【"日本の村社会"を生きる術(すべ)】
この世界は、縄文時代と変わっていないんですよ。ムラのためにならない人間は削除されていく。狩をしない男に、子供を産まない女、現代社会だ、個人主義だと言いながら、ムラに所属しようとしない人間は、干渉され、無理強いされ、最終的にはムラから追放されるんだ。
コレは、村田沙耶香の芥川賞受賞作「コンビニ人間」に出てくる白羽さんの言葉だが、彼のこの言葉に、うんうん❗
と何度も頷いている私がいた。
かく言う私とて、これと同じ経験をしてきたのだ。
「なんで結婚しないの?」「誰かイイ人、居ないの?」⬅ちなみに亡き祖母と交わした最後のコトバは、コレでした(^_^)
「紹介してあげようか?」「一度は結婚してみるべきだよ」⬅コレをバツ3くらいの人に言われた時は、さすがに説得力がありすぎた(笑)
まるで「結婚」の二文字が、この世の最高峰、成人としての証であるかのように...
人々は「結婚」を押し付けてきたモノだ(^_^)
なぜ、結婚していないのか?
それは、私が「結婚」というシステムそのものに"迎合"できなかったから...
たぶん、男として生まれていたとしても、結婚していなかったと思う(^_^)
コレは、一つの例だけど、「結婚」意外の日常的な場面でも、人々は周りを自分の側に引き込もうとする。
そこで迎合しない人に対しては...
「あの人、ちょっと変わってるね」「キモっ」
で片付けてしまう(^_^)
世の中、「多様性」が叫ばれているけど...
結局は、白羽さんの言うとおり、縄文時代から何も変わっていないんだろうナ(^_^)
でも、最近は、お金が無くて結婚できない人も増えている...
そういう人たちを"負け組"としてムラからはじき出すやり方は、ちょっと許せない。
【もう一つの見方】
だったら、「我、迎合せず」
で、ずっと"アチラ側"の人間でイイや🎵
と言いたいところだが...
この小説では、主人公を通してコンビニが生き生きと描かれている。
そこで一人一人が、コンビニという生き物の細胞の一つとなって、一つ一つの細胞が躍動し、生き物としてのコンビニに血肉を与えている...
コンビニで働くコトは、決して恥ずかしいコトではないし、むしろ、そこにやり甲斐を見いだす主人公を私は羨ましいと思った。
そこで働く人たちが、いつの間にかしゃべり方のトーンが似てくる、というのも(最初は"気持ち悪い"って思ったけど)なるほどなあ~と思った。
で、そのコンビニに白羽さんが雇われて、不協和音が生じてしまう...
実は白羽さんと主人公は、この後、"ある理由"で一緒に暮らすのだが...
コレをオーケストラに例えてみよう🎵
私は打楽器のマリンバですから、マリンバとしての個性を主張させて頂きます🎵
そう言って、マリンバが激しくリズムを刻み続けたら、肝心のメロディーがかき消されてしまう(+_+)
そう、ハーモニー💖
共鳴🎵、協調は大切ダ(^_^)
【作者が言いたかったコトは?】
この決して長くはない物語の中で、作者が言いたかったコトはなんだろう?
アマゾンのレビューとかには、「発達障害の人の物語か?と思った」なんて感想もあったけど(^_^)
その前に...
私は、この本を読んで「アチラ側」と「コチラ側」を使い分けて生きる🎵
それが、この世でシアワセに生きていく術(すべ)である、というコトを学んだ(^ー^)💖
でも、果たして世の中の多くの人は、気付いているだろうか?
多様な生き方の時代...などと言う言葉にごまかされて、自分がいつしか部品に組み込まれている、というコトを(^_^)
そして、「コチラ側」に属しない人のコトを異質なモノ、として受け止め、「キモっ」の一言で片付けてしまう、そうして「アチラ側」の人間を知らず知らずのうちに傷つけている...というコトを...
作者が言いたかったコトは、そこではないか?
と私は思った。