Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

城が崎フリークライミング

2014-02-24 22:28:48 | フリークライミング

2月24日。先週に引き続き城が崎です。

今日は講習会チームがひと組もいなくて、静かなシーサイドエリアかと思っていたところ、10名以上のグループが到着。引率するのは知った顔のアルパインクライマーたち。引率されているのは外国人。何と、その中に「マルコ プレゼリ」が・・・。マルコ率いるスロベニア軍団が、日本のアルパイン軍団に率いられて登場したのでした。

 

感激でした。

今日のルートの目標は「ピスタチオ」と「チリコンカーン」でしたが、駄目でした。

でも、世界のトップアルパインクライマーとの、この記念写真が今日の成果でした。

 

付け加えると、彼の率いるスロベニアの若者たちは、えらく強いクライマー集団で、

「チリコン」や「パン2」や「トラパン」などを次々に落として行っちゃいました。

何せ、背中が逆正三角形何だもの。

圧倒された一日でした。


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我が登山史2(やっぱり岩を登りたい)

2014-02-22 00:45:44 | 山とクライミングの話

甲斐駒に登って以来、休みの日ごとに山に出かけるようになった。特にゴールデンウィークには10年も北岳に通うようになった。しかしその間、「やはり、岩に登りたい」という気持ちは抑えられず、山登りと同時に、単独で岩場にも出かけていた。岩場といっても、そのころは何処を登っていいやら分からず、クライミングルートなどない、故郷の岩をフリーソロで登っていたのだった。ボロボロの泥壁をロープを担いで登り、懸垂下降をするのだった。直接岩にロープをかけて懸垂下降するので、岩の摩擦でロープが回収できず、結局登り返してクライムダウンする羽目になることが多かった。

「やっぱりクライミングは一人じゃだめだ」と思って、雑誌を頼りにガイドを頼んだ。雑誌のガイド欄の一番上に掲載されていたのがYガイドだった。その後Yガイドにはクライミングの「いろは」から、沢登り、山スキーなどを習い、私にとっては師匠となったのである。

Y師匠に初めて連れて行ってもらったのは小川山のガマ岩だ。私のクライミングのイメージとは違って、足で登るクライミングを教わり、「クライミングって意外と地味なものなんだなあ」と思ったが、基礎を身につけるためには最適だった。その後もセルフレスキューなども交え、フリークライミングを習った。特に私にとって影響が大きかったのは、ナッツやカムを使って登るトラディッショナルなフリークライミングだった。Y師匠は「小川山レイバック」などのクラックルートはもちろん、ボルトルートであっても、カムやナッツが使えるルートでは、ボルトではなくナチュラルなプロテクションを用いて登るのである。その充実感は、フォローで登る私にも伝わってきた。「いつかクライミングパートナーが出来たら、自分もナチュラルプロテクションで登りたい」という気持ちが芽生えたのである。20代後半のことだった。

フリークライミングを習い始めてしばらくして、私はYガイドに北岳バットレス4尾根に連れて行ってもらった。山岳クライミングデビューだった。そのころ、毎年ゴールデンウィークには北岳肩の小屋に居候していたのだが、雪のない北岳は初めてだった。しかも登山道ではなく岩を登って山頂に立つ。これこそ自分の理想としていた登山だと思った。しかし実際に登ってみるとクライミングの難しさはさほどなく、「これならソロで登れるかもしれない」と思い、その翌週には単独で登った。核心の1ピッチと「マッチ箱のコル」への懸垂下降にロープを使用したほかはフリーソロだった。しかし登りきってみて、意外に感動は少なかったのを覚えている。先週も登ったということもあったかもしれないが、登りきった充実感を分かち合える人が、そこにいないということが大きな要因だったのだろうと思う。それから「岩登りのできる山岳会に入ろう」という気持ちを持ち始めたのである。しかし実際に山岳会に入会したのは何年も後のことになってしまった。

山岳会に入会するまでの数年間は、自分で友達にフリークライミングを教え、山には単独で登るようになった。

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城が崎フリークライミング

2014-02-19 00:51:45 | フリークライミング

2月17日。八ヶ岳に行く予定だったのですが、大雪の影響で不可能。急遽城が崎のフリーに変更。

ここでも大雪の影響で、かなりのルートが濡れていました。また、暖かくてぬめるコンディション。

パートナーは84のMくん。

まずは「ルーズガール」でアップ。私はアップ中、右手首に痛みを感じて、今日は絶望的な気分。

元々今日は八ヶ岳の予定だったので、土曜日にボルダリングを目いっぱいやってしまったから、体が動かない。

「チリコンカーン」にチャレンジするも、前回出来たムーブが起こせない。今日は諦める。

グレードを落として、5.11台のルートを物色するが、登っていないルートにめぼしい物があまりなかったが、「NEW]5.11a

は面白いと聞いてので、登ってみました。なるほど、なかなかたのしいルートでした。

 

カチ系なら登れるかも、と思い、最後に「ピスタチオ」5.12aにトライ。テン山、しかも最後は「トムボーイ」に逃げてなんとか上まで抜ける。

でも、調子が良ければ、次には登れるかも。

 

パートナーのMくんは「シンデレラボーイ」にトライしていました。

 


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今日は「アラジン」へ

2014-02-16 01:05:44 | フリークライミング

今日はなんとなくビッグロック以外のジムに行ってみたくなり、久しぶりにひろしくんにも会いたかったので「アラジン」に行ってみました。でもひろしくんはお休みでいませんでしたが、4時間半もボルダリングしてきちゃいました。テープ課題は2級くらいまでで、最上級の黒テープも2本登れました。でも4~5級の緑で登れない課題もありました。

わしはあまりボルダリングはやらないし、ビッグロック以外のジムにも行かないのですが、たまにはこういうのも新鮮です。「アラジン」の常連さんとも、ちょっとセッションしたりして、とても楽しかったです。

お土産に課題を3本おいてきました。

 


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我が登山史1(山との出合い「甲斐駒ケ岳」)

2014-02-10 01:07:07 | 山とクライミングの話

何でもないただの登山愛好家の一人である私が、自分と登山の「自分史」を綴ったところで、これに関心を持つ人はいないと思うが、今までの山への取り組みなどを振り返ることにより、これからの自分の登山や、自分にとって山登りって何なのかを考えてみる機会にしたい。

私にとって「山との出合い」ははっきりしない。何せ生れが山の中(長野県八ヶ岳の北のはずれ)だから。子供のころから、母親と裏山で山菜を摘むことは日常生活の一部だったし、誰も知らないような沢に登り、岩魚を手づかみするのは、私と兄の遊びの一つだった。小学校や中学校では登山の行事が必ずあり、父親が林業関係の仕事をしていたので、営林署の山小屋に泊まりにつれて行ってもらったこともある。高校時代にはスキー部に所属し、夏は乗鞍岳合宿などで山頂に登ることもあった。

だからといって、そのころから山登りが好きだったわけではない。山に登ることはあっても、山そのものや山に登る行為が好きだったわけではなかったのだ。山に親しんではいたけれど、山が好きだったわけではなかったと思う。私がいつ頃山というものに興味を抱いたのかははっきりしている。それは大学に入学して東京での生活が始まって間もなくだった。大学受験を終えて大学生にはなったものの、希望をしていた勉強が出来る大学に入れたわけではなかった。いろいろな事情で希望していた大学ではないところに入学してしまったのだ。(その大学が悪いとか、滑りどめだったというのではないけれど) そこでその時点では人生の目標もなく、ただ大学生として東京での生活が始まった。今考えると自堕落な生活が始まったのだった。

その年のゴールデンウィークに帰省していた私は、父の知人の車で帰京の途についていた。出来たばかりの中央高速から甲斐駒ケ岳を眺めていた。よく晴れた暖かい日だったが、甲斐駒ケ岳の山頂には雪煙が渦巻いていた。私は「山男」というものは、こういう吹雪の中を、重い荷物を担いで岩を登るのだと想像していた。私は、なんとなくだらしのない生活を送っている自分を変えたいと思っていた。だから「そうだ!山男だ!自分はこれをやるんだ。」と思った。しかしその思いを実現させたのは4年後。大学を卒業して、社会人1年目の夏だった。なぜならば、大学時代は高価な山道具も買うことが出来ず、しっかりした装備がなくて山に登ることは死にに行くようなものだと思っていたからだ。大学の友人から「ワンゲルに入らないか」と誘われたけど、大勢で登る山はただの娯楽に思えて、仲間に入る気持ちがわかなかった。

なぜか私は、山に登ることは岩を登ることだと思っていた。だって、岩を登らない山だったら、小さいころからやっていたから。「山男」は岩を登ったり、重い荷物を担いだり、吹雪の中を登ったりするものだと信じていたからである。だから、初めて読んだ雑誌は「クライミングジャーナル」と「岩と雪」だったし、初めて一人で甲斐駒ケ岳に向かった時には、ザックにはクライミングシューズが入っていた。しかも、登山の準備をしてみたら、荷物の重さに物足りなさを感じて、必要のない色々なものを詰め込んでいたのだった。

私は真夏の「黒戸尾根」を登り、7合目を目指した。5合目から岩場が現れ、ワクワクしてきたのを今でも覚えている。やっと「山男」の世界に足を踏み入れたと思ったのだ。しかし登ってみると、岩ではなく梯子や階段ばかりだった。でも「いや、まだこの先には・・・」と思いながら登り続けた。ところが7合目に到着するまで想像していたような「山男」の世界は現れなかった。7合目にテントを張り、一人で一夜を過ごした。さびしかったし、ちょっと怖かった。でも「たった一人で山の中にいる」という、何とも言い表せないような充実感を味わった。都会で仲間とワイワイ騒いでいる夜とは比べ物にならないくらいの充実した夜だった。翌朝は山頂からの日の出を拝し、快晴の登山を続けることが出来た。山の空気の清々しさを知った。もうブランド物の靴やバッグは必要なくなってしまった。(そのころはバブルの末期)

私の山に対する想像は、全く間違っていたけれど、「山って素晴らしい」という思いは、心の奥底に焼き付いてしまった。それをきっかけに、休みといえば山に出かける日々、仕事をしている時以外は山のことばかりを考える日々に突入していったのである。しかし、心のどこかに「いや、山登りって言うのはもっと厳しいもののはずだ。」という思いも持ちながら。

続く(かもしれない)

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湯河原幕岩 フリークライミング

2014-02-06 01:06:10 | フリークライミング

2月3日。湯河原幕岩に行ってきました。

 

梅もほころぶ季節になってきました。

この日は正面壁へ。グレードよりもいろいろなルートを沢山登ることにしました。

 

「No7ルート」5.10b これは楽しいルートでした。

 

「ポニーテール」5.9 これは意外。楽しかった。

 

「ファンファーレ」5.10b なんだかすっきりしない。終了点もなくて「土星人」に入って終了。

 

「土星人」5.10d これはひどい。危ないルートでした。登られていないようです。

3本目のボルトを打ち足して、上部の苔を掃除すれば、それなりに楽しいルートになるでしょう。

 

20年ぶりの「No1ルート」 こんなに難しかったっけ?

 

「小ハング左凹角ルート」5.10b/c これは楽しい。良いルートです。

 

「リフレクション」5.10d 途中すっきりしないところもありますが、きれいなルートでそれなり。


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