Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

懸垂下降時におけるバックアップの是非について

2016-03-18 01:05:05 | 山とクライミングの話

私は懸垂下降の際、バックアップを取らない。主な理由は「不要だから」だ。しかし、さらに言えば「とっさのときには危険を伴うから」だ。

初心者に懸垂下降させる際、フリクションノットやシャントなどでバックアップを取ることが常識と思っている方が多いような気がする。しかし私は初心者に懸垂下降をさせる際は、あらかじめ懸垂下降をする手順を教えておくことはもちろんだが、まず初心者に下降器をセットし、そのセットをしたまま、自分が先に降り、そのまま少しロープを緩めた状態で懸垂下降をさせる。バックアップは取らせない。初心者がミスをした場合でも私が止められるようにするためだ。こうして初心者も懸垂下降に慣れてくる。技術の習熟を優先するのだ。

さて、バックアップを取る理由とは何か。一つは握ったロープを放してしまった場合でも止まるように、ということだろう。しかしこれが危ないのだ。なぜかというと、不意に落下してしまったような場合、たぶんとっさに目の前にある何かをつかみたくなる。バックアップを取っているのだから、何もつかまなくてもよいのだけれどつかみたくなる。それが放してしまったロープなら、手に火傷を負っても止められる可能性があるが、つかんだものがフリクションノットの結び目だったり、シャントの本体だったらもう止まらない。フリクションノットやシャントは、握らずに荷重をかければ止まるのだけど、握ってしまうとフリクションがなくなり止まってくれないのだ。いざというとき、人間はとっさに握ったり力を入れたくなる。なのにいざというときに放したり力を緩めたりするのは難しいのだ。

二つ目の理由は、下降中に両手を放して作業できるように、ということだろう。確かに下降中、ロープが絡まっていたりした場合、両手を使いたい。バックアップを取っていれば、すぐに両手を放して作業ができる。ただしバックアップが効いているか確認したうえで、である。ところが両手を放して作業をしているときに、ちょっとバランスを崩した場合など、やはりまた何かをつかみたくなるだろう。つかんだものがフリクションノットの結び目やシャントの本体だったらそのまま落下してしまう。だから私は両手を放したい場合はすぐにロープを固定してしまう。一手間かかるが、慣れればほんの数秒でできるようになる。

「バックアップを取っているから安心」と思うのは非常に危険だと感じる。それよりも注意を怠らないということを習慣づけるほうが、私は安全だと思う。そのうえで下降の際のロープの固定法を身に着けたり、ミスを犯さないように下降技術を習熟させるほうが安全だと思うのだ。

似たような話だが、私が人に懸垂下降を教えていた際、周りの人が「末端のロープは結ばなきゃダメでしょ」と言っていたが、それについても、私は結ばない。絶対に結ばないわけではなく、時と場合によっては結ぶが、私が先に降りる場合は結ばない。結んだために起こるトラブルも多いということもあるし、私は懸垂下降中、常にロープの末端を意識しているから。次に降りてくる人のために末端を結ぶことは頻繁にある。懸垂下降の際、ロープの末端を結ぶというのも、「バカの一つ覚え」となってはいけないのだ。「何のために」「落ちて止まった後の対処方法」までできて一つのマニュアルだ。そこまでわかっていないと単なる儀式に過ぎない。


3月11日

2016-03-12 00:41:13 | 災害ボランティア クライマー派遣

今日(今の時間では昨日になってしまいましたが)、午後2時46分。ここ品川区でも防災放送が流され、1分間の黙とうがささげられました。私も妻と長男のお嫁さんと3人で黙とうをささげました。

あれから5年。「もう5年」なのか、「まだ5年」なのか、人によってさまざまだと思います。被災者にしてみれば「5年たったということなんて、何の区切りでもない」と感じている方もおられると思います。それはそうでしょう。まだ復旧の真っただ中だという人もいるでしょうし、町や生活は平常に戻りつつあっても、心の中はあの時のままという人もいるでしょう。心の底からそういう方に寄り添うことができたらいいなあと思います。

去年は被災地を訪れることができませんでした。今年はまた行ってみたいと思います。現地に行ったって私にできることはないと思います。でも多少なりともかかわることができた所に、私はまた行きたいのです。人に会いたいし自分にとっても思い出の場所ですから・・・。私はもうなかなか現地に行けなくなったけれど、決して忘れているわけではありません。私のようになかなか現地を再訪できない仲間も、「申し訳ない」と思っています。みんなできることなら「また行きたい」と思っていると思います。「ご無沙汰して申し訳ありません」という言葉はよく使うけど、ここでは本当に心からそおう思ってます。

今日は風呂屋の会合でした。毎月11日に行われているので、5年前の3月11日もこの会合が開かれていました。その年、会合が終わって私は自分の家に戻り、金春湯で掃除をしていた時にあの地震が起こったのです。みんなあの時の状況は忘れることはできませんし、今日もみんな口々にその時のことを語っていました。我が家の銭湯は、電気系統にお湯がかぶり、営業が開始できない状態でした。煙突が倒れないかと不安な気持ちで見守り、出かけている家族の安否を確かめようにも携帯電話もつながらず不安で、交通機関はマヒしていて出かけている家族を迎えに車で家を出ても道は車を走らせられる状態ではなく、あきらめて家に戻るしかありませんでした。家では何とか銭湯の復旧を図り、いつもより3時間遅れて店を開けました。こんな状況だから店は休もうかとも思ったのですが、その時点で周りのオフィスでも帰宅困難者が多くいることが分かっていたので、会社に泊まらなければならない人のためにも店を開けようと思ったのです。家の前の普段は人通りの少ない通りも、原宿の竹下通りのような状態でした。店を開けるとビジネスマンの方々がどっと押し寄せました。中には「家に帰れないから泊めてもらえないか」という人もいました。みんな店のテレビにくぎ付けでした。面識のない御客さん同志でも情報を交換し合い、これからどうしたらいいかを話し合っている光景がありました。

翌日でしたか、私は妻と長男と3人でテレビのニュースに見入っていました。信じられない光景が映し出されています。津波に家も車も、町ごと流される。建物の屋上で必死に救出を待つ人々。町全体が炎に包まれ燃えている光景。これからここはどうなるのだろうと思っていました。自衛隊や警察のヘリが現地の上空を必死に飛び回り、救助を待つ人のところに向かう。孤立した避難所にどうやって物資を届けるのか。助けたくてもそこは日常の世界ではない。こういう状況をみて妻が言った言葉に動かされたのです。「あなたたちみたいに、いつも山に行ったり岩を登って面白がっているひとが、もし人の役に立つのならこういう時しかないんじゃない」。

そうです。私達クライマーと呼ばれる人は、準備さえしていけばどんなところでも自活できるのです。私の元勤め先のYMCAが岩手県の宮古市にボランティアセンターを立ち上げることになり、まず私にコーディネーターとして行ってくれないかという話でしたが、そうなると最低でも1ヶ月くらいになるので無理。でも仲間のクライマをたくさん集めて、現地で自活して作業が行える人を送り出すことはできると思ったのです。仲間は集まりました。最初はあまりにも悲惨な状況の中で、われわれ一般人には手が付けられない状況、というより手伝わせてもらえない状況。力は有り余っているのに何もさせてもらえない状況。地道な御用聞きから始まるのですが、なかなか地元の人にも受け入れてもらえない状況に、かえって心に被災を抱えて帰ってくる仲間が続出しました。しばらく活動が続いて安定してからのゴールデンウィーク。ボランティアが殺到しすぎて、その対応や現地ボランティアの生活の乱れの問題。募金の使い道についての議論。もっと活躍したいボランティアの不満など。いろいろな問題が湧き上がりました。実は私はボランティアをしに現地に行くということはなく、こういう問題が起きた時に出向くだけでした。それでも2011年には6回行ったのですから、どれだけ現地でボランティアをすることが大変なことか分かってもらえると思います。それを束ねるコーディネーターはなおさらです。

でも一つだけ言えるのは、みんな遊びに行って問題を起こしているのではないということでした。みんな一生懸命であるからこそ起こる問題なのでした。(生活の乱れ以外は)

いまでも現地に通い続けている仲間がいます。頭が下がります。自分もそうしたいけど、今はよろしくお願いします。

いい街なんです。私は好きです。品川から800kmも離れていなければいつでも行きたいのです。本音を言えば町の人と被災者として会うのではなく、友達として会いたいのです。現地のかたも今置かれている状況はさまざまですから、一言では言えませんが、「いつでも希望を持っていただきたい」。「喜びも苦しみも分かち合いたい」。


尊敬するクライマー

2016-03-10 00:56:42 | 山とクライミングの話

今日もビッグロックで登っていました。常連のY村さんがいました。

尊敬するクライマーは、著名なクライマーをはじめ、何人もいますが、Y村さんという普通のおばあちゃん(失礼)クライマーは尊敬に値する。御年うん十歳の、見る人によれば「おばあちゃんクライマー」だ。身長もちっちゃい彼女は、年のことも身長のことも言い訳にしたことがない。ただ黙々と自分の目標ルートに励んでいる。今日はビッグルーフの5.10dにチャレンジしていた。ムーブもきれいで、途中まで難なくこなしていたけど、遠いホールドを取りに行くところで行き詰っていた。でも彼女は身長が低いことなど言い訳にしない。どうしたら届くのか、精一杯考えてトライしている。

ふと思った。若いクライマーで登れるクライマーはたくさんいるけれど、彼女がその年ならすごいクライマーだっただろうと・・・。

彼女のように直向きに目標に挑む姿は美しい。今、どれくらい登れるとか、誰かよりも登れるとかではなく、いつも向上心を持って頑張っている人は、私の胸を打つ。

自分もこうでありたい。他人を批評したり、他人に勝ちたいとかではなく、登るのが好きで登れるようになりたいという純粋な気持ちでクライミングを続けていきたい。