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詩歌の森へ 21 緑陰や今日あふ人の声きこゆ 名取里美

2021-06-20 15:50:16 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ 21 緑陰や今日あふ人の声きこゆ 名取里美 

2021.6.20


 

 緑陰や今日あふ人の声きこゆ

 

 この句を読むと、季語の大切さが実感される。

 「緑陰」は夏の季語。「最新俳句歳時記 夏」(山本健吉編・文藝春秋社・1971)の解説にはこうある。

 「明るい初夏の日射しの中の緑したたる木立の陰を言う。木陰に織り出す木洩れ日の縞が美しい。木下闇とちがって、語感が明るい。樹下に食卓を移して楽しむこともある。」

 樹下に食卓を云々は、余計な気もするが、これだけの言葉の意味・ニュアンスを、「緑陰」の一言で表すことができるわけだ。季語をめんどくさい決まりと思う人も多いかもしれないが、この季語を生かさないのは、実にもったいないことなのだということがこの句を読むとよく分かる。

 名取さんは、様々な場面で、季語の大切さを説かれているが、その見本のような句といってもいいだろう。

 「今日あふ人」がいったい誰なのか、ということが、この句の大事なところであるには違いないが、この「明るい」語感を背景にすれば、間違っても、「道ならぬ恋の相手」などではないだろう。ここでは、恋といった、どこかしらドロドロした感情を含まない、もっと精神的なつながりのある相手、久しぶりに会う親友とか、昔お世話になった先生とか、そういった人を想像させる。複雑にからんだ恋愛感情などの入り混む余地のない、さわやかな精神性こそが、「木洩れ日の縞が美しい木陰」にはふさわしい。

 もうひとつの注目点は、この句に流れる「時間」である。俳句は一瞬を切り取ったものとよく言われるが、その一瞬にも「時間」はある。時間をたっぷりと湛えた「一瞬」もあるのだ。

 「今日あふ人」というのは、これから会う人で、まだ目の前には現れていない。作者は、「緑陰」で、約束した時間より早くやってきて、その人を待っている。「待つ」という言葉はないが、ここには「待つ時間」が流れているのだ。どれくらい待ったかは分からないが、緑の陰の向こうにその人の「声」が聞こえる。ひょっとしたら、ひとりではないのかもしれない。独り言を言っているとは考えにくいから、むしろ二人とか三人とかで話しながら歩いてくると考えたほうがいいかもしれない。日本語には複数と単数を厳密には区別しないから、「今日あふ人」が単数だとは断定できないし、複数だとも断定できない。2〜3人で、連れだって、ひそやかに話しながら歩いてくるというのが穏当だろう。

 その声を聞いて、作者の心はときめくのだ。ときめく、というのが大げさなら、「あ、来たわ」と、うれしさに心がはずむのである。「うれしい」とか「ときめく」とかいう言葉もどこにもないのだが、その気持ちが、実にストレートに伝わってくる。声を聞いた瞬間から、その声の主が眼前に現れるまでの「時間」もまた流れるのだ。

 思えば、「季語」もまた「時間」を含んでいる。瞬間的な「初夏」とか「緑陰」なんてあり得ないからだ。ゆっくりと、あるいはあわただしく流る季節の中に、移りゆくものとして「初夏」もあり「緑陰」もある。そして、もちろん、人の心も。

 

 

 


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詩歌の森へ(20) 室生犀星 蝉頃 ──2階の詩人

2020-09-21 08:39:32 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ(20) 室生犀星 蝉頃 ──2階の詩人

2020.9.21


 

 蝉頃(せみごろ)


いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃となりしか
なつのあはれに
いのちみじかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり


 この詩について、村野四郎はこんなふうに書いている。

 

 犀星の詩の真骨頂は、何といっても、深い人間性をこめた美しい官能的な抒情性でしょう。どの抒情詩の底にも、切実な人間性が、銀線のように緊張してふるえています。
 ここにあげた詩「蝉頃」でも、そうです。貧しい二階借りの失意の青年の胸にひびいてくる初夏の蝉のこえは、哀切をきわめています。
 そのころ、上京した彼は、本郷、小石川あたりの貸間を転々、食えない生活に喘いでいました。おそらく洗い晒しの浴衣姿の、うらぶれた膝をかかえて、ひとりさみしく遠い夏のこえをきいていたにちがいありません。


 室生犀星は、ぼくが大学の卒業論文で扱った詩人である。なかでもこの詩が収められている「抒情小曲集」は、その論文の中心だった。だから、この詩もぼくはよく知っているつもりでいたのだが、久しぶりに村野四郎の「現代詩入門」を読んでいて、この村野の指摘にびっくりしてしまった。

 どこにびっくりしたのかというと、「二階借りの失意の青年」の「二階借り」という部分だ。そうか、このとき犀星は、2階にいたのか! と、驚いたのだ。

 今まで、何度となくこの詩は読んできたのに、詩人がこの時「2階にいた」ことには思い及ばなかった。この詩の中には、どこにも「私は2階にいた」とは書かれていない。それなのに、どうして「2階にいた」と言えるのか。それはひとえに、「空と屋根とのあなたより」によるわけだ。

 遠くから蝉の声が聞こえてくるのだが、その「遠く」は、「空と屋根とのあなた」なのだ。「空のあなた」ではない。「空と屋根のあなた」なのだ。空が見える。そして、その下には屋根が見える。つまり、詩人は「2階」から見ているのだ。

 屋根と屋根が狭苦しくつらなる東京。そのどこかの家に間借りをする。となれば、どこかの家の2階だ。窓を開けても、狭い空の下には、えんえんとうす汚い屋根がつらなっている。
若い犀星は、詩人として生きるために東京に出てきては、挫折して故郷の金沢に引き返し、引き返してはまた上京するということを繰り返していた。その中から「故郷は遠きにありて思ふもの」の詩も出来た。この詩もその延長線上にある。

 ぼくが大学生のころは、いわゆる「分析批評」がはやっていて、詩の言葉だけで解釈することがよしとされ、その詩を書いた詩人の伝記的事実を解釈に持ち込むことは嫌われていた。けれども、こういう詩では、やはり犀星の人生と重ねないと、ほんとうのところは味わえない。

 木造家屋の2階は、暑い。そして大抵は狭い。個人の住宅で、間貸しをするとなれば、こうした2階に部屋に決まっている。そんな部屋にぼくは住んだことはないが、友人も、息子も住んだ。そういう部屋をぼくはよく知っている。知っているといっても、そこに住んで孤独を味わったわけじゃない。ぼくも、一度でいいから、そんな部屋に住んで、人生の寂寥を味わっておくべきだったなんてことを今になって思うのだ。

 「せみの子をとらへむとして/熱き夏の砂地をふみし子は/けふ いづこにありや」というのは詩人の幼少時への思いだ。あんな純粋だった子ども時代は、いったいどこへ行ったのか、という思い。犀星の場合は、「純粋な子ども時代」なんて甘いことは言っていられない。継母の虐待におびえる地獄の日々。そんな少年犀星を慰めたのは金沢の豊かな自然だった。

 それゆえにこそ、都会で聞く「蝉」の鳴き声は、限りなく郷愁を誘い、こころを慰めるどころか、かえって孤独を深める。そんな蝉の鳴き声を「しいい」と表現する。

 村野四郎も言っている。「この詩の抒梢の中心は何といっても、「しいい」と表現された蝉の声の音色とリズムにある。」と。「しいい」と表現されるこの蝉は、村野四郎も言うごとく「ニイニイゼミ」だ。それは「はや蝉頃となりしか」とあるとおり、東京で一番先に鳴くセミは、ニイニイゼミだからだ。(ほぼ同じ頃にヒグラシも鳴き始めるが、これは朝と夕方に「カナカナカナ」と鳴くので、明らかに異なる。)

 このニイニイゼミの特徴的な鳴き声を「しいい」と表現する犀星にはほんとうに感心するが、それは犀星にとって自然が、けっして単なる外部の環境なのではなく、犀星の内部世界に深く根ざしているからこそできることなのだ。

 「犀星と自然」がぼくの卒論の主要テーマだったのだが、もういちどそこに立ち返って、犀星の詩も読み返してみたくなる昨今である。

 

 

 

 


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詩歌の森へ(19) 萩原朔太郎・「帰郷」

2020-09-18 15:10:58 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ(19) 萩原朔太郎・「帰郷」

2020.9.18


 

  帰郷

             昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る

 

わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗(ほのぐら)き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
嗚呼また都を逃れ来て
何所(いづこ)の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろへ
暗憺として長(とこし)なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒(いきどほり)を烈しくせり。

 


 最初の妻と別れ、二人の子どもを連れて、故郷に帰ったときの心境がここにあるわけだが、実際に帰郷したのは7月だったらしい。けれども、この詩では「冬」としている。やっぱりこの悲痛さには「冬」がふさわしい。

 演歌に典型的だけど、失恋して旅に出るのが、真夏だとどうにも具合が悪い。「津軽海峡冬景色」が「関門海峡夏景色」だと、傷ついたこころが簡単に癒やされてしまいそうだ。「悲しみ本線日本海」ならいいけど、「悲しみ本線瀬戸内海」じゃ、なんのことやら分からない。

 この詩を引いて、詩人の辻征夫がこんなことを書いている。

 

前橋へ行くなら、厳寒の候を選んで行くべきだと主張したのは私である。うららかな春の日にも、夏の盛りにも私は行きたくない。できれば最も陰鬱な月、雪が降りしきっているかもしれない二月に行きたい。(中略)とにかくなにがなんでも、初めての前橋には、寒さをついて、気合いを入れて行くべきなのだ。それでなければ私は、前橋には行かない。

「私の現代詩入門」

 

 なんだか、ひとりで息巻いているが、たまたま居酒屋にいた詩人の仲間と急に前橋に行こうという話がまとまって、じゃあ、いついくかという段になり、辻がこう息巻いたというわけである。結局、一月末と決まって行ったのだが、記念館も「質素」で、ちょっとがっかりして「詩人というのはやはり、作品の中にしか生きていないのだという自明のことをもう一度考え」た、とある。

 ぼくも今まで何度も前橋行きを企てたことがある。いや、企てた、まで行かず、行きたいと思ったというレベルだ。でも、結局行っていない。といって、辻征夫みたいに、「厳寒じゃなきゃ行かない」なんて思っているわけでもない。むしろ、そんな寒い時には絶対行きたくない。でも、どうせ行くなら辻征夫みたいな悲壮な演出をしなきゃもったいないとも思うのだ。でも、そんな過剰に悲壮な演出で出かけても、肩すかしをくわされるんなら、行かないほうがマシだとも思ってしまう。

 まあ、いくら過剰に悲壮な演出をしてみても、赤の他人が朔太郎の心境になれるわけではないし、たとえなれたからといってさしたるトクがあるとも思えない。「砂礫のごとき人生かな!」の思いは、程度の差こそあれ、ぼくにも理解できるけれど、朔太郎の思いの深さには到底達することはできないし、到達したくない気もする。

 そういう気がしながらも、どうしてぼくは、「厳寒の時」にわざわざ出かけたいなどという辻の言葉に共感するのだろうか。

 なんか、カッコいいってことかもしれない。現実としてはぜんぜんカッコいいわけじゃないのに、なんだか、あこがれる。悲壮趣味なんだろうか。

 「まだ上州の山は見えずや」なんて、車窓の景色を眺めながら呟いてみたい。若いころの朔太郎が、「みずいろの窓辺」に向かって、「うれしきこと」を思おうなんて言っていた朔太郎が、こんなさびしい呟きをするに至ったなんて痛ましい限りだが、朔太郎の「夢」と「挫折」をとことん「窓辺」で味わってみたいなんて思うのだ。

 何と言っても、この「上州の山」っていうのがいい。「上州の山」といえば赤城山がまず浮かぶが、赤城山といえば、国定忠治だ。やっぱりカッコいい。

 これが、「越後の山」だと、なんか落ち着いてしまって迫力がない。犀星の「越後の山もみゆるぞ/さびしいぞ」(寂しき春)が思い出されて、しんみりしてしまう。「上州の山」だと、「赤城の子守歌」から威勢のいい「八木節」まで聞こえてきそうだ。カッコいい。

 実際をいえば、妻が男を作って子ども置いて家を出てしまったので、故郷に子連れで帰るという、男としては実に情けない仕儀なのだが、それがこともあろうに「カッコいい」なんて誤解されるのは、ひとえに、言葉のせいだ。この何だかよく分からないが、やたら威勢だけはいい文語のせいだ。そのいわゆる「悲憤慷慨調」の言葉が、情けない現実を、妙に「美化」してしまっている。一種の自己陶酔なのかもしれないが、こういう「美化」をすることで、辛うじて現実に耐えているといった風である。

 空疎といえば空疎だ。現実を直視していないと言えばそれまでだ。けれども、朔太郎は、この空疎な言葉の羅列で、現実に刃向かっているともいえる。いわば空砲で、それは現実のたとえ一片でも変えることはできないけれど、自分を鼓舞し、前進させることはできる。やけっぱちの泥酔みたいなもので、その鼓舞も前進も、いっときのもので、自身を救うことはできないが、それでも、何もしないよりはマシだ。激しい二日酔いは残るだろうが、それでも、生きてる実感はあるのかもしれない。

 かくして、詩は、空砲として鳴り響く。詩の中の言葉をいくら分析してみても、そこからは何も得られない。その空疎な言葉は、そんな言葉を吐かせる朔太郎という人の心の中の暗闇を指し示し続けるだけだ。

 

 

 

 

 

 


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詩歌の森へ(18) 八木重吉・「鞠とぶりきの独楽──第8番」

2019-03-07 13:31:23 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ(18) 八木重吉・「鞠とぶりきの独楽──第8番」

2019.3.7


 

ぽくぽく ひとりでついてゐた
わたしの まりを
ひょいと
あなたになげたくなるように
ひょいと
あなたがかへしてくれるように
そんなふうに なんでもいったらなあ


 10数年ぶりに偶然会った旧友に、ちょっとした自慢話をしたら、「そんな話はするもんじゃない」と諭された。ぼくは、自分のあさはかさを深く反省したけれど、その一方でちょっと淋しかった。

 自慢といっても、社長に出世したとか、宝くじで10億あたったとかいうことじゃない。生活上のちょっとした喜びに過ぎなかった。それでも、その友人には、その喜びを素直に受け取れない事情があったのだろう。

 「ぽくぽく ひとりでついてゐた/わたしの まり」というのは、純粋な喜びに浸ることの比喩だ。その「喜び」を、「ひょいと/あなたになげたくなる」と詩人は言う。そうだ、自分の喜びは、「ひょいと」他者に伝えたくなるものだ。つまり自分の思いを言葉にして「なげる」。そのとき「あなた」も、「ひょいとかへしてくれる」。つまり、なんのわだかまりもなく、返事をしてくれる。「そんなふうに なんでもいったらなあ」と詩人は嘆くのだ。この嘆きの深さ・苦さを味わいたい。

 大人の心は、迷路のように複雑に入り組んでしまっていて、言葉は、もうどこへどう届くのかさっぱり分からない。その大人の現実に疲れはてた八木重吉は、「子ども」「あかんぼう」への回帰を絶望の中にも切実に願っていたのだ。

 八木重吉の詩はみな短いが、この「鞠とぶりきの独楽」は、珍しく連作だ。そしてこの連作こそが、八木の最高傑作だとぼくは信じている。

 八木重吉というと、ただ純情なキリスト教詩人といったイメージが定着しているようだが、実際はそんな単純な人ではない。教師として、キリスト教信者として、悩み苦しみ抜いた人だ。

 興味を少しでも持たれた方は、かつてぼくが、渾身の力をこめて書いた『八木重吉ノート』という「評論」を是非お読みください。「鞠とぶりきの独楽」の詳しい評釈もあります。




 


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詩歌の森へ(17) 名取里美20句鑑賞

2018-11-29 20:09:09 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ(17) 名取里美20句鑑賞

2018.11.29


 

★「一日一書」で「名取里美20句」を書かせていただきましたが、その句の「鑑賞」をフェイスブックのコメント欄に書いてきました。読者の方の鑑賞の投稿もあり、それへの返事として書いた部分もあるので、文体が不統一ですが、一部修正してこちらに一括して掲載します。

 

ゆく水の石に蛍の光かな

 透明で、シャープなイメージの句。「ゆく水」の「動」と、「石」の「静」。そのはざまにあって、明滅する蛍の光。水、石、光の見事な調和が美しいですね。それと同時に「ゆく水」は、論語の中の「逝く者はかくの如きか、昼夜をおかず」や、方丈記の「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」をどうしても連想させます。人間にはどうにもならない「時間の流れ」の中に、美しく点滅する蛍の光は、人間の生命のようです。



蛍狩り胸元すこし汚れけり

 「蛍狩り」と「胸元すこしよごれけり」の間の、深い断絶に惹かれます。おそらく着物を着ているであろう女の胸元が、どうして「すこし汚れた」のか、なんのヒントもないだけに、「胸元」「汚れ」という言葉が、エロティックな妄想を生むように思うのです。この「蛍狩」は、田舎での「蛍狩」ではなくて、たとえば、椿山荘などで行われる、都会の「蛍狩」なのではなかろうか。暗闇の中に飛ぶ蛍のように、秘めた恋のような思いは、作者には、「汚れ」として感じられたのかもしれない。あるいは、それらはすべて作者の妄想の中での出来事かもしれない。あやしく光る蛍に、そして蒸し暑い空気の中に、ちょっと息苦しいような思いが重なる不思議な句、そんなふうに読みましたが、これもぼくの妄想でしょうか。



街中に病みて大きな冷奴

 病気は人を孤独にします。都会の雑踏を歩いていると、自分が病んでいても、友人が病んでいても、どうしようもない孤独を感じるものです。この句は、たとえば、重い病気で入院している友人を都会の病院にお見舞いにいった帰りの思い。辛い別れをしたあと街に出て、居酒屋でつまみに頼んだ冷奴を見て、ふと、病院で孤独に食事をしている友の顔を思い出す。そんな物語のようなシーンが浮かびました。


朝顔の蕾にふれて母帰る

 孫の顔を見にやってきた作者の母が、じゃあ、またねと言って帰っていく。玄関まで送ると、母は、朝顔の蕾をいとしそうにそっと触れて、にっこりわらって路地を曲がって行った……、そんな光景が目に浮かびました。そう読むと、「朝顔の蕾」は、「孫」の比喩にも見えてきます。
 この句の「母帰る」をどうとるかで解釈は大きく違ってきますが、ぼくはどうしても、「作者の母が自宅に帰っていく」ととってしまいます。「母が帰ってくる」とはとれない。菊池寛の『父帰る』は、「父が帰ってくる」ということでしょうが、この句は、「母が帰っていく」なのだと勝手に思っています。
 いろいろな俳句があるわけですが、基本的には俳句は「一人称」で書かれていると思うのです。芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」にしても、「水の音」を聞いているのは作者たる芭蕉であって、芭蕉はそこにいると考えられます。ですから、その静寂に耳を傾けている芭蕉の心情を味わうことができるわけです。
 とすれば、この句においても、「帰る母」を見ている、あるいは見送る作者がいるはずです。この「母」が作者自身であるということは考えにくいですから、当然「母」は、作者の母ということになる。別に孫の顔を見に来たわけじゃないかもしれませんが、名取さんの句は、我が子を詠んだものが多いからか、自然に、ああ、孫の顔を見に来た母、なんだなと思ったわけです。そのとき、「朝顔の蕾」も、生き生きとした比喩として立ち上がってきたのです。

  

瀧しぶき椅子に横たふ女かな

 太い線で描かれたクロッキーのような「椅子に横たふ女」のイメージが浮かびます。そのシンプルな線の背景には、繊細なタッチで描かれた「瀧しぶき」。その対照が魅力的。この瀧はどこの瀧なのかなあ。ぼくが見た大きな瀧といえば、那智の瀧だけど、あそこはもう神聖な場所で、横たわる椅子はなかったような気がするし。後は、奥入瀬にたくさんある瀧も印象的だったけど、長い渓流で、横たわって見るようなところでもなかった。どこか、避暑地の、割合小さな瀧なのかもしれない。その涼しいしぶきを浴びながら、気持ちよさそうに横たわっている女性は、小うるさい世間のことなど忘れて、しみじみとした「時間」を味わっているんだろうなあ、って思います。「横たふ」という言葉は、どうしてもぼくには、芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」を想起させるので、その影響なのか、とても「ゆったりした時間」が流れているように感じます。「女かな」という表現も、この「女」が、作者であるとか、友人であるとかいった個別の人間を越えて「女」という普遍的存在(人間の根源性をも含めて)を暗示してるんじゃないかとおもったりもします。これがもし「男かな」だと、ぜんぜん違った印象になってしまって、台無しになっちゃうもんね。

 

念佛の光の中へ瀧となる

 瀧に打たれる行をしている人がいるのでしょうか。「念佛の」の「の」の働きが非常に複雑。「念佛の光」ともとれるし、「の」を主格ととって、「念佛が光の中へ入っていって瀧となる」という意味に取ることもできるけれど、どちらとも決めかねる。決めかねるところに、この句の魅力が生まれているのかもしれません。「念佛」というのは、「光」でもある。今、念仏を唱えて滝に打たれている人がいて、その瀧のしぶきが体に跳ね返って光っている。念佛そのものが光になっているかのようで、また瀧に打たれている人も瀧と一体化している。あたり一面に、神々しい雰囲気に満たされている、そんな句ではないでしょうか。ふたつの「の」、「へ」「と」という助詞が、それぞれに不思議な働きをしながら句の世界を立ち上げています。



日の射してがざみの動く紙袋

 がざみは、魚屋から買ってきたのでしょうか。湘南の海岸でもよく捕れるみたいだから、鎌倉在住の作者ゆえ、子どもと一緒に海岸に行って捕まえたのかしれません。紙袋に入れて持ち帰ったけど、ダイニングのテーブルの上にそのまま置き忘れていたのだろうか。窓からさっと光が差し込んで、紙袋がガサガサと音をたてた。あ、忘れてた! っていう、一瞬のように思いました。「がざみ」という蟹の名前の語感と、紙袋の中でガサガサと立てる音の調和がおもしろい。名取さんは「光」を句に詠むことがとても巧みな方。前の「念佛の」の句もそうでしたね。



冷し酒夫の一日知らざりき

 会社から帰って、夫は、冷酒をうまそうに飲んでいる。その姿を見ながら、妻は、ああ、この人は一日どんな思いで働いてきたのだろうと思うが、そうだ、私は何も知らないんだとふと気づく。どこにでもある夫婦の日常の一コマが、しみじみとした感慨を生む佳句ですね。「知らざりき」に、妻の「ため息」が感じられます。それは悲しみの「ため息」ではなくて、おおげさに言えば、人間と人間との間の「距離」ゆえの「ため息」です。お互いに分かっているようで、実は分かっていないこともたくさんあるなあ。そうした感慨です。「冷やし酒」がしみますね。

 

大雷雨鏡にうつる女かな

 激しい雷雨に外出もできず、所在なさにふと鏡を見るとそこに女がうつっている。もちろん、それは自分の姿だけれど、なぜか他人のようにも見える。見知らぬ女をうつした鏡の背景には、雨が降り、稲妻が光る庭が見える。モダンな絵をみるような、どこか抽象的で幻想的な印象もただよう句ですね。
 「大雷雨鏡」とつづく漢字のあとに「うつる」という平仮名、そして「女」の一文字。その文字の調和も美しいです。いわゆる「漢字仮名交じり文」を書にするときは、漢字と仮名の調和がむずかしいのですが、それがまた面白みでもあります。こうやって書いてみると、「大」「雷」「雨」「鏡」「女」がそれぞれに呼応しあって、新しい言葉を生み出す予感も生まれてきます。「大鏡」とか「雨女」とか。

 


夏山河素足浸せば抱かるゝ

 この句の収録されている句集『あかり』を名取さんからいただいたのは、もう10年以上も前だったでしょうか。そのとき、全部を熟読したわけではないのですが、この句は妙に印象に残りました。「抱かるゝ」に、ドキッとしたからでしょうかね。そのときは、てっきり、「男に後ろから抱きつかれた」と解釈したようです。そうなると、なかなか意味深長になってくる。夫がそんなことするわけない。したって別にいいけわけですけど、普通はしない。じゃあ、不倫か、てな方向へ行ってしまったのかもしれません。
 しかし、今改めて読んでみれば、「抱いた」のは、「我が子」なのだとしか思えない。

 まずは「夏山河」という大自然。(これだけで「不倫説」は吹っ飛ぶ。サスペンスなら別だけど。)そこで、作者は「素足を浸す」。家族でキャンプに来たのでしょう。久しぶりに冷たい川に、素足を浸して、わあ、気持ちいいと思った瞬間、「ママ!」といって、子どもが(たぶん幼稚園か、小学低学年)抱きついてきた。その瞬間のなんともいえない喜び。これ以外考えられません。

 なぜか、この句を読むと、佐藤春夫の『別離』という詩の「人と別れるる一瞬の/思ひつめたる風景は/松の梢のてっぺんに/海一寸に青みたり」という一節を思い出します。春夫のは失恋の詩ですが、人生の上での「忘れられない一瞬」という点では、共通しています。

 生活の中の一瞬を切り取ることが俳句の醍醐味でしょうが、名取さんは、とくにそこが巧みで、素晴らしい句をたくさん詠んでいます。この句は、その代表的な句だと思います。

 


人の子の膝にのりそむ青夕立

 自分の子どもがはじめて膝に乗った、その時の感慨を詠んだのだと、直感的に思いました。だから「乗り初む」。「乗る」であって、「抱く」ではないから、初めて我が子を「抱いた」のではなくて、初めて我が子が、ハイハイかなんかしてきて、座っている作者の膝に「乗った」、その時の深い思い。そのとき、ちょうど、外では夕立がざっと降り出して、あたりいちめんが、青っぽく見えた。そんな感じでしょうか。
「 青夕立」という語は、いろいろ調べてみたけど、どこにも見当たらないので、作者の造語かもしれません。「夕立」は「ゆうだち」とも「ゆだち」とも読むので、名取さんが作った新しい季語ではないでしょうか。ステキな季語です。

 「人の子」という言葉は、「聖書」を想起させます。新約聖書では、「人の子」の語は、イエスが自分自身を指して言う時に使われていています。ただ、この語には、旧約聖書以来の伝統的な用法(神に作られ、はかない命をいきる人間)の意味もあり、またユダヤ教では「超越的な人間」を意味するようにもなったようで、その背景のうえに、イエスは自分を「人の子」と言っているようです。

 「人の子」という言葉があることで、この句は、ぼくを「聖母子像」への連想へと誘います。「聖母子像」が昔から好まれ、愛されてきたのも、そこに母と子の愛が集約的に表現されているからで、この句は、そうした母と子の愛の普遍的な姿を、夏のすがすがしい夕立の光景の中に描き出しているように思います。


迎火の水に流れてゆくごとし

 「郡上八幡」とあることで、この句は一挙に具体性を帯びます。これは、郡上八幡のお盆ということになり、郡上おどりも思い浮かびます。もっとも、ぼくは行ったことがないので、ネットで検索したりしてイメージを知ったわけですが。うっかりすると、灯籠流し・精霊流しをイメージしてしまいがちですけど、そちらは「送火」ですし、「流れてゆくごとし」ですから、きっと川辺の家々の前に焚かれた迎火が、川面に映り、まるで灯籠が流れていくように見えるのでしょう。

 句全体にゆったりとした「流れ」が感じられて、しっとりとした情緒がしみじみと心にしみてきます。郡上おどり、見にいきたいなあ。

 


したたりの銀水引にあたるまで

 季語は「銀水引草」で秋。「したたり」も季語で夏。「最新俳句歳時記」山本健吉編(春・夏・秋・冬・新年の全5巻)では、「滴り(したたり)」の説明は、「山の岸壁や苔蘚類から滴り落ちる点滴で、その清冽な涼味が季をもつのである。また「夏山は滴るが如し」と比喩的にも言う。ただし、雨後の木々や軒端の滴りは季を持たぬ。」とあります。

 この句の場合、「銀水引草」(そのまま読めば「ぎんみずひきそう」だけど、「ぎんみずひき」と読みたい。「銀水引草というのは、白い花をつける「水引草」のこと。)を季語ととって季節を秋とするか、「したたり」を季語ととって夏とするかで迷いますが、たぶん、句集に載っている前の句が「郡上八幡」という「前書」がありましたので、「郡上おどり」の時の句のようにも思えます。「郡上おどり」は、7月中旬から9月上旬にかけて踊られるという超ロングラン盆踊りなので、「秋」がふさわしいかも。とすれば、やはり季語を「銀水引草」として、秋の句ととりたいですね。その線でいくと、この「したたり」も、「山の岸壁や苔蘚類から滴り落ちる点滴」というより「雨後の木々や軒端の滴り」のように思えますので、こちらは季語ととらなくてもいいように思います。

 「まで」で終わる句は、名取さんの句には結構あるような気がしています。時間・空間の余韻を残すこの表現は、とても魅力的。

 普通の水引草は、赤い花だけど、「銀水引草」となると、白い花で、「したたり」とぴったり合ってる。赤であれ、白であれ、水引草の持つ清楚な雰囲気は、そこに「ながれ」を感じさせますね。そして、その「銀水引草」に、木々から、あるいは軒端から落ちてくる水滴があたる。あたって、そして地面に吸い込まれていく。「まで」といって、時間・空間を区切っているように見えて、「その先」が感じられる。そんな句だと思います。



燈籠にとりかこまるゝ人のいろ

 この句も「郡上八幡」での句と思われます。この「燈籠」は、郡上八幡の「迎火」の燈籠でしょうか。たくさんの燈籠に火がともり、訪れた人々を囲っている。その燈籠の光に照らされた人々の顔は、さまざまな色に染まっている、という情景でしょう。

 この句の眼目は「とりかこまるゝ」という受身の表現。普通に考えれば、人が燈籠を取り囲んでいるわけですが、「燈籠にとりかこまれている」というと、燈籠が意志をもった、生きているもののような感じがしてきます。燈籠は、死者を迎える人々の気持ちそのものなのでしょう。お盆という特別な時間の中で、死者と生者がともに過ごしている。その哀してどうじに華やかな時間を見事にイメージ化しているように思えます。



早稲の香や目つむるほどに風強く

 「前書」に「長崎 六句」とあるので、これ以下六句は長崎での(あるいは長崎についての)句であることが分かります。この前の三句は「郡上八幡」の句として読みましたが、句集には、「郡上八幡」の「前書」があるのは、「迎火の」の句だけでした。でも、三句まとめて、「郡上八幡」の句として読んでみたわけです。

 この句は、「長崎 六句」の「前書」があることで、それ以外の読み方はできません。この「前書」がなければ、この句はまったく異なった読まれ方をすることになるでしょう。俳句は17文字という極端に短い詩形なので、句の中に長崎であることを示す余裕がない。けれども、どうしても長崎でなければならない感銘を詠みたいということになれば、「前書」を付けることになるのでしょう。読者もまた「長崎」がもつイメージと、意味とを前提に、あるいは背景にこの句を味わうことなるわけです。

 「早稲の香」が秋の季語です。歳時記には、芭蕉の「早稲の香や分入る右は有磯海」という句が載っています。「早稲の香」の持つイメージは、ぼくみたいな都会の人間にはよく分からないのですが、どこかツンと鼻を打ってくるような生命力あふれる香りのような気がします。なんていっても、米は日本の主食ですし、他の稲より早く収穫できる「早稲」は、生命そのものなのかもしれません。その香りが、「目をつむるほどの強い風」に乗って香ってくる。やはり香りそのものが持つ強さ故でしょう。「つむった目」の中に広がる光景は、何か。ぼくは、やはり「長崎」は「原爆」を離れてイメージできませんから、原爆によって破壊された荒涼たる長崎の街の風景が広がります。

 作者が長崎で感じたことが何なのかは書かれていなくても、この生と死のイメージが、生々しく伝えているように思えます。

 


しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地

 「長崎 六句」の二句目。この句でははっきりと長崎の「原爆」がテーマとして示されています。

 「しばらくは」が何と言っても効果的で、素晴らしい。爆心地にたてば、だれでも呆然として言葉が出ないでしょう。ここに原爆が落ちたんだという実感は、やはり「その場」に行ってみないと湧きません。「過去の事実」とはいったい何なのだろう。空間的には、落ちたのは「ここ」である。でも、「ここ」には、当時のほんの「片鱗」を残すのみだ。時間的には、それこそなにひとつ残っていない。すでに「失われた」時間だ。でも、「過去の事実」を消すことは誰にもできないのです。

 そんな感慨をぼくなら抱くかもしれませんが、いずれにしても、「言葉にならない」。呆然として、空を仰ぐばかりだ。その空に「秋蝶」が飛んでいる。その軽やかな蝶のうごき、そしていかにも平和な空の光景を眺めていると、「原爆が落ちた過去」のことなんか、ふと忘れそうだ。

 しかし、最後の「爆心地」によって、「現実」に引き戻される。漢字三文字の堅い響きは、まるで、原爆が落ちた時間にそこに居合わせたかのような錯覚させ覚えさせる。

 呆然とした長い時間、平和な空、そして「爆心地」へと移って行く言葉によって、爆心地に立つ作者の深い感慨が見事に形象化されている。忘れられない名句です。



赤蜻蛉みるみる人の離れゆく

 「長崎六句」の句。「人の」の「の」は主格でしょうから、「みるみる人が離れてゆく」ということになるけれど、「赤蜻蛉」はどういう関係にあるのでしょうか。「赤蜻蛉〈から〉人〈が〉みるみる離れてゆく」ということかしら。でも、それは、どうも変な感じがします。「みるみる」には「あっという間に」といったスピード感があるから、人がそんなスピードで「赤蜻蛉から」離れていくなんて普通はありえない。とすれば、「離れゆく」の主語は、やはり「赤蜻蛉」だと考えるのが妥当だと思われます。けれどもそうすると、「人の」がおかしい。と、考えてきて、そうか、これは「赤蜻蛉の視点」から描いた光景なのか、と思い当たりました。当たっているかどうかわかりませんが。

 赤蜻蛉が長崎の街のどこかにとまっている。もちろん「爆心地」であってもよいし、その方がむしろいいかもしれません。その赤蜻蛉が、ふっと飛び立つ。観光地として賑わっている「爆心地」、そこに集まっている人々が、あっというまに、遠ざかった行く。まるで、ドローンから撮った映像のように、赤蜻蛉はどんどん高度を増していく。赤蜻蛉は、人間の営みとはまるで無縁に生きて、飛んで、眺めているけれど、「地上」では、凄惨な戦争が起こり、多くの人が命を失い、悲しみに満ちている。
「赤蜻蛉の視点」によって、人間の愚かさ、悲しさを、澄んだ目で見つめている句なのではないでしょうか。

 横光利一に『蠅』という名短篇があり、今でもときどき高校の国語の教科書に載っています。さまざまな事情を抱えた人間を乗せた乗合馬車が崖から転落していくのですが、馬にとまっていた蠅は空に飛び立ち、転落していく馬車を眺めているという話。この句について考えているうちに、この小説のことをふと思い出しました。

 


石榴もぐ天草四郎馬寄せて

 長崎ならではの句。蕪村の句のような「物語性」のある句ですね。天草に行ったことがないので、ひょっとして馬に乗った天草四郎の銅像があるのかなと思って調べてみたら、銅像は立ち姿でした。とすれば、これはもう、完全に作者の描いたイメージですね。

 石榴は秋の季語。生命感みなぎるその実は、安産の象徴でもあり、一方でどこかまがまがしさを感じさせる実でもあります。若さあふれる天草四郎が馬をとめて、石榴の実をもいだ。「石榴」「天草四郎」「馬」の取り合わせがなんとも独特で、その濃密な色彩感が魅力的です。若々しさの中に秘めた悲哀をも感じさせるいい句ですね。



うつすらとをんなの髭や菊膾

 いやあ、この句はむずかしい。むずかしいけど、奥深い。作者が男か女かということは、やはり文芸の世界ではおおきな要素でしょう。この句の作者が男だったら、ずいぶんとおかしか句になってしまいそうです。女性が「をんなの髭」を描くから、そこに言葉にならない深みが感じられる、ということではないでしょうか。

 ところで、ぼくは、「菊膾」を食べたことはあるはずですけど、しみじみ「ああ、菊膾だあ」と思って食べたことはない。たぶん、旅行の宿に出たものを、しゃべりながら口に入れただけだと思うのです。

 「菊膾」は、もともとは東北の方では普通に食べられていた料理だそうですが、ぼくなんかには縁の遠い料理で、やはりどこかの高級料亭などで、箸休めに食するものというイメージが強い。

 問題は「うつすらとをんなの髭や」をどう解するかということ。この「をんな」は、作者自身なのか、それとも一緒に会食した女友達なのか、という疑問がわきます。けれども、自分の「髭」を見ることなんかできないから、(もちろん鏡を見ているなら見えるけど、今は食事中)、どう考えても、自分じゃない「をんな」ですね。しかも「女」でも「おんな」でもなくて、「をんな」と表記しているのはなぜなのか。きわめて感覚的に言えば「をんな」の方が、より「経験を重ねた女の深み」みたいな感じがします。その「をんな」の顔に「うっすらと」髭がはえている。障子からさし込む光を受けて、「菊膾」の香りの中に、「うっすらと」みえる「髭」。そこには、少女ならぬ「をんな」の、長年の苦しみ、喜び、悲しみが、ただよっている。その「をんなの年月」に寄り添い、共感しながら、「菊膾」のちょっと酸っぱい、そして透明な香りを味わい、かみしめている、そんな感じがするのです。

 わかりにくいだけに、いつまでも心の響き続ける句ですね。



秋の蚊の瞼にとまる湯浴みかな

 句全体にゆったりとした時間が流れています。「蚊」は夏の季語ですが、ここでは「秋の蚊」ということで、季節は秋。蚊ほど憎まれる虫もいませんが、それでも秋になってフラフラ出て来る蚊は、もう弱っていて、血を吸ったりしないのでしょう。血を吸うのはメスの蚊だけで、それは卵を産むためなので、夏の蚊でもオスなら刺さないわけですが、そもそも血を吸わないオスは人間にとまる必要もないわけです。

 で、この「秋の蚊」は、たとえメスだとしても、きっともう刺したりしない。刺さなければ、蚊だって、いとしい(とまではいかなくても、憎めない)虫です。瞼にとまっても、そっとしておいてあげたい。そこまで作者は、ストレスから解放されて、温泉に浸っているわけです。

 これが「夏の蚊」だったら、瞼なんか刺されたらとんでもないことになるので(ムヒもぬれない)、顔が腫れ上がっても、掌で叩くでしょうけどね。

 「湯浴み」という言葉にも、「ゆったり感」がありますね。

 それにしても、こうした心の解放感、ゆとり、流れる時間というものを17文字に閉じ込めることは至難の業です。それを可能にしたのは、「秋の蚊の瞼にとまる」という極小の光景を描いたことでしょう。うすい瞼の皮膚を通じて、かすかに感じられる昆虫の足の感触。そこから、人間の皮膚全体へ豊かに広がっていく「空間」と「湯」、そしてその人間を包み込む「時間」が無限に広がっていくようです。名句というのは、こういう句を指すのでしょうね。




 

 

 

 

 


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