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一日一書 1694 春の川光余して海に入る・名取里美

2021-05-20 15:08:46 | 一日一書

 

名取里美

 

春の川光余して海に入る

 

色紙大

 

 

たった17文字のなかに、壮大な自然が広がっています。

「春の川」「海に入る」は、ごく普通の言葉ですが、

その間に「光余して」が入ることで、

まるで気球が膨らむように、なにかが膨張していく感じがします。

「春の川」が光を運んで来た、けれども、運ばれてきた光は水とともに

海には入りきれないで、海岸に「余った」。

そう言い換えてしまっては説明的にすぎるけれど、表面上はそういう「意味」が受け取れます。

けれども、この句は、そういう「現象」ではなくて、

自然そのものの「動き」と「広がり」を表現しているように思えるのです。

 

圧倒的な「量」としてそこにあるのは

光であり、空気です。

あるいは、宇宙であり、世界です。

その中を貫く光り輝く「春の川」、そして、その川が流れ込んでいく無限大の「海」。

 

俳句というのは、

世界の一点を穿つことで、世界全体を描き出すものなのかもしれません。

 

 

 


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一日一書 1693 寂然法門百首 45

2021-05-18 15:37:55 | 一日一書

 

種智還年

 

 過ぎきにし昔も今もかへりけり悟りの門を開くしるしに

 

半紙

 

【題出典】『法華文句記』九・中

 

【題意】  種智還年

(父ははるか昔に)仏の智恵により年月が戻る(薬を服し、父は老いているが若い。)
 

【歌の通釈】

 過ごしてきた昔も今に戻るのだよ。悟りの門を開いた効験として。

【左注】
一切種智の門(かど)を開きつれば、過去遠々の昔の時もかへりて、さらに常寂光の都に住むなり。水はかへる夕べながき恨みもなく、花はふたゝび春にあへるよろこびぞあるべき。

(仏の智恵の門を開くと、遠い過去の時間も今に戻り、さらに永遠絶対の浄土に住むのだ。(水は夕べに戻ることなく、花は一年に二度咲くことはないというが、)水は夕べに憂いもなく戻り、花はもう一度春に会い咲く喜びがあるはずなのだ。)

 


【考】

『法華経』従地湧出において、大地から湧き出た菩薩たちは、久遠の昔に仏が教化したものであることを明かす。そのたとえとして、「譬えば、小壮き人の年始めて二十五なるもの、人に、百歳の子の髪白くして、面皺めるを示して「これ等は、わが生める所なり」子も亦「これ父なり」と説かんに、父は小(わか)くして、子は老いたれば、世を挙げて信ぜざる所ならんが如く、世尊も亦、かくの如し。」と説かれる。『法華文句記』の題文の前後はこの箇所の注釈。その中で、父はなぜ若いのか、それは仏の智恵により過去の時間が戻る薬を飲んだからだ、とするのが題文である。(中略)悟りを開けば悠久の過去の時間が戻り、また永遠の都に住むことができるという。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


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