詩歌の森へ(20) 室生犀星 蝉頃 ──2階の詩人
2020.9.21
蝉頃(せみごろ)
いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃となりしか
なつのあはれに
いのちみじかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり
この詩について、村野四郎はこんなふうに書いている。
犀星の詩の真骨頂は、何といっても、深い人間性をこめた美しい官能的な抒情性でしょう。どの抒情詩の底にも、切実な人間性が、銀線のように緊張してふるえています。
ここにあげた詩「蝉頃」でも、そうです。貧しい二階借りの失意の青年の胸にひびいてくる初夏の蝉のこえは、哀切をきわめています。
そのころ、上京した彼は、本郷、小石川あたりの貸間を転々、食えない生活に喘いでいました。おそらく洗い晒しの浴衣姿の、うらぶれた膝をかかえて、ひとりさみしく遠い夏のこえをきいていたにちがいありません。
室生犀星は、ぼくが大学の卒業論文で扱った詩人である。なかでもこの詩が収められている「抒情小曲集」は、その論文の中心だった。だから、この詩もぼくはよく知っているつもりでいたのだが、久しぶりに村野四郎の「現代詩入門」を読んでいて、この村野の指摘にびっくりしてしまった。
どこにびっくりしたのかというと、「二階借りの失意の青年」の「二階借り」という部分だ。そうか、このとき犀星は、2階にいたのか! と、驚いたのだ。
今まで、何度となくこの詩は読んできたのに、詩人がこの時「2階にいた」ことには思い及ばなかった。この詩の中には、どこにも「私は2階にいた」とは書かれていない。それなのに、どうして「2階にいた」と言えるのか。それはひとえに、「空と屋根とのあなたより」によるわけだ。
遠くから蝉の声が聞こえてくるのだが、その「遠く」は、「空と屋根とのあなた」なのだ。「空のあなた」ではない。「空と屋根のあなた」なのだ。空が見える。そして、その下には屋根が見える。つまり、詩人は「2階」から見ているのだ。
屋根と屋根が狭苦しくつらなる東京。そのどこかの家に間借りをする。となれば、どこかの家の2階だ。窓を開けても、狭い空の下には、えんえんとうす汚い屋根がつらなっている。
若い犀星は、詩人として生きるために東京に出てきては、挫折して故郷の金沢に引き返し、引き返してはまた上京するということを繰り返していた。その中から「故郷は遠きにありて思ふもの」の詩も出来た。この詩もその延長線上にある。
ぼくが大学生のころは、いわゆる「分析批評」がはやっていて、詩の言葉だけで解釈することがよしとされ、その詩を書いた詩人の伝記的事実を解釈に持ち込むことは嫌われていた。けれども、こういう詩では、やはり犀星の人生と重ねないと、ほんとうのところは味わえない。
木造家屋の2階は、暑い。そして大抵は狭い。個人の住宅で、間貸しをするとなれば、こうした2階に部屋に決まっている。そんな部屋にぼくは住んだことはないが、友人も、息子も住んだ。そういう部屋をぼくはよく知っている。知っているといっても、そこに住んで孤独を味わったわけじゃない。ぼくも、一度でいいから、そんな部屋に住んで、人生の寂寥を味わっておくべきだったなんてことを今になって思うのだ。
「せみの子をとらへむとして/熱き夏の砂地をふみし子は/けふ いづこにありや」というのは詩人の幼少時への思いだ。あんな純粋だった子ども時代は、いったいどこへ行ったのか、という思い。犀星の場合は、「純粋な子ども時代」なんて甘いことは言っていられない。継母の虐待におびえる地獄の日々。そんな少年犀星を慰めたのは金沢の豊かな自然だった。
それゆえにこそ、都会で聞く「蝉」の鳴き声は、限りなく郷愁を誘い、こころを慰めるどころか、かえって孤独を深める。そんな蝉の鳴き声を「しいい」と表現する。
村野四郎も言っている。「この詩の抒梢の中心は何といっても、「しいい」と表現された蝉の声の音色とリズムにある。」と。「しいい」と表現されるこの蝉は、村野四郎も言うごとく「ニイニイゼミ」だ。それは「はや蝉頃となりしか」とあるとおり、東京で一番先に鳴くセミは、ニイニイゼミだからだ。(ほぼ同じ頃にヒグラシも鳴き始めるが、これは朝と夕方に「カナカナカナ」と鳴くので、明らかに異なる。)
このニイニイゼミの特徴的な鳴き声を「しいい」と表現する犀星にはほんとうに感心するが、それは犀星にとって自然が、けっして単なる外部の環境なのではなく、犀星の内部世界に深く根ざしているからこそできることなのだ。
「犀星と自然」がぼくの卒論の主要テーマだったのだが、もういちどそこに立ち返って、犀星の詩も読み返してみたくなる昨今である。