Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

早起きの効能

2016-01-08 01:03:33 | 日常

新年の誓いは「早起きすること」と「お酒を控える」です。

三日坊主に終わらないように過していますが、早くも「早起き」には素晴らしい効能があると感じています。「早起き」といっても、私の場合は朝の9時です。何せ仕事が終わるのが夜中の1時ですから、それからぐずぐずしていると、寝るのは夜中の3時近くになってしまっていたのです。でも、誓いを立ててから2時前には寝るようにしています。そうすると、今まで10時とか11時に起きていたのが、無理なく9時に起きられます。

1時間か2時間早く起きるだけで、昼間の活動時間が長くなります。それだけで今まで溜まっていた懸案事項が毎日一つづつ片付いて行きます。しかも健康のために朝起きた後の散歩も毎朝出来るようになりました。

時間を夜中から朝にシフトしただけですが、夜中に何かやろうとしても疲れていてなかなかやる気にならないのですが、朝起きてやるとフレッシュなので何でも効率よく出来ます。特に軽い散歩の後だと、体も頭も目覚めているので効率がいいようです。

もうひとつ大切にしようと思っているのが「さあ、やるか」という言葉です。今は冬ですから、なかなか布団から出られませんが、「さあ、やるか」と一言発するだけで布団から出られます。懸案事項に取りかかるときにも、「さあ、やるか」と言うだけで重い腰があがります。腰が上がれば懸案事項はすぐに片付きます。たいていは手をつければすぐに片付くことばかりですから。事を行う時間より、手をつけるまでの時間の方がよっぽど長いのです。やってみて分かったことでした。

やり始めて2週間ほどですが、続けて行きたいと思います。もうひとつの「お酒を控える」の方はぼちぼち進めています。

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幼子のように(メリークリスマス)

2015-12-26 01:06:15 | 日常

メリー クリスマス!

ジュニアクライミングスクールに通っている小学2年生の女の子にクリスマスカードをいただきました。

とってもかわいいですね。

 

メッセージがこれまたかわいい。

「いつもたすけてくれてありがとう」でした。

私は助けてあげているつもりはないんですけど、

高いところで身動きが取れなくなったようなとき、私のビレーや声掛けが、彼女の助けになっているのかなあ、と思います。

幼い子供には、困った時、信頼のおける救い主を求めているんでしょう。

普段ならお父さんやお母さんですが、クライミング中には私、ということでしょうか。

 

さて、今日(ちょっと時間が過ぎてしまいましたが)はクリスマスです。

イエス様が私たちを罪から救い出すために、人間として、しかも幼子として、それも旅の宿屋の馬小屋でお生まれになったのです。

権力で私たちを支配できる王様の宮殿に生まれたのではなく、一番低いところにお生まれになりました。

一部の立派な人だけではなく、全ての人を救うためです。

それを祝い、イエス様を送ってくださった神様に感謝して過すときです。

 

今日、私の教会の牧師先生からクリスマスメッセージがありました。

「イエス様は罪人を救うために来たのだから、それを本当に喜べるのは、自分が罪人であることを理解しているからだ」という意味のことが伝わってきました。

聖書を読んで、また説教を聞いて、自分が罪人であることを理解しているようでも、

実感として持っていなければ、本当のクリスマスの喜びは湧いてこないでしょう。

幼子のように、本当に私を助けてくれる人が来てくださった、と素直に思えないなら・・・。

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「奇跡が起きる」ってどういうこと?

2015-11-27 01:06:13 | 日常

これまでの人生の中で「奇跡が起きた」という体験をしたことがあるでしょうか。一瞬は「奇跡」と思っても、良く考えると「必然」と思いなおすこともあるでしょう。でも「絶望」が「希望」に変わった瞬間を味わった人は、きっと「奇跡が起こった」ということを感じるのではないでしょうか。

私の人生の中でも、こういう「奇跡」を感じたことがあります。

一つは「東日本大震災」の直後、「自分には何もできない」と思っていたところ、妻の一言で沢山の仲間が集まって「被災地にクライマーを送る会」が出来て、今なお被災地に通っている仲間が沢山いる。この会は私が作ったのではない。出来たのだ。

二つ目は、忘れ物を拾得してしまって、それをSNSで公開したところ、「忘れ物を拾得することは犯罪」と批難を受けた。なんとかして持ち主を探そうと、Facebookで「クライマー落し物 忘れ物ネットワーク」をつくった。その結果、すぐに持ち主が見つかって、今はネットワークの参加者が900人に迫る。このネットワークも、私が作ったのではなく、出来たのだ。

どちらも「絶望」とはいえないかもしれないけど、窮地から救われた思いはある。「何もできない自分」「他人から批難される自分」から解放され、「ありがとう」といってもらえる自分に転じてしまった。

「災い転じて福となす」という言葉があるが、なぜこういうことが起きるのだろうか。窮地に陥った時に発揮できる力なのかもしれない。それなら「隠された自分の力が発揮された」ということになるけれど、私は「自分にそれだけの力がある」というよりも、「自分は神様から見放されていない」という安堵をおぼえるのです。自分に力があるのではない。自分が守られているんだ、という安心感。自分の力なんていつ無くなるかわからない。でも自分は守られていると言う安心感は、少なくとも「自分の力」よりは長続きすると思う。

「自分にどれだけの力があるか」を知るより、「自分はどれだけ守られているか」を知るほうが穏やかに平和に生きていけると思う。

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富士山の麓で

2015-10-26 01:00:17 | 日常

10月26日(日)。

朝霧高原にある「富士山YMCAグローバルエコビレッジ」というところに行ってきました。土日で横浜YMCAのボランティアリーダー(おもにこどもたちを対象とした教育プログラムの学生指導者)の研修が行われていて、「ユースリーダーシップ開発事業委員会」のメンバーである私も、リーダーの体験プログラムの指導で部分参加してきました。

富士山YMCAからは「大沢崩れ」が真正面に見えます。

 

広大な敷地は、元牧場で広々した草原と林が広がっています。

ススキの穂も輝いていました。

 

キャンプ場兼研修施設のメインホール。

 

さて、そこでどんなプログラム指導をしてきたのかというと、「木登り」です。

「ツリークライミング」とも言いますが、クライミングの安全確保技術を用いて木登りを体験するプログラムです。

参加者が60名もいたので、全員には経験してもらえなかったのですが、登ったリーダーには楽しんでもらえたようです。

画像は、スタッフによる準備の様子です。

 

秋晴れの気持ちのいい1日でした。

 

 

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思うように体を動かせなかった1ケ月

2015-10-23 00:51:55 | 日常

坐骨神経痛を発症したのが9月24日ですから、もう1カ月になろうとしています。

クライミングは少しずつ再開していますが、まだ腰を気遣いながらです。長い距離を歩いたり、走ったりすることは出来ません。それでも回復しているので落胆はしていません。

うちの周りでは、夕方から夜にかけてジョギングをしている人を多く見かけます。私も良く走っていましたから、今までは彼らを見かけても何とも思わなかったのですが、今ジョギングをしている人を見ると見方が違います。心から「走れる体がうらやましい」と思うのです。この1カ月、走りたくても走れない。走れる時にはサボって、あまり走らなかったくせに、走れなくなったら走れる人を羨ましがっているのです。皮肉なものですね。体の調子のいいときには、こんな状態になるとは思ってもいなかったので、走れても走らなかった。でも走れなくなると、走れることがうらやましくなる。

でもこういう人は沢山います。車を運転しているとき、横断歩道を渡り切れずに赤信号に変わってしまうようなお年寄りにいらだったことはないでしょうか。小さい子供連れのお母さんもそういうことがあります。何不自由無い体の時には、こういう人の気持ちが分からなかったけれど、思うように体が動かなくなってみると、「もっとみんなにやさしくしてあげなくちゃ」と気づくのです。

神様は素晴らしい。私の足りないところを良く知っておられる。小さいときから体が丈夫で、体を動かすことが好きだった。今まで続けてきた山登りやスキーなど、本当に恵まれた体験をしてきました。でも、ちょっと自信過剰だったかもしれません。出来ない人に厳しい態度をとったり、自分の出来ることを人に見せたがったり。こういうことは神様は喜ばれません。

神様は、走れる人にも「歩きなさい」と言われます。ゆっくり歩いて初めて気がつくものがあるからだと思うのです。

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「思い通りにならない時」を忘れてはならない

2015-10-16 01:24:13 | 日常

先日、「思い通りにならない人生こそ」というタイトルで記事を投稿しました。

「自分の思い通りにならないこと」を受け入れ、それを不満とせずに生きていけたら本当に自由だな、と思ったと言う内容でした。

今日、私の所属する教会の牧師先生から、教会員あての一斉メールが届きました。それを見て思ったのです。

先日感じた「思い通りにならないけど、それを不満に思わず1日を過ごしてみたら、それが以外にも良い1日だった。自分にはこういう時間が必要なのだ。全て自分の思い通りに過ごしたい、というのは我がままなのだ。」ということ。今は体が思うように動かず、「やりたい事が出来ない日々も決して悪いことではなく、自分に必要なことだ」と思えるけど、もし体が万全になって自由に動けるようになったなら、もう、「思い通りにならないときが自分に必要だ」なんてことは忘れて、我がまま放題になってしまうんじゃないかと思った。そう。人間って何もかもうまくいっているときには、自分に与えられた試練とか、試練を与えられた中で感じた大切なことも忘れてしまう。元のわがままな自分に戻ってしまうかもしれない。せっかく大切なことに気付いたのに、体の調子が良くなった途端に忘れてしまうのではだめなのです。

「思いでは良いことばかりが残る」と言います。なんとなく甘くて心地よいのですが、私は努力して「辛いときに分かったこと」を記憶にとどめて行かないといけないと思うのです。私は仲間と山に行くようになって、「絶対、自分と山に行った仲間には事故に合わせない」という自信を持っていました。しかしそれは慢心でした。あるとき仲間を山で亡くしてしまったのです。その時「今までは慢心していた。もっと謙虚にならなけらば」と強く思ったのです。しかし、かなり強く決心したはずのことも、その後が順調だと、その決心も薄れてきてしまうのです。だから毎年私は、彼の墓を訪ねるのです。そして墓の前で、この1年間で決心が薄れてきてしまったっことを反省し、新たに決心しなおすのです。

体の調子は大分良くなってきました。だから思い切りやりたい事をやる、というのではなく、「自分勝手」「我がまま」にならないように気をつけて過していかないといけないと思います。

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思い通りにならない人生こそ

2015-10-08 00:52:29 | 日常

2週間前に発症した坐骨神経痛。右腰から右太ももまでがしびれ、痛くて思うように身動きが取れません。20mから30m歩くと、痛くてかがみこんでしまう。身動きが取れないどころか、痛くて夜中に何度も目が覚め、かがみこんでひたすら痛さをこらえる毎日でした。

こんなだから好きな山にも行けず、クライミングも出来ない。仕事はサボるわけにはいかないので、苦痛に耐えてがんばります。

仕事もうまくいって、好きなこともできる毎日は楽しいものです。しかし、仕事は苦痛に耐え、好きなことが出来ない日々は辛いものです。でも人生にはこういうときは必ずある。多分、誰にでもあるのです。

休みの日はいつも山に行きます。山を歩いたりクライミングをしたり、自分のために自由に過ごしています。いつもこういう過ごし方をしているので、妻からも子供からも「自由人だ」と言われます。でも、これはほめ言葉ではありません。「勝手気ままだ」ということです。確かにその通りです。全ての時間を自分の好きなように使うのは「自由」というより「自分勝手」です。もっと妻のため、こどものため、親のため、友達のために使えばいいものを、自分のためだけに使っている。使っているだけならまだしも、自分のために使えないとなるといらだったり不満に思ったりすると、「自分勝手」どころか「わがまま」です。本当の自由とは、「思い通りにならないこと」も不満に思わず受け入れられる「心の自由」なのだと気が付きました。「思い通りにならないこと」「思い通りにならない時間」が、私にとって大切なのだと言うことが。

1昨日私は仕事が休みでした。だから私は妻をランチに誘いました。山に行けないから誘ったのではなくて、普段やらないことをやってみようと思ったのです。いつも私が妻を食事に誘っても断られるし、お互い自分の好きなように過した方がいいと思って過して来たのですが、私が妻の好きなことに参加してみようと言う思いもありました。場所は銀座です。妻にしてみれば買い物でも食事でも珍しい場所ではないのでしょうが、私が銀座に行くことなんて数年に1度です。まあ、行きつけのお店が渋谷の店舗をたたんで銀座に開店したのに合わせて行ってみたのですけれど、近所ならともかく、わざわざ銀座まで食事に行くのなら、私と一緒に行くより、お友達といったほうが楽しかったかもしれません。でもそうしてみたら、振り返ってみて本当に良い1日が過ごせた気持ちになりました。「ああ、自分にはこういう時間が必要なんだな」と思いました。「山に行かないで、妻とランチに行きなさい」ということではなく、「自分に与えられたものや時間を自分のためだけに使っていたら、人間らしくありませんよ」ということかな?「隣にいる人の幸せを自分の幸せに思える」というのは、確かに人間らしい感情なのだと思うから。

これは私に与えられた恵みでした。私にとって必要な時間が与えられたのだと思います。間違いなく、体調がこんなでなかったら、この日も山に行っていたでしょう。でも、神様は私のことを私以上に知っておられます。私には「思い通りにならない人生が必要だ」と分かっているのです。「思い通りにならない人生」を過すことによって、私がもっと人間らしく生きることが出来るようにしてくださっているのだと思います。

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東京湾花火大会

2015-08-09 00:58:56 | 日常

 

今日は「東京湾花火大会」だったようです。

我が家から見ることが出来ました。

数年前までは周辺の花火大会は、我が家から見ることが出来ましたが、最近は周辺の建物が高くなってしまい、あまり見ることが出来なくなってしまいました。

多摩川、隅田川、横浜、神宮などの花火大会は、どれも我が家から見ることが出来たのですが、最近は東京湾だけです。

この花火大会も今年が最後のようです。

 

富士山も見えたのに近くにマンションが建ってしまい見ることが出来なくなってしまいました。

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イースター

2015-04-06 11:22:39 | 日常

昨日はイースター礼拝でした。

イースターは、私たちにとって大切なお祝い事です。教会には3つのお祝いの礼拝が有ります。一つは、きっと誰でもが知っているクリスマス。そして知っている人は半分くらいかもしれないイースター。ほとんどの人が知らないペンテコステです。

イースターはイエス様が十字架の上で死んで葬られ、3日後にお蘇りになったことをお祝いするのです。これはクリスチャンにとって一番大切なお祝いと言っていいのではないかと思いますが、あまり勝手な事は言えないので、牧師先生に聞いてみてください。

なぜそんなことが言えるのかというと、イエス様が生まれたクリスマスや、教会が初めて生まれたペンテコステは、クリスチャンとしての信仰がなくても理解できるのです。でもイエス様が固く閉じられた墓の中から、死んで3日目に甦られた事を理解することは難しいからです。でも理解ではなく、信じることが信仰なのです。

思い出すのは数年前。キリスト教に関心があるという方と一頻り話し込みました。そのあとで「…でも、角屋さんはまさかイエス・キリストが死んで甦ったなんて、本気で信じてはいないですよね?」と聞かれました。これはクリスチャンとしての生命線に触れる質問です。「えっ」と思いましたが、しばらくして、「関心がある」ということと「信じたい」というのとは、決定的な違いがあるな、と思ったのです。本気で信じているからこそ信仰なのです。理解するということと信じるということは、全く違うのですね。

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笑う花

2015-03-28 01:16:20 | 日常

今日はポカポカの陽気だった。昼前に用事があって、品川区役所まで2kmくらいの道のりを往復した。途中、花壇の花、神社の桜、中学校の体育館の裏に咲く花が、今日の陽気に笑っているようだった。

 

道端の花壇に咲く花。「野に咲く花の名前は知らない。だけども野に咲く花が好き。」

 

「花見」といえば桜。桜の花が咲き始めると、世の中が陽気になる。

まだつぼみの花が多いけれど、このくらいの時が好き。

 

近くの中学校の体育館の裏に咲いていた花。これは笑っている。でも夜になると花が閉じてしまう。

この季節、昼間はポカポカでも、夜は冷えるから。

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