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木洩れ日抄 59 演劇の幸福──『柄本家のゴドー』を観て

2019-07-31 10:41:08 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 59 演劇の幸福──『柄本家のゴドー』を観て

2019.7.31


 

 『ゴドーを待ちながら』の台本を睨みながら、柄本明がこんなことを叫ぶ。「そうそうそう! いいなあ。宝の山だ! これはすごいホンだ。」


 ドキュメンタリー映画『柄本家のゴドー』のワンシーンだ。2人の息子(柄本佑と柄本時生)が演じる『ゴドーを待ちながら』を演出する明は、稽古の初日、まだまだ棒読みの立ち稽古を見ながら、ゲラゲラ笑っている。どこがそんなにおかしいのかと思っていると、どうやら、演技じゃなくて、ホンそのものの内容がおかしいのだと分かってくる。

 ほんとに笑えるよね、この芝居。すごく残酷なんだけど、笑えちゃうんだ。残念なんだけど、喜劇なんだよなあ。ぼくらの人生だって同じでしょ。残酷だけど笑える。笑っちゃう。そう訥々と話す。

 若い頃は、こういう芝居はとにかく読まきゃと思って読んだもんです。ベケット戯曲集と、イヨネスコ戯曲集買ってね、読んだもんです。でも、分かりゃしなかった。で、年取ってまた読むとね、やっぱり分かんないんです。でもね、分かった。分かんないということが分かったんだ。……どこにでもあることなんです。それをただ書いただけなんだ。ぼくらは結局何かを待ってるってことです。それは死かもしれないしね。

 次から次へと繰り出される言葉。そのいちいちが懐かしい。そしてぼくは気づく。『ゴドーを待ちながら』は何度か読んだけど、やんぬるかな! 舞台はまだ一度も見たことないじゃないか。それでも、2人が演じる『ゴドー』の端々は、どこかで見た風景だ。その舞台は柄本明の言葉と同様に懐かしくさえある。

 もちろん、それは、ぼくが長いこと別役実の芝居を見たり、高校演劇部で演出したりしてきたからだ。別役の芝居というのは、結局は、ベケットの芝居を核としたバリエーションなのだ、なんて断定してはいけないが、もしそうだとしたら、ぼくは『ゴドー』も見ないで、別役の演出をしてきたことになる。まったくなんていう無責任さだ。

 などと今さら愚痴を言っても始まらない。それよりも「懐かしさ」だ。その「懐かしさ」は、柄本明の演出中の行動が、ああ、オレもそうだったなあ、あんな風だったなあ、という感慨からも来たのだということを言っておきたい。

 ぼくが高校演劇部の顧問として演出してきた別役劇は、ざっと数えても10本はある。そのどれの場合でも、ぼくは生徒の演技に笑い、椅子から飛び出して舞台に行ってちょっとやってみせ、すぐにそそくさと椅子に戻り、また笑ったり、悩んだりしていたものだ。もちろん、ぼくには役者の経験がなかったから、柄本明のような演技指導はできない。できないけど、なんか違うと思えば、ぼくなりにその違いを演じてみせた。それを敏感に感じとって生徒が演技すると、もう嬉しくて、手を叩いて笑ったり、そうだ、それそれ! なんて叫んだものだ。その時間の幸福。それは今でもはっきりと覚えている。

 ぼくが感じた幸福と柄本明の感じた幸福が同じだなんて思わないけど、どこかで通じるものがあることは確かだろう。活字のつらなりでしかないホンが、演者によって「音」となる。肉体から出る「音」になる。そして舞台の上でなにかが「起こる」あるいは「起こらない」。ホンが演劇になるとき、そこには無限といっていいバリエーションがある。そこには無限の「発見」がある。まさに「宝の山」なのだ。

 その「宝の山」を前にして、小躍りする柄本明を見ていて、ぼくも、小躍りしたくなるような幸福感を感じた。なんて演劇って素晴らしいんだ、そう思った。

 映画のチラシでは、串田和美と西川美和が、偉大な親父の元に生まれることの「大変さ」「残酷さ」を期せずして同じく口にしていたが、ぼくは、大変だなあとか、残酷なもんだとかは、まったく思わなかった。親父に「厳しく鍛えられている」という感じはどこにもなかったからだ。むしろ、親子という関係はここでは消えて、ただ純粋に演劇にどっぷり浸り、とことん楽しんでいるとしか見えなかったし、それがほんとのところだろう。

 柄本明は親子でやることについての質問に、そういうことは関係ないと思うと言って、さらに、こう言っていた。「だって、みっともないでしょ、息子の芝居を親が演出してなんてねえ、世間的にはさ。」この感覚、素敵だなあ。

 柄本佑と時生は、この芝居をずっとやり続けたいという。父は言う。この芝居はスゴイですよ。(登場人物は)年齢不詳のようなとこあるけど、まあ、あんな若造はやってこなかったでしょう。だから、この先、2人でやり続けるっていうんで、それが楽しみです、って、最後の方はこう言っていたか記憶が曖昧だが、いずれにしても、父の言いたいことはよく分かる。

 次回の2人の『ゴドー』がいつになるか分からないが、そのときを楽しみにしたい。








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一日一書 1554 楽寧

2019-07-26 20:31:22 | 一日一書

 

楽寧

 

27×37cm


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日本近代文学の森へ (120) 志賀直哉『暗夜行路』 8  フィクションの威力 「前篇第一 一 」その5

2019-07-24 08:58:13 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (120) 志賀直哉『暗夜行路』 8  フィクションの威力 「前篇第一 一 」その5

2019.7.24


 

 竜岡は文学者ではなくて、工科大学を出た技術者で、今度発動機の研究のためにフランスへ行くことになっている。この竜岡のモデルについてはまだぼくは知らないけど、誰かいるのだろう。竜岡は、11月12日の船で出かけるらしい。

 謙作は、図体の大きい竜岡に気圧されてしまった阪口が気の毒になりながらも、やはり、作中の「友達」のモデルが果たして誰なのか気になってしかたがないのだった。

 モデルとする場合、場面や場所を変え、風貌も変えて、性格だけモデルにするとか、その逆とか、いろいろあるわけで、そういう場合も想定してあれこれ謙作は考える。



 実際阪口が竜岡にそういうかどうかは分らないが、「場面はなるほど君との場面を借りた。しかし性格がまるで異うじゃないか」こんなとをいいそうな気が謙作にはした。謙作はこれは阪口の猾(ずる)いやり方だと思った。もし自分が性格だけは僕をモデルにしたに違いないと掛合って行けば、それは同時に自身の性格をその作中の下らない人物のそれに近いものと認めることになる。むしろ書かれた場面が実際自分との間にあった事ならばかえって怒りいい。しかし性格だけを自分に取ったろうとはいいにくかった。それほどに下らない人物に書いている。竜岡が怒れば君をあんな性格の人間とは誰が思うものかといい、自分が怒れば、君はああいう性格の人間と自分で思っているのだねといい兼ねない。此処に阪口の変な得意がありそうに思うと謙作はなお腹が立った。



 なるほどここらあたりが「モデル問題」の難しいところなのかもしれない。実名で名指しして書いたエッセイなんかのノンフィクションならともかく、いくら似ていても、いくら思い当たるフシがあったとしても、あくまでフィクションとして書かれた小説なのだから、いくらでも言い逃れはできるわけで、「お前、これはオレのことだろ!」って言うのは、かえって剣呑だ。自己認識をさらしてしまうことになるからだ。

 その点で、フィクションとしての小説は、「批判」のための強烈な武器になる。たとえば、現政権を痛烈に批判する意図があるならば、当の政権担当者が、「これはオレのことだろう!」って言えないほど徹底的なフィクションを構築する必要がある。今公開中の映画『新聞記者』は、その点でちょっと残念だった。この映画のスジだか概要だかを官邸が知って「激怒した」という噂があり、マスコミの宣伝を阻害しているとかいう噂まであるけれど、その妨害をSNSで突破して上映され集客も順調だということに拍手していればいいというものでもない。

 官邸が「激怒した」ことがほんとなら、それこそ「これはオレのことだろう!」って言ってることになり、官邸も窮地に追い込まれるはずなのに、そうならないのは、この映画が、原作者の望月衣塑子や前川喜平を(といっても、ぼくはこの2人のことはあんまりよく知らないのだが)、テレビ映像の引用とはいえ、実際に登場させてしまって(それも何度も)、フィクションの密度を薄めてしまったことによる。そのことで見る者は、現実の望月衣塑子や前川喜平の言動に引きずられてしまって、フィクションの世界に没頭できなくなる。現実にはみんなうやむやになっている事件がほとんどそのまま出てくるから、観客も、まあ実際にはそんなこともあるんだろうけど、ほんとのところは分からないよね、といった地平で見てしまう。

 そういう中途半端なことをしないで、現実から一端切り離して、望月も前川も一切出さないで、新聞社の名前も実名を出さないで、全部フィクションとして作りあげ、その上で、真に震撼すべき「真実」を、フィクションとして提出する、それがこの映画をもっと恐るべきものにする鍵だったと思うのだ。それがどんなに「ありえない」ことであろうと、その「ありえない」ことを、「ありうるかもしれない」と感じさせるフィクションこそが求められている。というのは、今現実に起きていることは、なまじなフィクションを遙かに超えて「ありえない」感満載だからだ。

 映画にしても、小説にしても、フィクションの問題は、いつも新しい。

 さて、竜岡だが、なぜわざわざ謙作に家に阪口と一緒にやってきて、阪口への非難をことさらのように謙作に聞かせるのだろうか。モデルが自分だと確信しているのなら、謙作は無関係じゃないのか。そういう疑問を謙作も持つのである。



 竜岡には昔気質(むかしかたぎ)がある。もしかしたら作中の友達が同時に謙作をもモデルにして書かれてある事を承知の上で、故意(わざ)と自身だけがモデルかのようにいって、阪口をやっつけたのではあるまいかと、謙作は思った。竜岡はそうする事で一方阪口を懲(こら)し、他方で、二人の間を多少でも気まずくなくして日本を去りたいと思っているのではあるまいか。それでなければ阪口をわざわざ連出して来て、自分の前でこれほどにやっつけることが普段の彼の気質としては少し不自然に考えられた。竜岡には短気な性質もあった。しかし自分だけの問題に第三者のいる前であれほどに露骨にいう彼とも思えなかった。謙作には其処に何か彼の昔気質から出た思惑がありそうにも思われた。



 「昔気質」──これをどう解釈するのか問題だが、まあ、いちおう「義侠心」とでもしておこうか。友達のことを思うあまり、時には自分のことを犠牲にしてしまうというような。ここでいえば、自分が小説のモデルであるという損な立場をひっかぶってでも、謙作と阪口の仲を取り持とうとするような義侠心ということだろう。

 この部分が書かれたのは、おそらく1921(大正10)年。なんと今からほとんど100年前である。100年前に「昔気質」と言われてもなあという戸惑いがある。この竜岡のような「気質」が、すでに100年前に「昔」のものであったなら、それから100年たった今、そんなものが残っているはずもないような気もするのだが、どっこいそうでもない。こういう「気質」の人間は、今だってそこらじゅうにいるだろう。もちろん少数派だろうが、それは100年前だって同じことだ。

 時代がどんなに変わっても、世の中には一定数の「昔気質」の人間が存在するということだろう。彼らはいつも周囲から「古い、古い」と言われ続けるわけだが、その「古さ」は、いつまでたっても「古い」ままだから、ある意味、いつまでも「新しい」ともいえるのだ。


 謙作は、竜岡の「気質」をよく分かっているから、そこにある「思惑」に気づくのだ。なかなか細やかなことである。





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木洩れ日抄 58 文学が輝く一瞬──モノドラマ「キラ劇らんたん座 旗揚げ公演」を観て

2019-07-21 21:32:26 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 58 文学が輝く一瞬──モノドラマ「キラ劇らんたん座 旗揚げ公演」を観て

2019.7.21


 

 女優の松村千絵さんが新しく立ち上げた劇団「キラ劇らんたん座」の旗揚げ公演を観た。

 「劇団を作る」というと、何となく何人かが集まって「集団としての劇団」を作る、というイメージがあったので、松村さん一人で劇団を作ったと聞いて、え? って思った。虚を突かれた感じだった。

 一人で劇団を作るってどういうことだろう。すでに女優として十分に実績のある松村さんだから、どんな芝居に出ることだってできるわけだし、どこかの劇団に所属することだってできる。そこを敢えて劇団を作り主宰するということは、ひとつの芝居を自分で企画し、自分で実際に公演を実現する、ということに並々ならぬ関心と情熱を抱いたということだろう。そう考えてみたとき、日頃の松村さんの演劇に対する熱意が思い出されて、そうかと、納得した。その納得は、今回の旗揚げ公演を観て、深い共感をともなった真の納得となった。

 太宰治の『燈籠』以下4編をモノドラマとして演じるというのが、今回の公演の内容だった。このモノドラマというのは、このブログでは何度も紹介しているキンダースペースの原田一樹が作り上げた演劇のスタイルで、公演パンフレットにある原田さん自身の定義によれば、「小説を戯曲に近づけるのではなく、小説のまま、舞台空間の中で俳優が動き、語る」形式だが、もう一つの特徴はその小説が主として日本の近代文学のものだ、ということだ。現代作家のものも取り上げられることはあるが、今までぼくが見てきたキンダースペースのモノドラマでは、太宰治、織田作之助、菊池寛、芥川龍之介などの近代作家の作品が多く、ナマケモノのぼくは、これらの作品に初めて接することも多くて、とてもありがたくおもってきたのだ。

 そのキンダースペースのモノドラマは、1回の公演で、だいたい3〜4人がそれぞれの作品を演ずることがほとんどだから、今回のように1人が1人の作家の作品を複数演じるというのは、ぼくには初めての体験だった。

 このことが、モノドラマの新しい可能性を開いたように思った。

 演じられたのは上演順に言うと、『燈籠』『一つの約束』『或る忠告』『待つ』の4作品。これらの執筆年は、『燈籠』は1937(昭和12)年、『一つの約束』は1944(昭和19)年、『或る忠告』は1942(昭和17)年、『待つ』はは1942(昭和17)年である。(『一つの約束』と『或る忠告』は『太宰治全集』(ちくま文庫)では、随筆として扱われているが、今回の上演を見ると、これは小説としても十分に扱えるなあと思った。日本の近代文学では、しばしば「小説」と「随筆」の境界はあいまいである。)

 一見無関係な作品を4編並べただけに見えるが、この並びは驚くほどよく考え抜かれていて、たった50分の上演によって、太宰文学の本質を見事に浮かび上がらせた。それだけではなくて、太宰の文学が、今もなお、いや、今だからこそ人々に直に訴えかけるものであることを証明して見せた。

 「今だからこそ」というのは、言うまでもなく、今の日本の状況が、これらの作品が書かれたときの状況と驚くほどよく似ているからだ。

 昭和12年から19年までの、戦争へ突入していく時代の雰囲気は、これらの作品の隅々に色濃く描かれている。例えば、『燈籠』では、「大丸」で恋人の男のために男ものの海水着を万引きしてしまう貧しい娘が警察に捕まり尋問される中で、貧しい者の心情を激しく切々と訴えるが、新聞では、「万引きにも三分の理、左翼少女滔々と美辞麗句」と書きたてられ、家に石を投げられる結果となる。これがことの本質と構造において、現在の状況と酷似していることは論をまたない。

 その『燈籠』は、それでも、娘が両親といっしょに「明るい電灯」のもとで食事をする「幸福」を描いてみせる。母親が「明るい電灯」のもとで「ああ、まぶしい、まぶしい」と言う松村さんの演技のなんと素晴らしかったことか! そして娘は「ああ、覗くなら覗け、私たち親子は美しいのだ」と言い切るのだ。「家庭の幸福」をあんなにも嫌悪したかにみえる太宰のほんとうの心が垣間見えた一瞬だ。

 もちろん、この小説を読んでも、この「一瞬」を味わうことができる。けれども、松村さんが、生身で演じたこのドラマでは、この「一瞬」が、見事に舞台に現出した。その「一瞬」をぼくらは「見る」ことができた。「聞く」ことができた。そして、ああそうか、太宰がほんとうに求めていたのは、こういう「美」だったんだなあと深く感じ入ることができた。モノドラマの、そして、松村さんの力である。

 続く『一つの約束』。難破船から海に投げ出された男がやっとたどり着いた灯台で、中にいる人に助けを求めようとしたが、中では灯台守の親子が仲よく食事をしている。その「幸福」を妨げていいものかと一瞬迷った男は、その迷いのために、海に流され死んでしまう。その男は、誰が見たはずもないが、それでもそういう男は「確かにいた」。その「確かにいた」ことを書くのが作家だという。リアリズムの問題であり、フィクションの問題でもある。

 ここに垣間見られる「家庭の幸福」は『燈籠』のそれと見事に照応する。そして、一続きで演じられた『或る忠告』は、時代の中での作家の責任を鋭く問いかける。男衣裳に着替えた松村さんの舌鋒はするどく「今」を突く。

 この2作をはさんで、最後に演じられたのが『待つ』だ。

 『或る忠告』の中で、「詩人」がばらまいた原稿用紙が、『待つ』上演中にも床に散らばったままだったが、それは決して片づけるヒマがなかったというようなことではなくて、そうした「表現の残骸」の中で、娘が何かを「待つ」という演出上の工夫だったはずだ。戦争に向かう時代に、どれだけの「表現」が迫害され、抑圧され、破棄されてきたか。その果ての戦争だったわけだから、この演出には目を見張った。(もっとも、最初は、あれ、かたづけないのかな? って疑問を感じたのだが、見終わってから、その意図がジワジワと感じられたというわけである。)

 「大戦争」が始まり、「周囲がひどく緊張している」なか、20歳の娘は、毎日の買い物の帰り道、決まって省線の小さい駅で、「誰とも、分からぬ人を迎えに」行き、その冷たいベンチで待っている。誰を待っているのか、何を待っているのか、娘には分からない。「はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。」それは、恋人でも、友達でも、お金でもない。「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。」と続く。この辺の文章のリズムは太宰ならではのもので、それが声として舞台空間に流れるのを聞くのは快感だ。こういうこともモノドラマの楽しみの一つだ。

 さて、ここにも、最初の『燈籠』との見事な照応がある。『燈籠』では、娘は自分の家族の「幸福」を「美」を確信できた。けれども、ここでは、その確信はない。失われかけている。あるいはすでに失われてしまった。娘は、ただひたすら「待つ」のだ。何を? 「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの」をだ。

 この小説が書かれてからすでに80年以上経っている。一時はこの「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの」を手に入れることができたと思いかけたのに、事態はもうそのことすら記憶から薄れかけている。いったい今の日本のどこに、「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの」があるだろうか。それを思うと切ないほどだ。

 けれども、娘はこう言うのだ。「私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十(はたち)の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。」

 どんな時代になろうと、日々の生活を精一杯生きる人々は、世界の隅々にいて、彼らはみなこの「なにか」を待っているということだ。その「なにか」を実現させていくことが、何よりも大事なことではないのか、そう太宰は言いたかったのではなかろうか。

 こうして、この4つのモノドラマは、切れ切れの断片ではなくて、「一つの作品」として見事に成立した。しかもそれは太宰の文学の本質を顕わにするだけではなく、太宰の文学の、ひいては文学そのものの「発見」を促すものとなったのだ。モノドラマの新しい可能性がここにもあるのではなかろうか。

 松村さんのモノドラマを見てから、家に帰って、その作品を読み返してみたのだが、そのどの一行からも、松村さんの声、松村さんのしぐさが蘇ってくるのを感じた。小説の言葉の一つ一つが新たな命を持って立ち上がってくるのを感じた。これこそが、モノドラマの真骨頂だろう。

 難しいこの仕事を見事に成し遂げた松村さんに心からの拍手を送りたい。もちろん、松村さんを支えたスタッフの皆さんにも。そして、「キラ劇らんたん座」のこれからの展開を刮目して見続けていきたい。




【ごあいさつ】

 お芝居を統けてい<中で、ある時からずっと、いつか自分で企画した公演を打ちたいと思っていました。そして昨年、今回の演目である太宰治の「燈籠」に触れる機会があり、ふっと「旗揚げ公演はこれでいきたい」とシンパシ一を強く感じてしまいました。強く惹かれたのは、太宰の作品から漂う彼自身の「不安」なのか「繊細さ」なのか、文才、ユニ一クさ、矛盾……わかりません。
 「正体を知りたい」「まだ知らない何かと繋がりたい」という気持ちでお芝居と向き合ってきました。 彼の問いかけを一緒に探りたくなったのかもしれません。
 本日は、「燈籠」「ーつの約束」「或る忠告」「待つ」いずれも太宰治の掌編小説を4本上演いたします。未熟ではございますが精一杯、私に今ある全てをお見せしたいと思います。


 今回、公演の旗揚げに於いて演出協力の原田さん、瀬田さんのお力添えなしには実現しませんでした。瀬田さんには立ち上げからこの公演に寄り添っていただき、二人で一緒にあれこれ探りながら作品を創ってきました。また小林さん、三枝氏、森下氏をはじめ劇団キンダースペ一ス劇団員の皆様にはいつも的確で心強いアドバイスをいただいて助けていただきました。女優仲間のあべあゆみ嬢、制作では門田さん。書ききれないほどですが、本当に周囲の方のおかげでこうして本番の日を迎える事が出来たのだと実感し、心より感謝しています。
 そして本日、公演を観に来てくださったみなさま。
 本日はキラ劇らんたん座旗揚げ公演「モノドラマ」にお越しいただきまして、本当にありがとうございます。最後までどうかお付き合いください。
 今後ともキラ劇らんたん座をどうぞよろしくお願い申し上げます。

  キラ劇らんたん座 主宰 松村千絵

 

〇松村千絵プロフィール
9 月22 日生まれ 新宿区出身 埼玉県在住
プロダクションタンク所属 女優
OLとして働く傍ら、22 歳で俳優養成所へ入所。
翌年勤務先を退職して演劇の道へ。
千流螺旋組、劇団キンダースペース他、劇団の舞台への客演、またドラマ・CM 等メディアヘの出演を経て現在に至る。
(特技· 資格)
日舞・マラソン・乗馬4 級ライセンス

 

【演出協力より】

観客の皆様へ

 モノドラマをキンダースペースで始めたのはたしか15、6 年前だと記憶しています。 当初は、ともかく小さい空間で可能な演劇を、というぐらいにしか考えていなかったのですが、実際に始めてみるとモノドラマという形式、つまり、小説を戯曲に近づけるのではなく、小説のまま、舞台空間の中で俳優が動き、語る、ということに多様な可能性があることに気づかされました。文学は読まれる時代、読者の年代、様々な読み解きによって多様に変化し、そのことがまた作者の世界への視線と共に大きな価値となるものです。演劇もまた、俳優が立つ、その一瞬はそのときの観客との間にだけ成立するライブ芸術であり、演出や戯曲がどのように規定しようとも、こぼれ落ちるものは無限で、そこにも私たちを刺激する多くの価値が含まれているので
す。
 今回、松村の選んだ四本のうちメインとなる二本は、どちらもいわゆる太宰の女性一人称文体で書かれたものです。 しかしこれは戯曲ではありません。太宰は戯由作品も書いていますが、全く違う書き方です。つまりこれは「小説」で、それを一人の女優が立体化するということは「太宰の描いたのはこういう人物で、こういうテーマを伝えたかったのだよ」ということではなく「太宰が書いたものによって刺激された女優が、これをある空間で言葉として発する瞬間に、こういう虚構が生まれたり消えたりするよ」 ということで、そこに耳を澄ましていただきたいのです。
 まして今回は、たった一人の企画です。一人の女優によって彼女自身の選んだ四本の作品が演じられるということ。また太宰も過ごした空襲下の東京に一部焼け残った台東区、その一角に60 年にわたって保持されている「しあん」という場所も、様々な刺激を与えてくれると信じています。どうぞ、その一瞬一瞬こぽれ落ちる千の絵に、女優と共に身を任せてください。

  原田一樹  



 我が家で飲んでいる時に松村千絵がこの企画を口にし、私は「ー緒に演る!」と割込み、その後、演出協力の原田との話合いで、出演は松村ひとりの方が良いということになり、私はスタッフとして参加することになりました。
 松村千絵はキンダースベ一スのワークショップに毎回参加してくれていて、演劇に真摯に立ち向かう姿勢、もともとの美貌の上に表情を変える魅力を振りまき、私は密かにファンでありました。その松村が、今回の稽古で煩悶している様子を間近で見ていて、ひとつの公演を立ち上げることの難しさをしみじみ惑じています。
 今も、松村と一緒に、文字通り「唸りながら」最後の稽古をしています。松村の魅力が更にひとつでもふたつでも増えて行き、それを皆様にお魅せすることが出来ますように。
 世の中に役者は五万といますが、「主宰する」経験を選ぶ人間は限られるでしょう。この経験こそが、女優・松村千絵を大きく羽ばたかすことになると信じています。
 第二回公演、第三回公演と進んでいく為の大事な旗揚げ公演です。 皆様の忌憚のないご意見、ご感想を頂けましたら幸いです。

  瀬田ひろ美

 

 





 

 

 

 

 

 


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一日一書 1553 寂然法門百首 9

2019-07-18 20:29:04 | 一日一書

 

華有著身不著身

 

諸人のつらぬる袖に散りかゝる花もわきてぞ身にはしみける

 

 

【題出典】『法華玄義』

華に身に著(つ)くと身に著かざると有り

(天女の散らす)花に、身に付くものと付かないものとがある。

 

【歌の通釈】

諸人が連ねる袖に散りかかる花(天女の花)も、他と区別してこの身には特別にしみるのだなあ。

【考】

維摩の室には天女がいて、その天女が散らした花が、二乗のみに付いた。花が付かない菩薩たちの中で、惑いを断じ得ぬ自分には、とりわけその花が身にしみて感じられる、と二乗の立場で述懐歌風に詠んだ。春部も終わりに近づき、散りかかる花は、ここでは桜のイメージか。

(以上、『全釈』による。)

 

 

天女の散らした花が、菩薩には付かないというのは、菩薩は一切の迷いを離れているため花も必要としないのだ。花は「仏の教え」の喩えだろう。まだ迷いの残る「二乗」には、その花が散りかかり、教えのありがたさが身にしみるということ。

 

なかなか難しいが、こんな解釈でよいのだろうか。迷いのある者ほど、「教えの言葉」は身にしみるものだ。

 

 

 


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