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日本近代文学の森へ 238 志賀直哉『暗夜行路』 125 スッキリしない関係 「後篇第三  十六」 その2

2023-02-24 15:26:24 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 238 志賀直哉『暗夜行路』 125 スッキリしない関係 「後篇第三  十六」 その2

2023.2.24


 

 直子のお産は、10月末か11月初めということで、直子の母親が出てこられないようなら、病院ですることに決めた。

 そんなある日、ふいに信行がやってきた。相談があるというのだ。


 「実はお栄さんの事なんだがね。──今、お前の所に三百円ばかり金あるか?」
 「あるよ」
 「そうか、そんなら早速それだけでも送ってやるかな」
 「どうしたんだ」謙作はお栄が少しも自分の方に相談せず、信行にばかり頼るような所が、そうする気持は解っているが、ちょっと不満に感ぜられた。
 「お才かね、あの女はお前もいっていたが、やはり、本統の親切気はなかったらしいんだね。お前の方には知らさなかったそうだが、この六月からお栄さんはもう天津にいなかったんだよ。何でもそれから奉天の方へ暫く行っていて、今は大連にいるんだ」
 「何をしているんだ」
 「何にもせずに印判屋の二階で近所の小娘を使って自炊してるんだそうだ。──それはいいが半月ほど前に泥棒に入られて今はほとんど無一物になっちまったというんだがね」
 「君の所へそういって来たのかい?」
 「一昨日そういう手紙を貰った」
 「馬鹿だな! そんならさっさと帰って来るがいいんだ」謙作は何という事なし苛々していった。


 謙作はいつもお栄に対してはイライラしている。お栄に対する気持ちが完全にはふっきれていないのだ。

 新婚の身である自分に、お栄が相談を持ちかけることを遠慮していることは分かっていても、お栄が信行を頼っていることが「不満」だなんて、子どもっぽいにもほどがある。

 このお栄という存在は、「暗夜行路」という小説にとって、実に重要な存在で、ことがお栄にからんでくると、どうもスッキリしない展開となる。実の父(祖父だと思っていたのに、実は父だった)の妾であり、謙作の幼い頃からの母親代わりという、まあ、あり得ないような関係であるうえに、謙作がそのお栄と結婚したいと思い詰めたが、諦めざるを得なかったという、更にあり得ないほど「スッキリしない」関係のお栄であるから、話の展開だって、どうしてもスッキリするわけがないのである。

 「馬鹿だな! そんならさっさと帰って来るがいいんだ」という謙作の言葉には、お栄に対する愛情がにじみ出ている。それを謙作が気づいていないかのように、「謙作は何という事なし苛々していった。」と志賀は書く。

 

 「俺もそう思うよ。だけど、その印判屋にも少し借りがあるらしく、直ぐも動けないような事が書いてあったからね。旅費とも三百円あったら足りるだろうと思ったが、生憎(あいにく)俺の所に今まるで金がないんだ。自家(うち)から貰ってもいいが、その事を今ちょっといいたくないからね。もっとも、それだけでわざわざ出て来るほどの事もないが、今度寺で庫裏の修築をやるんで寄附金を集めてるんだ。──此所(ここ)の管長は絵かきだって?」
 「絵かきでもないかも知れないが、とにかく白木屋あたりで、時々見るよ」
 「なかなか高いそうじゃないか。寄附代りに五、六枚描いてもらうんで、それを頼みに行く使を《うち》の和尚に頼まれたんだよ。まあ、そんな事もあるんで急に出て来た」

 


 信行が、いきなり300円ばかり金があるか? と聞いてきたとき、謙作は即座に「あるよ」と答えたわけだが、今の金で、だいたい20万円ほどだ。その程度の金は、謙作には考えなくても「あるよ」と答えられるわけで、まあ、一般庶民とはほど遠いということだろう。今ぼくが「20万あるか?」と聞かれれば、「あるよ。」とは答えることはできるが、それを出せとか、貸せとか言われるに決まっているので、「ない」と答える可能性が高い。実際に、そんな金、おいそれとは貸せないし、出せない。

 謙作は「ある」のに、信行には「ない」。「まるで金がない」という。勤めをやめてしまったからだろうが、暢気なものである。寺の寄付帖に、金を出してないのに金額を書いてしまうというおおらかさ(あるいはいい加減さ)が後で出てくるが、信行という男も不思議な男である。

 

 「お栄さんは無一物になったというだけで、別に心配な事はないんだね」
 「瘧(おこり)を病んでいるといって来たが、瘧といえばマラリヤだね。あんな所でもそういう病気があるのかね」
 「それは何所だってあるだろう。しかし別に危険な病気じゃないだろう?」
 「大した事ではないらしいよ。そうだ、その瘧で、薬を呑む時間を間違えたために、それがおこって苦しんだ挙句、すっかり疲れて、うつらうつらしていると、暑いんで夜でも開け放しておいた窓から支那人が二人入って来るのをぼんやりと見てたんだそうだよ。例の東京で買い集めた芸者の衣裳が三行李(こうり)とかあって、それを部屋の隅に積んでおいたんだね。つまりそれを資本に、また同じ商売を何所かでやる気だったらしい。それをすっかり持って行かれたんだ。泥棒だなと思いながら、あんまり疲れているんで、そのまま眠っちまったんだそうだ」
 「泣っ面に蜂だね」しかしまたお栄と会える事が謙作には妙に嬉しい気がした。彼は我知らず快活な気分になっていた。
 「しかしそれで早く帰って来れば大難が小難みたようなもんだ」
 「そうかも知れない」信行も一緒に笑った。
 元々謙作はお栄の支那行きには不賛成だったのだ。間に入った信行の話が不充分で、それがお栄まで徹しなかったのである。しかし今案外早く帰って来る事を知ると、「そら、見た事か」とでもいって、手を差しのべてやりたいような気持になっていた。

 


 謙作がお栄にイライラするのは、未練からだけではなさそうだ。このお栄に起きた出来事は、なんともヘンテコだ。マラリアの薬を飲み間違えて、ぼんやりしている所に泥棒が入ってきたのに、「ああ、泥棒だあ。」と思いつつ、眠ってしまうなんて、いくら薬が効いていたからといって、あまりにとろい。(「とろい」なんて言葉は死語かもしれないが、ここではぴったりくる。)

 お栄は全財産を盗まれてスッカラカンになってしまったのに、それを聞いて「泣っ面に蜂だね」と冗談を言える謙作も、ことの重大さを感じていない。300円で済むことだからだ。そんな金はいくらだって出す。それでお栄が帰ってくるなら、御の字だ、といったところだろう。

 「しかしまたお栄と会える事が謙作には妙に嬉しい気がした。彼は我知らず快活な気分になっていた。」とか、「「そら、見た事か」とでもいって、手を差しのべてやりたいような気持になっていた。」とか、はずむような謙作の気持ちが率直に描かれていて、ほほえましい。

 しかし、そのほほえましさの陰で、直子の気持ちがどうなのかという思いが拭いきれない。謙作は、直子の感情を想像するだろうか。

 信行は、寺への寄付を謙作にも求める。


 「どうだい。お前も少し寄附しないか」こういって信行は角張った手提鞄の中から、袈裟の古布か何かを表紙にした鳥の子紙の帳面を出した。
 謙作はそれを取上げて見た。「二百円、──二百五十円──三拾円──拾円、五百円、── なかなか大きいんだな。百五拾円、──これが君か」
 「金がないから、払わないんだ」
 「払わずにただ書いておくのかい」
 「そりゃ何時か払うよ、ある時に……」信行は笑った。
 「お兄様。いくらでもよろしいの?」傍(わき)から直子がいった。
 「ああ、いくらでもいいよ。二円でも三円でも」
 「そう? そんなら私五円奉納しますわ」
 「それは、ありがとう。早速これへ書いておくれ」
 直子は箪笥の上の硯箱を持って来て、
 「貴方は?」といった。
 「あなたがすればもう沢山だよ。僕は寺なんかがよく保存される事は大賛成だが、自分が寄附するのは不賛成だよ。そういう事はもっと政府で金を出すのが本統だよ」
 「猾(ずる)いのね」
 「猾かないさ。しかしいくらでもいいなら、僕は十円だ。一緒に僕のも書いてくれ」
 謙作は人並はずれて字が下手だった。殊に毛筆で書くと自分でも下手なのに感心した。そして彼に較べれば直子の方が遥かに人並である所から、近頃は筆の字は大概直子に代筆さす事にしていた。
 「いや、ありがとう」信行は墨の乾くのを待ってその帳面を手提にしまった。

 


 このやりとり、おもしろい。志賀直哉という人がよく出ている。寺の保存は大賛成だが、自分は金は出したくない。政府がやればいいんだ。というのは、なかなか筋が通っている。しかし、直子に「ずるい」と言われると、なにを! と思って、直子の倍額を寄付する。合理主義者のエゴイストで負けず嫌い。

 戦後間もなく、志賀直哉は、国語はフランス語にしたほうがいいというような、びっくりするようなことを言って世間を驚かせたが、それもこの延長線上にあるのかもしれない。
ちなみに、謙作は「人並はずれて字が下手だった」とあるが、志賀直哉自身は、決して悪筆ではない(と思う。)

 最後の引用文、「信行は墨の乾くのを待ってその帳面を手提にしまった。」は、なんの変哲もない文章のように見えるが、普通なら「信行はその帳面を手提にしまった。」と書いてしまうところ。ちゃんと「墨の乾くのを待って」を入れるあたりは、志賀らしい細やかさが際立つ文章だ。こう書くことで、信行のいい加減にみえて、案外几帳面な性格をサッと描き出している。毎度のことだが、感心してしまう。

 

 


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木洩れ日抄 103 見えない希望へ──劇団キンダースペースの「報われし者のために」(サマセット・モーム)を観て

2023-02-23 10:53:14 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 103 見えない希望へ──劇団キンダースペースの「報われし者のために」(サマセット・モーム)を観て

2023.2.23


 

 見えないものを見えるようにするのが演劇だと原田一樹は言う。矛盾した言葉だ。「見える」ようにしてしまったら、「見えないもの」ではなくなってしまう。「見えないもの」は、「見えるもの」の後ろに隠れてしまう。

 しかし、それを矛盾した言葉ではなくて、ごく正当な言葉だと考えるには、「見る」ものが、「見えるもの」の背後に、或いは奥に「見えないもの」を見なければ、いや、感じなければならないのだ。

 舞台に繰り広げられる役者の肉体や、そこから発せられる言葉の「表面」にとらわれることなく、その向こうに、その奥に「ある」もの、そこをこそ見つめ、耳を澄ませ、全身で感じ取らねばならない。

 この舞台に登場するすべての人間が、大きな問題をどうしようもなく抱え込んでいて、そこから逃れるすべがない姿に、絶望しか感じないとしたら、やはりまだこの芝居を「見た」とは言えないのだろう。だからといって、安易に希望を感じようとしても仕方がない。舞台がそれを許さないからだ。それほど、キンダースペースが作り上げる舞台は、濃密・緊密で容赦のないリアリズムで貫かれている。感嘆の他はない。

 すべての登場人物が「どんづまり」にいて、そこであがきながら生きている。イギリスの田舎町。弁護士の父(レナード・アーズレイ)が君臨する裕福な一家。長男(シドニー)は、戦争(第一次世界大戦)で負傷、失明し、親の家で暮らしている。

 長女(イーヴァ)は、婚約者が戦死し、長男の面倒を献身的にしながら親の家で暮らしているが、実は失明した兄が自分の時間を奪っていると感じている。家に出入りしている元軍人で今は自動車工場を経営し、破綻に追い込まれている男(コリー)に恋をするが、その恋は実らず、そればかりか、その男は自殺してしまい、絶望して長女は発狂してしまう。

 次女(エセル・バートレット)は、親の反対を押し切って農家に嫁入りしたが、夫(ハワード・バートレット)の野卑な言動や酒乱という現実を前にしても自分の結婚が間違っていたとは言えず、親きょうだいの前では、偽りの幸福を演じざるを得ない。

 三女(ロイス)は、そういう兄や姉たちを見て、自分もこの田舎で平凡な人生を終えるのかと思うといたたまれずに、家を出たいと思う。そこへ、この村にやってきてこの一家の者とテニスを楽しんでいる親子ほど年の違う道楽者(ウィルフレッド・シダー)に誘惑されて、出奔することを決意するが、男の妻(グエン・シダー)はそれを許さず、ぜったいに離婚なんてしないと言い張る。

 そのすべてを受け入れ、子どもたちを暖かく見守ってきた母(シャーロット・アーズレイ)は、病を得て、余命いくばくもないと宣告される。死を自覚した母は、すべてから解放されたような気分になり、すべてのことは「他人事」と感じるようになってしまう。

 何事もないのはただ一人、父である。弁護士の父は、何が起きても、それを我が事とは捉えず、家の安泰だけを願い、願っていればかなうと思っているらしい。

 すべては戦争がいけないのだ、ということではない。戦争がなくても、田舎の名家をこうした悲劇が襲うことはある。いや、多かれ少なかれ、生きていくということは、こうした悲劇を体験することだ。ただ、戦争はその悲劇を増幅するだけだ。

 問題は、長女においてくっきりと表現されている。婚約者の戦死という悲劇を、失明した兄への奉仕という行為で乗り越えようとするわけだが、心の中に、兄への憎悪が蓄積していく。それは、「自分の時間を奪われる」というエゴイズムだ。これは正当なエゴイズムであって、誰もそれを非難することはできない。ボランティアにしろ、介護にしろ、こうしたエゴイズムから自由な人間はいない。それでも、そのエゴイズムとどこかで折り合いをつけていくことで、生きて行くしかないのだ。

 けれども、長女には、限界がくる。新たな恋は、新しい献身としての生き方への希望だったが、それもかなわなかったとき、怒りは父へと向かう。男が破産することを知っていながら、なんの支援もしようとしなかった金持ちの父への憎悪。お父さんがあの人を殺したんだと叫んで、狂っていく長女は痛ましい。

 この長女の悲劇をどうしたら防ぐことができたか。もちろん戦争がなかったら、悲劇の出発点はなかった。けれども、婚約者との結婚が、悲劇の出発点ではなかったとは誰にも言えない。次女の悲劇は、まさにその結婚だったわけだ。

 次女についても、三女についても、事態は同じことで、人生は悲劇なのだ、「幸福」なんてものは、人生の中には「ない」のだ。そうモームは言ってるように思える。

 戦争については、直接の被害者である失明した長男によって、するどく抉られる。国家のために犠牲になることを当然のように考える父や国の支配者に対して「彼らは学ばないんだ。」という切実な声は、リアルに観客の心に突き刺さった。この芝居が、単なる家庭劇ではない所以であるし、あえて、この時期にこの芝居を上演するキンダースペースの意図でもあったろう。

 この芝居を見ている観客の心の中には、「ではどうすれば?」の疑問が渦巻くだろう。その解決が「やっぱり戦争はいけないんだ。」でないことは確かだ。戦争はいけないけれど、その戦争はどうしたらなくせるだろう、と考えたとき、結局は人間のエゴイズムという現実に直面する。国家のエゴイズムだけではなくて、人間一人一人のエゴイズムに直面する。そして、こう呟かざるを得ない。「解決は、ない。」

 そう、解決なんてないのだ。けれども、死ぬまでは、生きていかねばならない。そのおおむねは辛く厳しい人生の途上で、たまに出会う安らぎとか感動とかが、「幸福」であろう。だから「幸福」は、懸命に求めるものではなくて、僥倖として降ってくるものだ。だから、それを素直に受け止め、素直に手放さなければならないのだ、きっと。

 この芝居の本質は、おそらく、ラストシーンにある。すべてに解決も見えない崩壊寸前の家族を前に、今までただただ忠実に黙々と働いてきた召使い(ガートルート)が、すっかり旅支度をして、「これでおいとまします。」と言って去って行く。父は、事態をまったく把握できずに、きょとんとするところで終幕となる。

 これは、まるで、舞台全体を、大きな風呂敷でまるごと包んで放り投げるような印象があって、見事だった。ここで、初めて、この舞台全体の出来事が、召使いという「部外者」の目を通して冷たく見つめられていたことに気づく。そして、「いったいこの人たちときたら、何やってんだか。さ、おしまい、おしまい。」という作者モームの肉声を聞く気がした。このやっかいな人生を「外側」から俯瞰する視点の獲得といってもいい。

 モームは、召使いとともに、さっさといなくなってしまうが、風呂敷の中に取り残された人たちは、これからも、実にメンドクサイ人生を生きていくだろうし、その風呂敷の中の人たちと同類である観客も、やれやれと思って、帰途につくこととなる。

 その帰途で、ずっしり重い「人生の問題」を抱えつつも、「やれやれ」というため息が、どこかで、「見えない」人生の秘密に通じていることもまた実感するのだ。

 個々の俳優の好演については、いちいち書かないが、客演は言うまでもなく、キンダースペースの俳優の演技力には、ますます磨きがかかっていて、嬉しい限りだ。俳優だけではなく、音楽、舞台美術、照明、音響、衣装のどれをとっても、繊細で神経の行き届いた素晴らしい舞台だったことは特筆しておきたい。演出のすごさは、今更言うまでもないが、やっぱり原田一樹は、稀有の演出家だと実感した。

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ 237 志賀直哉『暗夜行路』 124 見事すぎる描写 「後篇第三  十六」 その1

2023-02-10 14:34:29 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 237 志賀直哉『暗夜行路』 124 見事すぎる描写 「後篇第三  十六」 その1

2023.2.10


 

謙作夫婦の衣笠村の生活は至極なだらかに、そして平和に、楽しく過ぎた。が、平和に楽しくという意味が時に安逸に堕ちる時に謙作は変な淋しさに襲われた。そういう時、彼は仕事をよく思った。しかし彼にはまとまった仕事は何も出来なかった。前に信行を介して話のあった雑誌社からの催促も受けていたが、それが出来なかった。


 「変な淋しさ」は「安逸」からやってくる。「平和」で「楽しい」生活は、作家にとっては大敵なのだろう。田山花袋も、「東京の三十年」の中で、作家になってからの自分の生活の安定によって「書けない」状況に陥ったことを嘆いている。自然主義の作家は、家庭の不幸を肥やしに小説を書いてきたようなものだとも言えないこともないわけだ。

 尾崎一雄だったか、書けないと悩んでいたら、妻が、それなら私が死にましょうか? と言ったとかいう逸話もどこかで聞いたような気がする。

 相変わらず末松とはよく会って、花札をやったりしたが、あるとき、以前、直子のズルを疑ったのと同じ場面に出くわし、ああ、直子はあのとき、決してズルをしたのではなくて、見誤ったのだと納得した。しかし、そのことを、直子には言わなかった、とある。

 単なる間違いだったと納得したとはいえ、やはり、謙作は直子の「ズル」に傷ついていたのである。それがけっこう尾を引いているのが、なんとなく嫌な感じがする。それだけにリアルでもある。

 時は過ぎた。


 二月、三月、四月、ー四月に入ると花が咲くように京都の町々全体が咲き賑わった。
 祇園の夜桜、嵯峨の桜、その次に御室の八重桜が咲いた。そして、やがて都踊、島原の道中、壬生狂言の興行、そういう年中行事も一卜通り済み、祇園に繋ぎ団子の赤い提灯が見られなくなると、京都も、もう五月である。東山の新緑が花よりも美しく、赤味の差した楠の若葉がもくりもくり八坂の塔や清水の塔の後ろに浮き上がって眺められる頃になると、さすがに京都の町々も遊び疲れた後の落ちっきを見せて来る。
 実際謙作たちも、もう遊び疲れていた。そして、謙作はその頃になって直子が妊娠した事を知った。

 


 相変わらず見事な筆の運びだ。

 京都の町の季節の推移が、年中行事によって綴られ、そのあとに、自然描写がくる。とりわけ、「東山の新緑が花よりも美しく、赤味の差した楠の若葉がもくりもくり八坂の塔や清水の塔の後ろに浮き上がって眺められる頃」という表現は、いかに志賀直哉が自然をよく観察し、また愛していたかが伝わってくる。

 「赤味の差した楠の若葉がもくりもくり」は、楠をちゃんと見てないと書けないところだ。そうした「自然の充実」は、「直子の妊娠」を自然に導きだしてくる。それと同時に、年中行事、自然の推移の中で、謙作と直子の夫婦生活も、若々しくなされていたことにも気づかされるのである。まあ、「気づく」というのも、変だが。

 というのも、前回の最後に、芸者のところから夜遅く帰ってきた謙作を迎えた直子が「亢奮」していたという場面で、ぼくは、それは直子が自分の嫉妬を抑え込むための「偽装の亢奮」だったのではないかと書いたことに対して、古くからの友人が、直子が亢奮していたのは、謙作が芸者と遊んでいることを想像しているうちに、自らの性欲を抑えがたくなったがためであろう。だから、謙作が帰ってきて、その欲望を開放することができたはずだ、とメールしてきたからだ。

 彼は、ぼくの「解釈」を「論理的」だといちおう褒めてくれたけれど、やっぱり、「書かれていない」部分がどうだったかは、彼のほうが「正しい」ような気がしていたのだ。その「正しさ」は、この直子の妊娠の描き方から考えてみても、やっぱり証明されるのではないかと思う。「解釈」はむずかしい。しかし、おもしろい。

 


 六月、七月、それから八月に入ると、よくいわれる如く京都の暑さはかなり厳しかった。身重の直子にはそれがこたえた。肉附のよかった頬にも何所か疲れの跡が見られ、ぼんやりと淋しい顔をしている事などがよくあった。丁度国から直子の年寄った伯母が出て来て、それからは謙作もいくらか気持に肩ぬけが出来た。伯母は大柄な、そして顔に太い皺のあるちょっと恐しい感じのする人だった。が、如何にも気持の明かるい、それに初めて来た家のようになく総てを自由に振舞い、謙作に対しても、それを包むような子供扱いをする所が、実の伯母であるかのような親しい感じを謙作にも起こさせた。
 余りの暑さに謙作は避暑を想い、この気のいい年寄りと三人で何所(どこ)か涼しい山の温泉宿に二、三週間を過ごす事を考えると、子供から全くそういう経験がなかっただけに、彼にはそれが胸の踊るほどに楽しく想像された。
 彼は直ぐこの思いつきを二人に話さないではいられなかった。
 「どうですやろう」伯母は何の遠慮もなくいった。「今汽車に乗せたら障(さわ)らんかな」
 「まだ大丈夫でしょう」謙作は答えた。
 「いいや。そら、この位の暑さは別に障るまいが、それより動かさんがいいやろう。お湯でお腹の児が育ち過ぎても困るしな」
 折角の思いつきもこの反対でそれっきりになった。直子の淋しくぼんやりしているような事も少なくなった。月見、花見、猪鹿蝶、そういう旧いやり方の花合せなどをして遊ぶ事もあった。伯母は一卜月ほどいて帰って行った。

 


 以前、女中の「仙」の描き方が素晴らしいと書いたことがあるが、この「伯母」の描き方もまたいい。たった128文字で(数えてみた)、一人の人間の外貌と内面をくっきりと描き出す。名人芸のクロッキーだ。

 「大柄な、そして顔に太い皺のあるちょっと恐しい感じのする人」は、まるで、「となりのトトロ」に出てくるバアサンみたいだが、外貌はそれで十分に伝わる。その内面は、「気持ちの明かるい」は平凡だが、「初めて来た家のようになく総てを自由に振舞い、謙作に対しても、それを包むような子供扱いをする」という叙述で、まるで身近なオバサンのように、謙作でなくとも親しみを感じるだろう。

 妊娠中の直子の「ぼんやりと淋しい顔」も印象的だし、温泉に行くことを子どものように胸弾ませる謙作の気持ちも面白い。そして何よりも、その温泉行きを、伯母さんに即座に否定されて、一言の抗弁もできない謙作のがっかり感がよく伝わってくる。そして、さっさと伯母さんを退場させる手際も水際立っている。


 九月に入ると、直子も段々元気になり、謙作がおそく二階の書斎から降りて来ると、電燈の下に大きな腹をした直子が夜なべ仕事に赤児の着物を縫っている事などがあった。
 「可愛いでしょ」
 一尺差しの真中を糸で釣った仮の衣紋竹(えもんだけ)に赤い綿入の《おでんち》を懸け、子供の立った高さに箪笥(たんす)の環(かん)から下げてある。
 「うむ、可愛い」
 謙作は其所(そこ)にそういう新しい存在を想像し、不思議な気がした。それは不思議な喜びだった。肩上げにくびられ、尻の辺りが丸くふくれている所が後向きに立った肉附きのいい子供をそのままに想わせた。
 「あなたは本統は何方(どっち)がいいんだ? 男がいいか、女がいいか」自分でもそんな事を思いながら謙作は訊いてみた。
 「そうね。何方でも生れた方がいいのよ。どうも、こればかりは神ごとで仕方がないのよ」直子は貫(と)おした糸を髪でしごきながら済まして答えた。
 「伯母さんがそういったんだろう」謙作は笑った。それに違いなかった。
 赤児の着物は国の母親の縫った物が何枚も届いた。伯母からも洗(あらい)ざらした単衣(ひとえ)で作った襁褓(むつき)が沢山に来た。
 「まあ、きたならしい物ばっかり」その小包を解いた直子は予期の違った事から顔を赤くしながらいった。「羞(はず)かしいわ。こんなもの……」
 「勿体(もったい)ない事おいやす。こういうものは何枚あったかて足りるものやおへんぜ。きたならしいいうて、そない洗晒(あらいざら)したんでないと、ややはんには荒うてあきまへんのどっせ」
 「これはあなたが着てたんだろう?」謙作にはこういう荒い中形を着ていた時代の直子が可愛らしく想い浮んだ。
 「そうよ。だから羞かしいのよ。いくら田舎でもこんなになるまで着てたかと思うと。伯母さんも本統に気が利かない」
 直子がそう腹立たしそうにいうと、仙が傍(そば)から、
 「奥さん。御隠居はんなりゃこそどっせ……」と多少厭やがらせの調子にいって笑った。

(注 おでんち=ちゃんちゃんこ)

 


 褒めてばっかりで気が引けるが──「名作」なのだから、褒められて当然とは思うが、一方では「暗夜行路」なんてくだらない小説だとする識者も意外に多いので、褒めることをためらいたくない──それにしても、こういった「リアル」なシーンを、志賀はどうして書けるのだろう。こういうことを、頭の中だけで考えて書けるとはとうてい思えない。

 衣紋竹にかけた「おでんち=ちゃんちゃんこ」を見て、そこに生まれてくる子どもの肉体を想像して「不思議な気がした」というあたりも、実感があって、きっと志賀がどこかでそういう実感を持ったのだろうと思わせる。

 古着で作ったオムツを田舎から大量に送られてきたのを見て、直子が恥ずかしがるあたりも、フィクションではとうてい書けそうもないことで、実に細やかな実感がある。

 そしてまた「仙」である。この仙の言葉によって、直子や伯母さんの輪郭がくっきりするような印象がある。見事としかいいようがない。

 

 


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木洩れ日抄 102  こわい夢を見て「課題エッセイ」をやめちゃおうと思ったことについて 【課題エッセイ 6 夢】

2023-02-07 15:48:43 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 102  こわい夢を見て「課題エッセイ」をやめちゃおうと思ったことについて 【課題エッセイ 6 夢】

2023.2.7


 

 久しぶりに、こわい夢をみた。こわいといっても、お化けが出たとかいう類いのものじゃなくて、「締め切りがあるのに、できそうもない」って類いの夢だ。

 現役教師のころは、ずいぶん長い間、演劇部の顧問をやっていたのだが、公演間近になると、決まって、芝居がもうすぐ始まるのに、まだセリフを全然覚えてない、という夢にうなされた。なにも自分が役者として舞台に上がるわけでもないのに、夢の中では自分が役者になっていて、もうすぐ幕があがるという段になって、セリフが入っていなくて焦るのだ。焦っているうちに夢は覚めてしまい、幕が上がってしまったためしは一度もないのだが、それでも、目覚めたときは、心底ほっとしたものだ。

 これに似た夢に、授業が始まっているのに、行くべき教室に辿り着けないというヤツがあって、これは半分は、いやほとんどが「授業が嫌だ」というつね日ごろの気分の反映で、「授業をしたい」という気分では断じてない。この夢も、教室に辿り着かないうちに目が覚める。このバリエーションが、授業に行きたいのだが、持って行くべき教科書がない、というヤツで、これも探すのに四苦八苦するのだった。もっとも、これは、実際にもあったことで、正夢のようなものである。

 で、今朝見たのは、詳しくは覚えていないのだが、とにかく、なぜか2月5日までにやらなくちゃいけないことがたくさんあるのに、今は、もう1月の下旬で、それらをやる時間がぜんぜんないという夢だった。「やらなくちゃいけないこと」の中に、書展に出す作品を作るというのがあったことは確かだが、他にもなんだかゴチャゴチャあった。手帳でその間の予定を見ると(今ではその手帳すら使っていないのだが)、なんと、2泊3日ほどの中学1年生の合宿引率が入っている。ああ、これは外してもらえないだろうしなあ、しかし、そうなると実質使える時間ってほとんどないじゃん、と思って、焦りに焦っているうちに、目が覚めたのだが、いつもと違って、ああ、よかったという気分ではなかった。

 どうして、こんな夢を見るんだろうとおもって、「やらなくちゃいけないこと」を考えてみると、あるにはある。仕事ではないのだが、ブログで「一日一書」として連載している「寂然法門百首」のシリーズ。これは、長男の著書を素材に、百首分を書にするというもので、100枚揃ったら長男に渡すことにしている。(ま、迷惑だろうけど)

 次に、「日本近代文学の森へ」と題したシリーズで、これが「暗夜行路」の回に入ったら、123回も書いているのに、まだ3分の2程度までしか進んでいない。これらは別に期限があるわけではないが、やめるわけにもいかない。そのほか、日常の雑事で、「やらなくちゃいけないこと」はごまんとある。

 そんな状況なのに、なにを思ったか、「課題エッセイ」なんてのを始めてしまったのだが、これがやってみると、なかなか一筋縄ではいかない。題を与えられて何か書くなんて、原稿料でももらわないかぎり、できるわけがない。いや、できないわけではないけど、やる気がおきない。原稿料も出ないのに、作家だか、エッセイストだかしらないが、そんなもののマネみたいなことして何が面白いのか。こんなばかなことをしているから、こんなろくでもない夢にうなされるのだと、つくづく思った。

 それでも、「寂然法門百首」は、毎回どのような字体で、どのような紙に、どのように字を配置するかなどと考えながら書いているので、ちっとも苦痛ではない。苦痛に近いものがあるとすれば、なかなか落ち着いた時間がとれないというストレスだけだ。
「近代文学の森へ」のほうも、毎回、新しい発見があり、「暗夜行路」という作品のすごさが分かってくるし、友人が読んでくれていて、感想をメールしたりしてくれるので、むしろ楽しい。

 それに比べると、「課題エッセイ」のほうは、自由感がないだけに、なんだか重苦しい。中学高校を通じて、ドイツ人の校長に、ことあるごとに「やるべきことをやるべきときにしっかりやれ」と叱咤激励され、というか、なかば脅迫され続けた結果、どこか体の芯に、「義務感への忠誠」みたいなものが埋め込まれてしまったみたいで、それがために、ずいぶんと苦しんできた。高校を卒業してからは、そこからいかにして自由になるかが、ある意味、生きる課題でもあったような気もする。もちろん、仕事をするうえでは、そうした「芯」に助けられたことも多かったわけだが。

 しかし、今は仕事もほとんどない。せっかく仕事をやめたのだから、それこそ自由を謳歌してもバチはあたらないわけで、楽しいことしかしないと決めたはずなのに(と言っても、仕事でも「楽しいこと」しかしないという姿勢はできるかぎり守ってきたが。)いつの間にか自分で自分を苦しめている。「楽しいことしかしない」と決めたところで、実際の生活には「楽しくないこと」が山のように押し寄せてくる。それなら、なにも、自分からすすんで「楽しくない」ことなんてするべきじゃないだろう。そんなことは自明のことだ。

 そのようなわけで、怖い夢から覚めて、それでも「ああ、よかった。」とはならなかったことから、「課題エッセイ」なんてやめちゃえ、という結論が導き出されるに至ったのであった。

 これからは、「木洩れ日抄」の「通常版」で、気が向いたら書いていくつもり。何事も「気楽」がいちばんいいや。

 

 


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一日一書 1731 寂然法門百首 79

2023-02-04 10:49:20 | 一日一書

 

莫懐身相

 

いたづらに惜しみきにける仮の身を誠の道にかへざらめやは
 

半紙

 

【題出典】『止観輔行伝弘決』一・二

 

【題意】 莫懐身相=身相を懐すること莫(な)かれ

身を惜しんではならない。


【歌の通釈】
むやみに惜しんできたはかない身を、真実の道のために捨てないことがあろうか。

【考】
真実の道のためには、我が身を惜しまずに捨てようと言った歌。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

 


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