生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

キーンさん死去

2019-02-25 02:41:47 | 日々の暮らし

最近瀬戸内寂聴さんとドナルド・キーンさん96歳同士の対談新刊本 「日本の美徳」を読んでいました。 天皇陛下から軽井沢のホテルに滞在中朝食に招待されました。 その時日本のパンの話をしました。 桃山時代に来た宣教師が、「世界でもっとも美味しいパンは、江戸で焼かれたものだ」と記録に残していますと話すと殿下は、「それはヨーロッパにはない麦で焼いたから、美味しく感じられたのでしょうか」とおっしゃった。 予想外でした。なぜそのような、鋭い視点のお答えをなさることができるのか感服しましたと述べていました。 日本を愛し古代文学を世界に紹介してくれた功績に感謝しています。100歳まで日本に住みたいと願っていましたので残念です。 ご冥福をお祈り致します。        合掌  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

賢者の詩

2019-02-24 12:45:09 | 日々の暮らし

仏教のお経に「一夜賢者の偈(げ)」があります。 「過去を追ってはならぬ。 未来を願ってはならぬ。 過去はすでに捨てられ、未来はまだ来ていない。」 と書かれています。 お釈迦様は死後の世界について弟子に聞かれた時、「そんなことは役に立たないから答えない。」と断っている。 大切なのは、今この世で悩み苦しんでいる人を救うことであり、死後の世界や誰も知ることのできない事など論じても無駄だから答えないと述べました。 これを一夜賢者の偈(詩)といいます。 あの世は修行が終わった人が行くところ。 そう解釈して精一杯生きましょう。         合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よ」の愛

2019-02-24 03:34:16 | 日々の暮らし

童謡の基礎を築いた 児童雑誌「赤い鳥」が創刊して100年が過ぎました。 北原白秋が小田原に住んだのが1918年。 小田原市は朝夕に 屋外放送で 「揺籠のうた」を流しているとのこと。 私も仕事の関係で小田原に住んでいたので懐かしく思います。 「揺籠(ゆりかご)のうた」 に意味ある読点 (、)に気づきます。 ゆりかごのうたを、 カナリヤが歌うよ、 ねんねこ、ねんねこ、 ねんねこ、よ。 ゆりかごのうえに、 びわの実が揺れる、よ。 ねんねこ、ねんねこ、 ねんねこ、よ。 ゆりかごのつなを、 木ねずみが揺する、よ。 ねんねこ、ねんねこ、 ねんねこ、よ。 ゆりかごのゆめに、 黄色い月がかかる、よ。 ねんねこ、ねんねこ、 ねんねこ、よ。 なぜ、の次に  よ。 があるのか。 親が子を見ながら 「よ」 と言いなさいとの 思いがあるからと いいます。 親子の思いを「、」に 込めている。 間を大切にしている。 介護の世界も同じ 目を見て 「、」 思いが通じますようにと。 皆様も意識してみてはどうでしょうか。 今日の気づきになれば        合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不可思議

2019-02-23 03:21:13 | 日々の暮らし

『仏教に学ぶ 八十八の智恵』 ひろさちや著 を時々読み返している。 僧侶ではなく、東大の文学部を出て宗教を学んでいるいわゆる宗教家です。 私も僧侶ではないが、宗教を学んでいるので、考えが驚くほど似ているので好んで読んでいます。 その中にまた、嬉しい良寛さんの話が出てきたので紹介します。 仏教語に、「不可思議」という言葉がある。 サンスクリット語のアチントヤ(考えられない)を訳したものである。 数多い仏教語の中から何か一語選べと言われたら、私はためらわずにこの不可思議を選ぶ。 キリスト教を「奇蹟の宗教」と呼ぶとすれば、仏教は「不可思議の宗教」あるいは「不思議な宗教」と呼べそうだ。 仏教は奇蹟を認めず、奇蹟を必要としない宗教であることが不可思議だからだ。 その仏教の不可思議を感じているとき、思い出すのが、良寛の詩である。 『花は無心にして蝶を招き 蝶は無心にして花を尋ぬ。 花開く時蝶来たり 蝶来る時花開く。 われもまた人を知らず 人もまたわれを知らず。 知らずとも帝則(大自然の法)に従う。』 知らず知らずのうちに、われわれは自然の大道に従って生きているという意味です。 ごくありきたりの光景が美しくもあり不可思議なことである。 この不可思議なことを仏教では奇蹟として表現しているのだ。 仏教語で不可思議という言葉は奇蹟という意味で大自然をさしており、良寛さんの詩がそれを説いていると書いいている。 自然を愛し、死ぬ時はこの自然を形見に残しますという辞世の句を思い出します。 ありのままに生きる ありのままの自然を 伝え残すことが仏教の 本質だと言いたかったのだと思います。 わたしも不可思議という言葉を大切にしたいと思いました。 この言霊に出会えましたことに感謝        合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙の果てまで

2019-02-22 18:32:25 | 日々の暮らし

はやぶさ2、小惑星着陸おめでとうございます。 壮大なロマンと勇気をもらいました。 今日のお告げ 「毎日何か、生きる力となるヒントがあるもの!」です。 自己アピールを持て! 自分を変えよう! 友達の良い所をアドバイスして伸ばして上げよう。 悩んだ時や、人に言えない時は Think Think Think 考えて、考えて、考える事。 そんな事が浮かんで来ました。 みんな悩んで、苦しんで今があるのです。 毎日のヒントをノートにしたためる事は大事だと思います。 自分の為、人へのアドバイスの為にも。 いつか役にたつからです。 果てしない砂漠に立ってしまったとします。 絶望と感じて歩みを諦めるか、 砂漠は必ず オアシスがあるものと思って歩き出すか。 生き方がまるで違って来ます。 月の砂漠を行くにも 果てしない宇宙に行くにも あきらめない勇気が必要ですね。 今日の気づきに        合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする