聖書の中でも暗い話しです。
ペトロとユダはイエスの弟子です。
この二人は対照的な生き方をしました。
最後の晩餐の時に、イエスは言います。
この中に私を裏切った者がいます。
小銭を貰って、私を売った者がいる。
それが、ユダでした。彼はそこにいられなくなり、役人にあの人は無実の罪ですと小銭を返しに行くのですが、知ったことではない、それはお前の問題だと言われてユダはじさつしてしまいます。
ペトロは私はイエスを裏切りませんと言いましたが、あなたは朝の鳥が鳴く前に三回私を知らないと言いますといわれた。
役人が朝イエスを探しに来ました。
役人にイエスなんか知らないと答ました。
ある男がイエスと一緒にいたと指差しました。
また私は知らないといいました。
別の女が確かにイエスといつも歩いていたと発言しました。
また、人違いだイエスなど知らないといった時に鳥が鳴きました。十字架を担いで歩くイエスの後方について行くペトロ。
イエスの預言に生きる力をなくしました。
イエスは謝るペトロを許しました。
そばにいる母のマリアにこの弟子たちはマリアの子ですと告げて、亡くなりました。
ペトロは許され、ユダはじさつしてしまう。イエスは人は弱いものと知っています。
謝れば許してくれたのです。
その判断の違いで生きる道が違うのです。
ペトロは一番弟子で初代のローマ教皇になりました。
墓の上に聖ペトロ大う聖堂(サンピエトロ大寺院ともいう)が建てられたのです。
人は弱いもの、つい自分をかばってしまい後悔してしまう。
そんな時に思い出しましょう。
ローマ教皇でさえ裏切ったのです。
彼は肝に命じたのでしょう。
イエスだから許してくれたと。
この大きさを学びましょう。
聖書によく出て来る言葉に人を許しましょうとあるのはこの話から来ているのです。
ユダの道を行かないためにも。
失敗の多い私ですから謝る勇気を学びました。