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一日一書 772 雪月花

2015-12-31 14:16:10 | 一日一書

 

雪月花

 

半紙

 

 

いよいよ、大晦日。

振り返れば、まずまずの1年でした。

 

来年もどうぞよろしくお願い致します。

ということで、年末には関係ないですが「雪月花」。

日本の伝統的な美を、来年は、十分に味わってみようかな。

 

 

 


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一日一書 771 行く年や

2015-12-30 17:42:27 | 一日一書

 

行く年や壁に恥ぢたる覚書

 

其角

 

半紙

 

 

面白い句ですね。

去年の年の瀬、壁に来年の抱負でも書いたのでしょうか。

それとも……。

いろいろな想像ができます。

いずれにしても、年の瀬に、やれやれと頭を掻いている其角さんの顔が思い浮かぶ。

明日は、いよいよ大晦日。

 

 

 


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100のエッセイ・第10期・68 年末所感・2015

2015-12-29 17:33:28 | 100のエッセイ・第10期

68 年末所感・2015

スーパーベルズ ミニライブ@京急百貨店・上大岡 2015.12.29

2015.12.29


 

 あっという間に年末となった、というのは、常套句でおもしろくないが、それしか言葉がみつからない。

 今日、たまたま京急百貨店のポスターで知った「スーパーベルズ」のミニライブを見に行ったら、司会のオネエサンが出てきて、「みなさん、よくいらっしゃいましたあ~。もう、今日は『晦日』じゃないですかあ~。」というので、あ、今日は30日なのか、って一瞬思った。家に帰って家内に聞くと、29日だという。じゃ「晦日」じゃないじゃん。そもそも12月31日は「大晦日」だが、12月30日は「晦日」というのだろうか。「晦日」というのは、月の最終日のことをいい、12月31日は年の最終日だから「大晦日」というのではなかったろうか。まあ、そんなことはどうでもいい。もうすぐ「大晦日」であることには違いない。司会のオネエサンは「晦日=年の暮れ」と思っているのかもしれないし。

 去年の今ごろは何を思っていたのかと、去年の12月28日に書いたエッセイを読んでみた。大動脈の大手術後、1年しか経っていなかったので、なかなか真面目に書いている。ぼくにしてみれば「生きるか死ぬか」の大事件を経験したのだから、生活態度も何か「変わった」のではないかと検証している。けれども、どこがどう変わったのか、結局確かなことは分からないといった感じでそのエッセイは終わっている。

 で、今ならどうか。変わったようでもあり、変わんないようでもある。今年も結局、きちんとしたことは言えない。

 現役の時と違って、学校へ行かなくていいし、採点もしなくていいのだから、断然ヒマになった。それは事実である。だからといって、そのヒマを満喫しているという実感はまったくない。何かに追われて、せかせか生きている、というのがむしろ実感である。

 もちろん、退職後の唯一の「仕事」(ぼくが「仕事」というのは金銭的な報酬があるモノを指す)である、高校国語の教科書の編集が、思いの外大変だったということもある。けれども、今年が特別際だって大変だったわけではない。(いや、かなり大変だったか。。)

 むしろ、自分で自分に課した「義務」のようなものが、ぼくを追い立てた感が強い。

 「一日一書」は、ブログに毎日何か「書作品」をアップするというもの。最初のうちは、看板の字を写真に撮ってのっけたり、師匠の作品を許可を得て載せたりしていたが、最近では、ほとんど自作である。これが毎日となると結構辛い。毎日とはいっても、抜ける日もあるのだが、週に5回ぐらいは必ずアップしてきた。これが今では770にもなっている。

 「100のエッセイ」は、1998年の3月からだから、もう18年近く続けてきたことになる。これはほとんど抜けることなく、週に1回のペースだった。もちろん、入院中は抜けたけど。これが今では通算にして、967編となっている。これは最初のうちは、1000字以内と決めていたのが、震災以来、タガをはずしてしまってからどんどんダラダラ長いものになっている。この分で行くと、来年中に、1000編到達ということになりかねない。始めたころは、100編で終えるつもりでいたのに、どうも信じられないことだ。これも、もう、義務として絶対に書くことに決めてしまっていて、今更、やめられない。最近では、長いので、書くのに2時間ぐらいかかることも稀ではない。

 これらは、「病気以前」からの継続だが、去年の年末から始めたことに、「世界の長編小説を読む」という課題がある。これは、長いことプルーストの『失われた時を求めて』全巻読破を志しながら、何度も挫折してきたのを、ここでもう一度チャレンジしようということで始めたのだった。ただ今までと決定的に違ったのは、ヒマがあったこと以上に、フェイスブックに「今日は何ページまで読んだ。」という「報告」を義務付けたことだった。これがあったので、どんなに忙しい時でも読まないわけにはいかなくなった。その成果は、下に表を載せたから見ていただきたいが、これだけ読んでも、どこか「自分が変わった!」という実感に乏しいのが情けない。「読んだぜ」っていう自慢にしかならないなら、こんなの意味がないと思うのだが、まあ、自慢できないよりマシかもしれないから、その辺は深く考えないことにしている。

 美術展にも行ったし、芝居もかなり観たし、ライブにも参加した。退屈しているヒマなどなかったのだが、それでも、どこか、「地に足をつけて生きている」という感じがない。フワフワ浮いているような感じだ。それは、やはり、まだあの大手術の余波ではなかろうかと思っている。

 あの時、ぼくは、「死」とまともに向き合った。幸いにも死ななくて済んだ。けれども、それで「死」がぼくと無関係になったわけではない。むしろ、「死」はますます身近なものとして感じられる。「追い立てられるような感じ」は、おそらくそこから来るのだろう。

 結局、何がなんだかわけも分からずに、アタフタと暮らしてきた1年だったような気がする。もともとぼくは、落ち着いて、じっくり物事に取り組んだり、のんびりとくつろいだりすることが出来ない性分なのだから、「悠然として南山をみる」的な心境とは無縁なのだ。

 しかし、そうはいっても、人間、いくつになっても「成長」はしたいものだ。肉体は衰えるばかりだが、精神的な成長は可能だろう。何かを必死に求めているとか、夢見ているとかではないが、せめて、若いひとをがっかりさせたくないものだ、なんて近ごろ特に思う。若い人には、がっかりするようなことばかりの現代だが、その若い人が、ああ年をとるとあんなになっちゃうのか、って思うのでは申し訳ないではないか。

 コンビニのレジで大声でどなるジイサン、席を譲ると怒り出して若者を困惑させるジイサン、口を開けば病気と年金のことばかりのジイサン、せめて、そういうジイサンにはならないように、人間としての「成熟」を目指したい。

 なんてカッコイイことを口にしなければ、おさまりがつかない、年末の所感である。


 



 

【備忘】この1年の長編小説読書記録 2014.12.4~2015.12.29

 

★プルースト「失われた時を求めて」を読む 【ちくま文庫版・井上究一郎訳】

 

第1巻 2014.12.4~12.22
第2巻 2014.12.23~2015.1.10
第3巻 1.11~1.30
第4巻 1.31~2.24
第5巻 2.24~3.18
第6巻 3.19~4.9
第7巻 4.10~5.6
第8巻 5.7~6.15
第9巻 6.16~7.9
第10巻 7.10~8.12

 

★トルストイ「アンナ・カレーニナ」を読む 【岩波文庫版・中村融訳】

 

上巻 8.13~8.27
中巻 8.28~9.20
下巻 9.21~10.11

 

★ドストエフスキー『白痴』を読む 【河出文庫版・望月哲男訳】

 

第1巻 10.12~10.19
第2巻 10.20~10.30
第3巻 10.31~11.7

 

★ゴンチャロフ『オブローモフ』を読む 【岩波文庫版・米川正夫訳】

 

上巻 11.8~11.15
中巻 11.16~11.27
下巻 11.28~12.3

 

★スタンダール『赤と黒』を読む 【新潮文庫版・井上正訳】

 

上巻 12.4~12.17
下巻 12.18~12.29




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一日一書 770 上善如水 2

2015-12-29 15:50:18 | 一日一書

 

上善如水

 

半紙

 

 

引き続き、「かずら筆」で。

 

 


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一日一書 769 上善如水

2015-12-28 15:44:27 | 一日一書

 

上善如水

 

半紙

 

 

前回と同じく、「かずら筆」で。

 

もう1枚。墨色の濃いものを。

 

 

 


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