スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

Vatternrundan 2005 (2)

2005-06-22 15:58:07 | コラム
この大会の参加費は1000kr(約15000円)だが、その分サポートがしっかりしている。300kmの途上に9つもサービス・ステーション(depoデポ)を設け、飲み物や食べ物の調達や、応急手当、自転車の修理、さらにはマッサージまでができるようになっている。(前回の最初に掲載した行程地図を参照)食べ物や飲み物は自分でいくらか携行できるとしても、だいたい30kmごとにデポのおかげで、その他のことで何かあったとき、とても助かる。

スタートしてから43km地点に最初のデポがある。しかし、ここまで何の問題もなく快調に前進してきたので、ここで立ち止まってペースを落としてしまうのが、もったいなく思われた。で、このデポに入り込む道には曲がらず、そのまま直進することにした。とたんに人が周りから消えたから、どうやらそれまで一緒に走っていた人はデポで休憩したようだ。

50km地点に差し掛かったところで、自転車のメーターを見ると平均時速25km、ちょうど2時間が経過していたから、自分としてはいい出来だ。しかし、同じ体勢でサドルに座ってきたため、ちょうどその頃から、尻が痛み出す。と同時に、足が回らなくなる。先ほどのデポで休憩をとった人たちに次々と追い抜かれる。時間を節約しようとしてずっと走り続けるよりも、少しでも足を休めて、それから再び自転車に乗ったほうが賢い選択であったのかもしれない。

時計が3時を回ると、空が白んでくる。ライトが無くても他の自転車の位置がはっきりと分かるようになる。湖の対岸に町の明かりが見えたので、とっさに「見よ、あれがヨンショーピンの灯だ」と思ったけれど、実はヴェッテルン湖に浮かぶ小さな島だった。ヨンショーピンまではまだ遥か先。

気力のみで前に進む。快速グループについて行くのもやっと。全行程の6分の1が終わった段階でこんな調子だから、先が思いやられる。グレンナ(Gränna)という町の後に2つ目のデポがあるのだが、ここまでは急な上り坂だ。これを上りきればデポで休憩だ、と思って最後の力を振り絞って坂を上りきるものの、2年前にあったところにデポが無い。今回は1kmほどデポがずらしてあった。

ほうほうのていで第2デポに到着。自転車を芝生の上に寝かせるなり、パンと酢漬けキュウリをもらいに走る。酢漬けキュウリは塩分補給にもってこいだ。


Grännaのデポ。4時ごろ。

自転車のもとに戻ると・・・。なんと、後輪の空気が抜けているではないか! それまで、何の問題もなかったのに、急に! とっさに、疑念が頭をよぎる。誰かのイタズラ? でも、こんな人がたくさんいる中で、何が目的・・・? ともかく、再出発の心構えが既にできていたので、携帯ポンプで空気を注入して、その場しのぎをし、出発することにする。

グレンナ(Gränna)からヨンショーピン(Jönköping)までは、練習で何度も走ったことがあるので問題はない。普段の練習では長く感じられるこの30kmの道のりも、こうして大勢の仲間と走ると、何だか短く感じられる。空気がいつ完全に抜けてもおかしくないので、気持ちが焦る。相変わらず気力だけで走っている。

森の中を駆け抜ける国道の道端にダンボールが立て掛けてあって、メッセージが書いてあった。「頑張れ、私たちのパパ、Henrik。バナナ食べてね。」で、上にバナナが二つぶら下げてあったので、笑ってしまった。

5時を大きく回る頃、ヨンショーピンのデポに到着。タイヤの空気はもった。ここでは、朝食としてマッシュポテトとソーセージが食べられる。少し休憩して、足を休め、気分を入れ替える。しっかりトレーニングを積んでいた二年前とは大違いで、今年は全然体力がない。このまま、ちょっと自分のアパートに立ち寄って、朝刊に目を通して、それから仮眠でも取ろう、などというアホな考えが浮かんだが、鍵はモータラに置いてきた。

Jönköpingのデポ。5時半を回る。

気を取り直して、ヨンショーピンを出発。すると、こんな早朝にもかかわらず、二人の子供を連れた家族が道端を歩いている。もしや、と思って、振り返ってみると、ヨンショーピン在住の“双子の母”さん一家だった! 実は、前日に電話を頂いていた。この大会を見てみたいとおっしゃるので、私自身は4時半頃にヨンショーピン通過だけれど、それ以降もお昼時までは数千台の自転車が立て続けに見られますよ、と答えていた。でも、まさかこんな早くに観覧に来られているとは思ってもいなかった。私の通過が4時半頃と聞いて、その頃から私を探していらっしゃったという。早くから起こしてしまって申し訳ありません。

ヨンショーピンを出て、2kmほど走ったところで、私の後ろを走っていたドイツ人が大声で私に叫びかける。空気がどうの、という。後輪を見ると、ほとんど空気がなくなっていた。やはり、パンクか!? 仕方なく、道端の駐車スペースで停車し、予備のチューブに付け替える。所要時間7分。この間に200人ほどに越されただろうか。この予備チューブも、実は3度パンクした跡があるやつだから、心もとない。

ヨンショーピンの直後にある大きな上り坂を越えてからは、しばらく平坦な国道が続くが、これから先、次のデポFagerhultまで、あまり記憶がない。夜間の戦いが終わり、今度は早朝の戦いとなる中で、眠気とともに感覚が鈍ってくる。スピードは鈍行と快速のあたりを維持。ヨンショーピンのデポで眠気覚ましにコーヒーを飲んでいたけれど、それでも足りない。時速20km以上で走っている最中。周りには時速30kmで追い越していく人もいるから、自転車の上でうたた寝など、もってのほか。突然倒れたりすれば、後続が追突して大事故になりかねない。夜中走ってきた他の参加者は眠気対策にどういうことをしているのだろう。

朝になれど、闘いは続く。


140km地点である、Fagerhultのデポに到着。ここで、パンと酢漬けキュウリとコーヒーを補給。そもそも、運動の最中にコーヒーを飲むのはいいことなのだろうか。カフェインには脱水作用がある、というような話を小耳に挟んだことがあるような気がするが・・・。トイレはどのデポでも大行列。だから、男性は道端の草むらやデポ裏の畑で済ませている。

Fagerhultを出発するも、眠気がひどくなってきて危ないので、150km地点で空き地を見つけ、アスファルトの上で、ヘルメットをかぶったまま仮眠を取ることにする。私のほかに、5人ほどそこで横になっていた。意識と夢との間をさまよいながら10分、15分くらいが経っただろうか。ふと目を覚ますと、頭がシャキッとしていた。

不思議なことにたったの10分、15分の仮眠でも、見違えるほど気分がよくなっているのだ。しかも、足にはエネルギーがみなぎっている。しばらく走り出すと、急行集団が通り過ぎたので、この集団に混じって付いていくことにした。時速は25~30km。足が自然とついて来る。全然しんどくない。絶好調。

この集団は最終的にかなり大きくなって、おそらく30人くらいの集団になった。3列縦隊で整然と走っていく。のこのこと進む鈍行の人や、快速組をよけながら、怖いものなしで突っ走っていく。と思ったら、後ろからシャカシャカと音が聞こえてきて、特急集団や超特急集団が一列縦隊で中央分離線すれすれで軽やかに追い抜いていく。彼らとの相対速度は5~10kmなので、ゆっくりと追い越されるが、自分自身も実は30km近くで走っていることをふと実感したりした。

この大会では、自転車は普段の道路交通ルールが適用される。一般の車に対する規制もない。大会だからといって自転車に何か特別な特権が与えられるわけではないのだけれど、既成の事実として、参加者は道路の片側半分を我がもの顔で走っている。たまに後ろから車がやってくるが、車のほうが徐行して、対向車線を走ってよけてくれる。多くの住民がこの大会のことを知っており、この日はなるべくこの道を選ばないようにしているのか、交通量は少ないが、たまに、前からも後ろからも車がやってくることがあると、車のほうが立ち往生してしまう。自転車は少しはよけながらも、やはり我がもの顔で走っていく。よく事故にならないものだと、不思議に思う。超特急集団の人によっては、追い越しのときに対向車線に大きくはみ出している人もいる。

(連載続く)