スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

学科をまたぐ学際的な特別講義

2005-11-18 05:43:45 | コラム
Comparative Political Economy(比較政治経済学)という講座が10月から、毎月3回という集中講座形式で始まっている。これは博士レベルの講座で、経済学部だけではなく、社会学、心理学、行政学、経済史学、経済地理学、経営学など様々な学部から講師を招き、講座のタイトルに関連するそれぞれのトピックについて学ぶのだ。学生もこれらの幅広い学部から参加し、それもヨーテボリ大学だけではなくて、スウェーデン中の大学から、北はウメオから南はルンドなどからも来る。とかく交流の少ない学部間で共同の講座を持つことで、それぞれのディシプリン(学部)でアプローチがどのように違うのかを知ったり、他のディシプリンのアプローチからも新しいものの見方やアイデアを得ることを狙った面白い企画だ。

日本の大学では経済学部の中に、経済学や経営学、経済史学、経済地理学、政治経済学などアプローチが大きく異なる学問分野が一まとめになっていることが多い。扱う分野やアプローチがまったく違っていても、すべて“経済学”の名のもとに集約されてしまいがちで、学ぶ学生としては(少なくともはじめのうちは)、全体像がつかめぬまま混乱してしまうこともあるかもしれない。経済学というのは幅広いテーマを扱うことができるのだ、という期待を持たせてくれる半面、それぞれの先生がまったく異なる研究テーマを持ち、それぞれの立場からテンでバラバラなことを言っていて、学部として一貫性が見えにくい、と思ったものだ。

これに対し、スウェーデンの経済学部は大雑把に言って、経済学と計量経済学の部分だけを含んでいる。そして、他の経済史、経済地理学、政治行政学、経営学はそれぞれで独立した学部を持っているのだ。それぞれのディシプリンがこうして明確に学部ごとに分かれていて、分かりやすい。(もちろん、一つのディシプリンの中にも様々なアプローチがあるのは、言うまでもないが)

しかし、この制度の弱点は、ディシプリン間の交流があまりなく、視野が狭くなってしまうこともかもしれない。たまには隣の学部の研究者がどのようなやり方でものを考えているのか、ちょっと覗いてみることは面白いし、刺激を与えてくれる。だから、この講座はそんなことを狙ったものなのだ。各回に共通するテーマはInstitutionalism(制度学的アプローチ)だ。

スウェーデンの様々な大学から博士課程の精鋭が集まり、全部で17人。経済学部は僕と同級生の女の子、それからヴェクショー大学で既に博士論文を発表した女性。それから、幾人か社会学部や行政学部、あとはみな経済史学部。

やはり感じるのは、各ディシプリンで研究の仕方が大きく違うことだ。経済史や社会学の文献はダラダラと文章が長くて、しかも、同じことを手を変え品を変え、繰り返し言っているだけのように私には思えた。一方で、経済学お得意の、(アド・ホックな)仮説を立てて、データを集め、実証分析をして、因果関係を示すようなやり方は、経済史や社会学、政治学の人にとっては不満がたくさんなのだそうだ。さらに面白いことに、これらのディシプリンの人々も仮説を実証的に示すために回帰分析を使うこともあるのだが、結果のプレゼンテーションの仕方が経済学のものと異なっていることもあるようだ。

経済学の中にも最近は、完全情報や完全合理性という新古典派のオーソドックスから離脱して、それらの仮定では説明できない「贈与、互恵、協力、正統性、etc」といった概念を扱った“行動経済学”などの発展も見られるが、このアプローチで頻繁に用いられる“実験ゲーム”や“アンケート”などを使った価値観や心理状況の計測といったやり方は、他のディシプリンの教授から、そんなもの当てにならない、と相手にすらされていなかった。経済学の上記のような先端分野は学際的で、他のディシプリンとの情報交換なども多分に進んでいるのかと思っていたが、実はまだまだのようだ。

スウェーデン人らしく、初回の授業ではみな大人しい。いかにもスウェーデン人らしい。それでも、1回、2回と回を重ねるごとに、みな少しずつ打ち解けてきて、昨日、5回目の講座の後の夕食会では、ワインもかなり入り、みんなよく喋ること。“スウェーデン人はお酒が入れば社交的になる”というけれど、その好例をまた一つ見せてもらった。それにしても、スウェーデンでの博士の学生は年齢がかなり幅広い。80年代生まれもいると思うと、一方では、子持ちや40代半ばの人まで様々。これも見て、内心ホッとする。

話をした中で一番印象に残ったのは、“博士課程在籍中にしたことが後々の研究者としての人生を決める”ということだ。つまり、博士課程の4年間なり5年間なりに学んで、使いこなし、研究を行った手法なり方法論なり分野と同じことしか、その後できない、と極端に言えばこういうことらしい。時間的余裕がなくなり、新しいことを試す可能性が少なくなるし、とくに理論系の研究のように、意味のある結果がでるかどうか分からないリスキーな挑戦を支援してくれる財源を見つけることも難しいからのようだ。だからこそ、今のうちにアンテナをしっかり張りながら、いろんなことを試しておきたいと思う。