物がある。ひっそりした小高い丘の中腹にある。
YHに着くと、我々の前を歩いていたさっきの3人が受付にいる。例のごとくカードに必要事項を記入。ここのYHは全員にシーツを出してくれる。私はシーツを持ってきたと言うと、シーツ代は取っていないから使えと言う。
我々の部屋は変な名前のついた鳥の名前である。カーペットを敷いた集会室らしきところを抜け、連絡道のような廊下を通り、右に曲がるとさらに長~い廊下が続く。その突き当りを左に折れたところに部屋が並んでいる。Sが、「小学校の建物見たいや」と言ったが、なるほどそのような建物で、食堂などは教室のようである。
食事は、新聞紙を上に載せてテーブルの上に置いてあった。味噌汁、メシはそれぞれジャーの中に入れてあり暖かい。おかずも良かった。魚があったのを覚えているが、他は思い出せない。今回の旅で泊まったYHの夕食はどこも内容の悪いものはなかった。
夕食後フロに入る。このYH内に 張り出してある日課表には、フロは7時30分までとしてあった。夕食を食べ終わると7時30分を回っていたが、YHに着いて受付で金を払っている時に、「フロ入れます」 と言っていたのを信用してフロへ行く。 誰もいなかったが、まだ入れるようだ。私が入るとすぐに同室者らしき真っ黒に日焼けした二人組が入ってきた。彼らは車で来たと言う。Sはトイレで、ちょっと遅れてやって来た。
フロを出て自室へ戻ろうとすると、「ミーティングやるから来ない?」と言う長期滞在ホステラーの声。私は自室に戻り、先にフロを出た二人組にミーティングがあることを知らせた。彼らも同様に声をかけられて知っていたようだ。その後、フロに入っているSにミーティングがあることを告げ、玄関近くの集会室へ行く。