Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

一日一書 1665 寂然法門百首 32

2020-10-31 15:27:43 | 一日一書

 

乃至以身而作床坐

 

 
山おろしに霰散る夜の寒き夜は玉の姿ぞ床と成しける

 

半紙

 

 

【題出典】『法華経』提婆達多品


 

【題意】  乃至、身をもって床坐となす。

     自分の身を(仙人の)椅子代わりにする。
 

【歌の通釈】

  山から吹き下りる風に加え、霰が降り散る寒い夜は、仏がその尊い身を床となしたことだよ。
 

【考】
  釈尊が国王であった時、法華経を知るために阿仙人に仕え、その身を仙人の床坐となした。この場面を、山おろしが吹き荒れる冬の霰の夜の情景の中で詠んだ。出家は厳しい冬の勤行を、仏のこうした行を思い起こしながら耐え忍んだのだろう。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本近代文学の森へ (173) 志賀直哉『暗夜行路』 60  フィクションの中のリアル  「前篇第二  七」 その2

2020-10-26 17:08:26 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (173) 志賀直哉『暗夜行路』 60  フィクションの中のリアル  「前篇第二  七」 その2

2020.10.26


 

 外から声をかけて、隣りの婆さんが恐る恐る障子を開けた。夕食の飯を持って来たのである。そして彼が何も菜(さい)の支度をしてないのを見ると、
「《でべら》ないと焼きやんしょうかの」といった。
彼にはほとんど食慾がなかった。
「後で食うから其処へ置いてって下さい」
 婆さんはお櫃(ひつ)を其処へ置いて帰ると、また湯がいたほうれん草を山盛りにつけた皿を持って其処へ置いて行った。

 


 兄信行からの衝撃の手紙を読みおえ、それでも、どこかに「自由」を感じた謙作だったが、その謙作の気持ちの描写を断ち切るように、この短い部分が来る。

 婆さんは「夕食の飯」を持ってきたのだが、おかずは、謙作が用意することになっていたらしい。けれども謙作は「何も菜の支度をしてな」かった。すると婆さんが「でべら」でも焼いてきましょうか? と聞く。

 「でべら」という名前にかすかに記憶があった。昔尾道に行ったときに、見かけたのだろう。「でべら」は「出平鰈」と呼ばれるが正式には「タマガンゾウヒラメ」というらしい。尾道の冬の風物詩だ。

 お櫃を置いて帰った婆さんは、その焼いた「でべら」と、「湯がいたほうれん草を山盛りにつけた皿」を持ってきたのだろう。このほうれん草も旨そうだ。

 こういうのがさりげなく出てくるところがいい。こういうシーンというのは、実際に志賀直哉が尾道に住んだ時に経験したことなのだろう。尾道に住んだこともなく、尾道のことをまったく知らない作家が、調査や想像だけで、こういうシーンを描くことができないということは言えないが、なかなか難しいだろう。

 小説はフィクションだというけれど、そしてこの「暗夜行路」もフィクションだけど、そのフィクションを支えるのは、こうした細部の「リアル」だ。そして細部の「リアル」に魅力を感じはじめると、読書のスピードはとたんに落ちる。別に言い訳じゃないけれどね。

 


 彼はやはり何となく家へ落ちついていられない気持になった。丁度新地の芝居小屋に大阪役者が来ている時で、彼は隣りの老人夫婦を誘って其処へ行って見ようと思った。しかし隣りではその晩三原という処へやってある孫娘が泊りがけで来るはずだったので、行けなかった。爺さんは婆さんにお前だけ行けと切りに勧めたが、婆さんは「へえ、わしもやめやんしょう」こんな事をいって笑いながらなかなか応じなかった。婆さんは後妻で子がなかった。それ故それは義理の孫娘だった。
「折角じゃ、お前だけ供をせえ」爺さんはいい機会を逃すことを惜むように押していった。が、婆さんはどうしても応じなかった。切りがないので、
「そんならまたこの次ぎにすればいい」こういって謙作は婆さんのつけてくれた小さいぶら提灯を下げて一人坂路を下りて行った。

 


 夕食を食べたのか食べなかったのか分からないが、謙作は芝居を見にいく。その芝居を見にいくか行かないかで、ちょっとした老夫婦のやりとりである。

 この当時は、地方に「大阪の役者」が来て芝居をするというのも、そうそう頻繁にあったわけではないだろう。しかも、二人で行くとなればそれなりに出費もかさむ。誘うからには、謙作持ちに決まっているから、爺さんも婆さんも行きたいに決まっている。けれども、そこへ孫が来るという事情が加わっている。しかも、この婆さんは、爺さんの後添いである。当然婆さんとしては、その「義理の孫」をそっちのけにして芝居に行くことはできない。そんな義理立てをする婆さんに、爺さんは、そんなことは気にしなくてもいいからお前だけでも行ってこいと強く言う。爺さんも、婆さんに気を使っているのだ。

 老夫婦の感情の襞を、短い文章で繊細に描いていて見事だ。この老夫婦をめぐって、一篇の短編小説ができそうだ。

 こうしたリアルな庶民の哀歓をさらりと描いた後、もういちど謙作の内面が描かれる。

 


 盛綱の芝居をしていた。それは今までとは異った平舞台に沢山の金屏風を立て廻してする首実検で、盛綱になった役者が、浄瑠璃の三味線に乗ってむしろよく踊っていた。少しも内面的な所がなく、しかし気楽に見ているにはそれも面白かった。そして三幕ほど見て其処を出た。彼はぶらぶらと一人海添(うみぞい)の往来を帰って来た。彼の胸には淋しい、謙遜な澄んだ気持が往来していた。お栄でも信行でも、咲子でも、妙子でも、その姿が丁度双眼鏡を逆に見た時のように急に自分から遠のき、小さくなってしまったように感ぜられた。そして誰も彼もが。それは本統に孤独の味だった。しかも彼にはそれらの人々に対し、実に懐かしい気持が湧き起っていた。そして彼はまた亡き母を憶い、何といっても自分には母だけだった、という事を今更に想った。幼時の様々な記憶が甦って来た。彼は臆面もなく感傷的な気持に浸ってそれらへ振り返った。それがせめてもの安全弁だった。彼は此処でも屋根に乗った時の記憶を想い浮べ、涙ぐんだ。しかし母の床に深くもぐって行った時の事を憶うと、彼は不意に何かから突き返されたような気がした。その時の母の情けない気持が彼に映ったのだ。母にはそれが自身の罪を突きつけられる事だったに違いない。罪の子、自分は本統に罪の子なるが故に生れながらにして、そう出来ていたのではなかったか。こんなに考えられた。

 


 芝居のことはそうそうに切り上げられて、謙作が内面が語られる。孤独感のなかに、母の姿が浮かぶ。それは、幼いころに屋根に上ってしまった謙作を下から涙をためて心配した母の姿だったが、それとどうじに、母の蒲団のなかに潜り込んだときに手厳しく叱った母でもあった。感傷的な気分のなかに、自分が「罪の子」であることが実感されるのだった。

 しかし、謙作は、そういう自分をなんとか立ち直らせようとする。

 


 彼は段々自分が、そういう気分に惹き込まれつつある事を意識した。坂路で惰性のままに段々早くなる。それを踏み止るような心持で、むしろ意志的に彼は気分を惹きもどそうとした。手段として、彼は広い広い世界を想い浮べた。地球、それから、星、(生憎曇っていて、星は見えなかったが)宇宙、そう想い広めて行って、更にその一原子ほどもない自身へ想い返す。すると今まで頭一杯に拡がっていた暗い惨めな彼だけの世界が急に芥子粒ほどのものになる。──これは彼のこういう場合の手段で、今も或る程度には成功した。
 少し腹が空いて来た。彼は時々行く西洋料理屋まで引きかえそうかと思ったが、新地をまた通って、行く事がいやに思えた。そして暗い海添い道をちょっと後もどりして蠣船料理へ行った。

 


 自分の悩みでいっぱいになったとき、自分を「宇宙」の中に置いてみる。そうすることで、自分の世界が「芥子粒ほどのもの」に見える。つまりは自分の存在を相対化するということだ。

 高校生のころ、何かにつけて悩みが多かったが、あるとき、山下公園のマリンタワーに一人でのぼったことがある。その展望台から見ると、山下公園を歩く人々がまるで蟻のように見えた。なんだオレもあの蟻のようなものじゃないか、と、実に通俗的な「発見」で、一時的にではあれ、救われたような気がしたことがあったが、ひょっとしたら、あのとき、「暗夜行路」を読んでいたんじゃないだろうかと、ふと思った。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日一書 1664 寂然法門百首 31

2020-10-16 08:57:05 | 一日一書

 

即脱瓔珞細軟上服

 

 
そむけどもこの世のさまにしたがへば思はぬ今日の衣替へかな 

 

半紙

 

 

【題出典】『法華経』信解品


 

【題意】 即ち瓔珞と細軟(なよらか)なる上服 (「而+大」の文字は「軟」に同じ)

  珠玉の飾り玉と柔らかな立派な服を脱ぐ。
 

【歌の通釈】

  世をそむいたけれど、この俗世の習慣に従えば、思ってもみなかった今日の衣替えであるよ。(如来長者も愚かな息子に近づくために、思ってもみなかった衣替えをするよ。)
 

【考】
  『法華経』信解品、長者窮子の比喩において、我が子に近づくために、長者が賤しい衣に着替えた場面を、出家者の「初冬」の更衣の心により詠んだもの。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


 

いよいよ「冬」の巻が始まります。

山本章博によれば、この「寂然法門百首」は、経典の中から、あえて季節感のある字句を抜き出しているところに、特徴があるそうです。この「題」などは、季節感はありませんが、「立派な服を脱いで粗末な着物に着替える」というところを、日本の季節にあわせて「衣替え」としたわけです。

「俗世を捨てたけれど、この世の習慣に従う」といったあたりは、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」がすぐに思い浮かびます。西行の歌では、出家の身にも秋の情緒は感じられる、ということで、「季節の情緒」が主になっていますが、この寂然の歌では、「子への愛」が歌われています。子どもに会うためならば、あえて俗世の習慣にも従うというかのような、「愛」の姿でしょうか。

仏教でも、キリスト教でも、信仰は、人間本来の感性や感情を否定するものではない、ということなのかもしれません。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本近代文学の森へ (172) 志賀直哉『暗夜行路』 59  自由  「前篇第二  七」 その1

2020-10-14 14:44:56 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (172) 志賀直哉『暗夜行路』 59  自由  「前篇第二  七」 その1

2020.10.14


 

 気持にも身体(からだ)にも異常な疲労が来た。彼はもう何も考えられなかった。彼はそれから二時間ばかり、ぐっすりと眠った。
 四時頃眼を覚ました。その時は気分も身体もほとんど日頃の彼になっていた。彼は顔を洗って、少時(しばらく)、縁へしゃがんで、ぼんやり前の景色を眺めていた。その内彼はお栄や信行が心配しているだろう事を想い出した。そして早速返事を出す事にした。

 

 信行の手紙は、謙作の心を根底から揺るがすものだったが、それでも、2時間ほどぐっすり眠ると、謙作は自分をとりもどす。

 


 お手紙拝見しました。一時はかなり参りました。日頃の自分を見失ったほどでした。しかし一卜寝入りして今はもうそれを取りもどしています。君がいいにくい事を打明けて下さった事は本統にありがた<思いました。
 母上の事、今は何も書きたくありません。しかしそういう事の母上にあったというのは何より淋しい気をさす事でした。もっともそれで母上を責める気は毛頭ありません。僕には母上がこの上なく不幸な人だったという事きり今は考えられません。
 父上に対しては、多分、この事を知ったがために僕は一層父上に感謝しなければならぬのだろうという気が漠然しています。実際父上がこれまで僕にして下さった事は普通の人間には出来ない事だったに違いありません。それを感謝しなければならぬと思っています。そして父上がこの事から受けられた永いお苦みに就いても想像はつきます。随分恐しい事だったに違いありません。ただ僕としては、これから先、父上とどういう関係をとるか、これを疑問にしています。父上に御苦痛を与える事なしに、やはり今度を機会として、無理のない処まで関係をはっきり落ちつける方がいいように考えます。
 しかし君との関係は別です。それから出来る事なら、咲子や妙子との関係も別だといいたい気が実に強くしています。

 


 とりもどしたとは言っても、すでに以前の自分ではないはずだ。何かが決定的に変わったはずである。しかし、謙作の手紙を読み進めると、この衝撃は、根底から謙作を変えるものではなかったという印象が深い。

 まず、兄に対して。この事実を打ち明けてくれた信行にはただただ感謝の気持ちが綴られている。一片の恨みも妬みもない。父や母への思いは複雑極まるが、兄信行や、妹咲子、妙子への思いはまったく別だと言い切る。まっすぐな謙作の気持ちが伝わってくる。

 母に対してはどうか。母については「何も書きたくありません」とまず断りながら、それでも、「そういう事の母上にあった」ことは自分を「淋しい気をさす事」であったという。「そういう事の母上にあった」という書き方は、その事実が母の責任ではないという謙作の認識を示している。だから、「母上を責める気は毛頭ありません」ということになる。それはいわば事故だったのであって、母が行為の主体として行ったわけではない、ということだ。そしてその母は、「母上がこの上なく不幸な人だった」としか考えられないというのだ。

 これは謙作が実際にそう感じたということではなくて、そのように事態を理性的に「処理」した、ということだろう。そうすることで、「日頃の彼」を辛うじて保ったということだ。しかし、この事実をほんとうに受け止め、ほんとうの現実を謙作が生きるには、まだそうとうの時間が必要のはずだ。

 一方父に対してはどうだろう。ここでも、理性的な処理は行われている。こうした事実があったにもかかわらず、自分を育ててくれたということに対して父には「感謝しなければならぬと思っています」という。「感謝している」ではなくて「感謝しなければならぬと思っています」なのだ。これも理性的な判断だが、感情的にはそんなに簡単ではない。

 感謝しているからといって、父との関係がどうなるかは「疑問」だというのだ。「父上に御苦痛を与える事なしに、やはり今度を機会として、無理のない処まで関係をはっきり落ちつける方がいいように考えます。」という回りくどい表現からは、この後の父との関係の難しさが滲みでている。

 


自分に就いては、どうか余り心配しないで頂きます。一時は随分まいりましたし、今後もまいる事があるかも知れません。しかし回避かも知れませんが、自分がそういう風にして生れた人間だという事を余り大きく考えまいと思っています。いやです。それは恐しい事かも知れません。しかしそれは僕の知った事ではありません。僕には関係のない事がらです。責任の持ちようのない事です。そう考えます。そう考えるより仕方ありません。そしてそれが正当な考え方だと思います。

 


 自分については、まずはこのようにして、自我の崩壊を「回避」したといえるだろう。自分の出生にまつわることを「余り大きく考えまい」とする、そして、「僕の知ったことではない」「僕には関係のない事柄」「責任の持ちようのない事」、そう「考える」ことで、その重大事からの打撃を「回避」したわけである。けれども、それで済む問題ではもちろんなかった。

 この後、謙作は、愛子とのことであれほど悩んだのも、「断られる原因を知ることが出来なかった」からだと言い、今度も、愛子の時のように原因が分からず断られたら今よりもっと悩んだだろうと書き、次のように続ける。

 


どうか僕の事は心配しないで頂きます。僕は知ったがために一層仕事に対する執着を強くする事が出来ます。それが僕にとって唯一の血路です。其処に頼って打克つより仕方ありません。それが一挙両得の道です。(中略)
 それから創作に自家の事の出る事、心配されるお気持、同感出来ます。それは何かの形で出ない事はないかも知れません。しかし不愉快な結果を生ずる事には出来るだけ注意します。

 


 この衝撃的な事実を「知った」ことは、かえって自分の仕事への執着を強くするだろう、それが自分にとっての「唯一の血路」だ、そして、そのことでこのことに「打ち克つ」以外に自分の生きる道はない、というのだ。

 作家として生きるということは、自分に起きるあらゆることを糧としなければならない、またそうすることで作家として成長できるというこの言葉は、また志賀直哉自身の決意でもあろう。しかも、このことを謙作が小説に書いて世間に知らしめることを危惧する兄に対して、その気持ちは分かるが、自分が作家である以上、「何かの形で出ない事はないかも知れません」と釘をさし、「不愉快な結果を生ずる事には出来るだけ注意します」と、曖昧な形でしか約束をしないところも、謙作の「作家根性」は坐っているというべきだろう。

 肝心のお栄との結婚については、手紙の最後に次のように書く。


 お栄さんも余り心配しないよう願います。
それからお栄さんの事はもう少し考えさして頂きます。しかしお栄さんに《はっきり》断る意志あれば止むを得ませんが、僕としてはもう一度、申出をするか、このまま断念するか、この事もう少し考えたく思います。

(《  》は傍点)


 ここはちょっと意外だ。実の父たる祖父の妾であるお栄との結婚となれば、信行でなくとも、やはり思いとどまるというのが普通だろう。だから、「お栄さんとの結婚はきっぱり諦めます。」という文面になるだろうと予測していたら、これが意外に粘り強い。ことここに及んでも、諦めないのだ。お栄が「はっきり」断らないのなら、もう一度申し出てみるかもしれないという。ここまでお栄に執着するのは何故なのか。よく分からないが、やはり、謙作はお栄に生みの母を見ているのだろう。

 

 書き終ると、彼は完全に今は自分を取りもどしたように感じた。彼は立って柱に懸けておいた手鏡を取って、自分の顔を見た。少し青い顔をしていたが、其処には日頃の自分がいた。充奮からむしろ生き生きした顔だった。何という事なし彼は微笑した。そして「いよいよ俺は独りだ」と思った。彼には自由ないい気持が起った。


 手紙を書いたことで、謙作は「完全に今は自分を取りもどしたように感じた。」という。衝撃の事実を告げる手紙を読んでから、たった2時間寝ただけなのに、もう「完全に」立ち直っている。それどころか、鏡には「充奮からむしろ生き生きした顔」がうつっている。そして「いよいよ俺は独りだ」と思い、「自由ないい気持」が心に起こるのだ。

 明らかに早すぎる立ち直りだ。普通だったらそうはならない。びっくりして、ヤケになり、酒場に飛び込んで浴びるほど酒を飲んで暴れ、二日酔いに苦しんだあげく、女郎屋に出向き、さんざん放蕩を尽くすが、それでも気持ちは収まらない、なんてところが相場だろう。まあ、それが「普通」かどうかは知らないが、それにしても、この謙作の「立ち直り」は不自然だし、それはやはり一時的な「回避」の結果であろう。

 しかしまたこうも思うのだ。人は、とんでもない状況に突き落とされると、かえって意識が高揚し、それまでにない「自由」を感じるものなのかもしれない、と。

 謙作の場合は、「いよいよ俺は独りだ」という感慨は、しかし、ひとえに父が実の父ではないということを知ったことから来るのだろう。実に父たる祖父はすでにこの世にいない。(どうもこの小説中にこの祖父の死は描かれていないが、おそららく死んでいるだろう。)もちろん、生みの母はとうに亡い。自分の「両親」を亡くした人間が感じる「自由」。ぼくはまだそれを知らないが、いったいどんな味のする「自由」なのだろうか。

 

 

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日一書 1663 楠の根を静かにぬらすしぐれかな 蕪村

2020-10-10 22:14:08 | 一日一書

 

蕪村

 

楠の根を静かにぬらすしぐれかな

 

半紙

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする