8月16日から18日。3日間のお休みを取って剣岳に行ってきました。
目的は「チンネ左稜線」の単独登攀だったのですが、お天気が悪くてただの山登りになっちゃいました。
16日の未明に自宅を出発したので、扇沢では仮眠もせずに、始発のトロリーバスに乗り込むことになりました。お盆明けでもかなりの乗客で、これが幽鬱。でも9時過ぎには室堂に降り立つことが出来ました。天気は、山の高いところはガスに包まれているけれど、おおむね晴れ。しかし明日とあさっては芳しくない予報だ。もし、このまま剣沢に入って、何処も登れなかったら寂しいので、剣沢に入る前に、まだ登ったことが無い「奥大日岳」に登ってみることにする。
「みくりが池」から立山を眺める。
雪の無い立山には20年ぶりか。
雷鳥平のキャンプ場も懐かしい。
今日はここから「室堂乗越」に向かい、「奥大日岳」に寄り道。
20kg近い荷物は「室堂乗越」にデポし、最低限の荷物をアタックザックに入れて行く。
帰ってきたら、そこから「剣沢」に向かうことにする。
「奥大日岳」に向かう途中から「地獄谷」方面を眺める。
上に向かうと次第にガスに包まれてしまい、この後の画像はありません。
降りてきてから「奥大日岳」が、一瞬姿を見せた。
往復2時間程度だったので、12時くらいには「剣沢」に向けて出発することが出来ました。
2時ころ剣沢に到着し、テントを張る。
本来、テントは持ってくるつもりはなかったのですが、天気予報が悪かったので、ビバークによる登山は諦め、テント持参しました。
つまり、計画では、入山日に長次郎谷に入ってしまってビバーク。翌日、「チンネ左稜線」を登るつもりだったのですが、
よりによって中日が最悪の天気予報。それでテント泊になってしまったのです。
翌日の中日。予報通り雨です。
テントの中で、何もやることが無いので、少ないギアをいじって遊ぶしかないのです。
一日テントの中にいると腰も痛い。
夕方、月稜会の4人が剣沢に入ったので、みんなで一杯やろうと思ったら、彼らは「剣沢小屋」に寝場所を変更。
宿泊者以外は小屋に入れないということなので、私もテントを放棄し、小屋どまりにした。
しかし、翌朝、張りっぱなしにしたテントが悲惨なことになっていたのでした。
テントはひっくり返り、中は水浸しに。
最終日。私はこの日の内に自宅に帰らなければいけないが、天気が持てば、何とか「チンネ」を登ってから帰ることが出来るかもしれない、と、行けるところまで行くことにしました。
未明3時40分。悲惨な状態のテントを片付け、「長次郎谷」を目指す。
しかし、「長次郎谷」の詰めは、計算していたより時間がかかってしまい、おまけにガスで全く視界が効かない。
何処が「長次郎のコル」かわからず、稜線についた場所は、かなり左寄りだった。
もう7時30分。戻ってコルを探していたら登る時間が無くなってしまう。
残念だが「チンネ」は諦めて、「北方稜線」から剣を経由して下山することにした。
「北方稜線」は予定外だったので、何も頭の中に入っていなかったから、ちょっと迷いそうになった。
でも、8時30分に山頂に到着。
思ったより人は少なかったが、下り始めたら、団体さんで渋滞。それでも抜かせるところでは抜いて、
なんとか剣沢に11時くらいに戻ることが出来た。
重い荷物をまとめて室堂を目指すが、これが一番つらかった。
びしょぬれのテントやシュラフが一層荷物を重くしたからだ。
それでも2時40分のトロリーバスに間に合い、風呂にも入れたし、夕飯も食べて帰ることが出来ました。
あー、疲れた。「チンネ左稜線」の単独登攀は来年に持ち越しだ。