South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


大一美術館「浮世絵名品展(其の一)」

浮世絵名品展、広重の東海道五十三次の前半、日本橋から掛川までを見た。それぞれの宿場を題材に、縦絵と横絵では構図の違いがあり、通行人の服装や交通業者、宿場の様子が見て取れる。客引きや名物の店など当時の風俗も。

2018-04-29 16:58:57 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


名古屋ボストン美術館「鈴木春信浮世絵名品展」、名古屋ナディアパーク「文化庁メディア芸術祭愛知展」

鈴木春信展、招待券があったので行ってきた。名古屋ボストン美術館はこの秋に閉館が決まっている。まあ、申し訳ないが、動線が苦しいというか、仮住まいだったよね。

鈴木春信については、知識が乏しいものの、浮世絵の魁となった画家。一番最後に哥麿が数店並んでいて、違いがわかるというもの。晴信の基本は全身像で哥麿のそれはクローズアップ、何を焦点にしているのか明白。ただ、春信のそれは、古典詩歌の見立てで、フォーカスが異なる。残念ながら、こちらは、基礎知識がないもので、なかなかわかりにくい。

メディア芸術祭、漫画アニメの原画は面白かった。ほかの、メディアアートは、いまいち食い足りないきがする。たとえば、画面にたくさんのキャラクターが表示されていて、端末と結びついているのはどれかわからない。それを端末を操作しながら見つけ出し、画面の何処かに移動させるというのだが、どうせなら、スマホのアプリを用意して、複数のユーザに同じことをさせたほうが良い。べつに、ゲームボーイの操作端末でもなかろう。しかも、ひとつ。
また、ロボットが考え落ちな氣がする。なんかなあ・・・・。

2018-01-07 21:02:22 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


市原湖畔美術館、東京国立近代美術館

10月1日に市原湖畔美術館の「One Road展」のオープニングがあるとのことで、出かけた。東京丸ビル脇に送迎のバスが停まり、ありがたかった。事前に、自分で出かけるためにどのようなルートと時間になるかをチェックしたが、このバス送迎がなければ、腰が重くなったかもしれない。このオープニングに出かけることにしたのは、友人のKSとオーストラリアで知り合ったJCがレクチャーをするから、ということだったのだが、この送迎バスは、私にとっては、まこと、同窓会のような乗り合いとはなった。KSのご両親、私も旧知のKSの親友のMKと娘、MTさんほか、顔見知りも含めても、10人近い人びとと乗り合わせた。

わたしは、この「One Road展」は三回目になる。最初は国立民族学博物館の企画展、続いては、香川県立香川ミュージアムの特別展、そして、今回である。友人のJCによれば、市原がメインというか、彼が展示に関わったということであるからこれが、印象深いというのはそれで納得ではあるが、やはり、展示場の構成や構造、そして動線がやはり気になるところである。今回の市原は、展示場の動線とすれば民博ぐらいの規模であろう。その意味では香川はゆったりとしていて、じっくりと落ち着いて鑑賞ができた。また、民博と香川は展示スペースが平面であるのに対して、市原は、空間的な縦の移動がある。このことが、最大の絵画の展示に大きな効果をもたらしたと言えよう。おそらく、市原の空間があるので、平面において横からあるいは俯瞰的に鑑賞するという展示が構想されたということだろう。結果としては、この上から俯瞰的に眺めることが出来るというセッティングが、ランドスケープの表現でもある絵画という今回の展示の趣旨ともマッチしていてとても良かったと思う。

翌日、東京竹橋の『東京国立近代美術館」に特別展「トーマス・ルフ展」と常設展に含まれる「近代風景:人と景色、そのまにまに:奈良美智がえらぶMOMATコレクション」を見てきた。また、ついでながら、入館中にアナウンスされた建築家の塚本由晴の「トーマス・ルフ展」に関連した企画の講演会を聞いてきた。特別展「トーマス・ルフ展」では、写真という近代主義的な眼差し(眼差しの固定化)とそれに関連する視点の問題および、両者に関連する操作的な写真の芸術表現の意識と思想を垣間見ることができて、大変興味深かった。加えて、塚本由晴の講演会では、キーワードとして写真、近代、民族誌、フィールドワーク、文化人類学、連関、などが提示されて、それは、それなりに興味深かったし、また、東京における限られた空間の利用に関する「フィールドワーク」や金沢の町家の建築の「フィールドワーク」の成果が説明されて、ある種、カリカチュア化された文化人類学のフィールドワークが提示されたようにも思えて興味深かった。

しかし、前提として、現代の建築学自体がもつ、近代性と伝統性の相克といったことが明示的に明らかにされていないので、建築学の本質的な問題点の指摘、たとえば、伝統的なデザインの「流用」や近代主義を背景とした建築学の伝統的な建築にたいする暴力といった本質主義的な問題(課題)については明らかにされなかった。また、会場のサイズに照らして、ちっぽけなホワイトボードと、内容を隠蔽するかのようなか細い筆致のマーカーによる提示と塚本氏のプレゼン内容のの対象性が興味深かった。こうした、両義性が講演者の意図に含まれるとすれば、まことに慶賀すべきではあるが、果たしてどうであったか。しかし、そうした表現の差異に関する意図が隠蔽されていた(明示的には言及されていないということ)とすれば、これはこれで、いかがなものであったか。個人的には、東京や金沢における建築やリノベーションの多様性と適応性の分析はとても興味深かったので、残念なことではあった。

2016-10-02 22:09:23 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


三重・津「石水博物館」

日経新聞の日曜美術館、先週今週と川喜田半泥子の特集だった。意外に近くていけることを発見して行ってみた。

最寄り駅はJR紀勢本線の阿漕駅(津駅の隣駅)。まあ、鉄道で行く人は想定していないかもしれない。とはいえ、車でも大勢の人が来ることも想定していないような駐車場のサイズだし、アクセス道路もそう。鉄道系のICカードも使えない。隣の津駅は使えるようだが、問題は、快速「みえ」というのが曲者のようだ。名古屋駅からの途中停車駅が、桑名、四日市、鈴鹿、津という。1時間弱の運行時間であるのに伊勢鉄道を通るからのようだ。もちろん、阿漕駅は無人駅でワンマンカーに乗り換えるので、やむを得ないのだけれど。

ま、ともあれ、この期間は半泥子の弟子の「坪島圡平」の作品展で、半泥子の作品は少ないとはいえ、よく似た味わいの作品が並んでいて、それはそれで好ましい。もともと、北大路魯山人に惹かれていて、これまで本を見つけてみたり、あるいは、安来の足立美術館に行ってみたり(ここは、横山大観をはじめとする日本画がメインではあるが、もともと私が行ってみようと思ったのは、その陶芸館であった)したのではある。半泥子については、この日経新聞の特集以上のことは分からないのだが(情けない話!)、ともあれ、知らないことは知りたい!というのが性分なので、居てもたっても居られず行ってみた。

石水博物館:http://www.sekisui-museum.or.jp/

2016-06-26 21:26:45 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「岡崎京子:戦場のガールズ・ライフ展」ほか(世田谷文学館)、「文字の美」(日本民藝館)

東京に一日いて、日中どこで何を見るかというのはいつも悩ましい選択になる。今日は世田谷文学館と日本民藝館にした。

岡崎京子は、どういうつながりだったか2012年の夏にその名前を知って、何冊かマンガや彼女についての評論を購入していた。今回、どこをまわるか考えた時に調べていてたまたま見つけたのがこの「岡崎京子:戦場のガールズ・ライフ展」だった。原画やこの企画展を契機に作成されたカタログや数冊のエッセイ集や作品の数々も販売されている。平日で、また、京王線・芦花公園駅と必ずしも人が集まりにくい場所と思えるが、それでもそれなりの来場者があり、見かけたところ、30−40歳代の女性が多いようにおもうが、それでも20歳代もみうけられる。また、私も含め男性も20歳代から老年までの幅広い年令が見受けられた。わたしは、女子大教師として学生たちの行動や関心を少しでも理解できればとおもって、彼女の作品を見てきたのだが、それにとどまらず、いうまでもなく、1980−90年台の社会現象の一つとして見ることが重要と思う。

併設のコレクション展「下北沢クロニクル」では、下北沢に居住した作家たちが紹介され、岡崎もまた、その一つである。また、ムットーニからくり展も見た。これは、下北沢で途中下車しなくちゃとおもって、昼食をとった。

駒場東大前の日本民藝館では「文字の美」展をみた。文字はメッセージを伝えるだけではなく、呪力(たとえば、お札や墓銘など)をもち、また、美的インパクトを与える。柳宗悦はコレクションを展示するだけではなく、書籍による啓蒙活動を活発に行なっているが、その時、民藝の意匠の一つとして文字の美しさを駆使していることがわかる。今はなきスティーブ・ジョブズが卒業しなかった大学で退学後も受講していた「カリグラフィー」の授業が現在にもつづくApple社の様々な製品デザインの原電であったことは人口に膾炙している。文字のデザインの持つ力は、大きいのだ。

2015-03-13 23:36:47 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


"Best of the Best"展(ブリジストン美術館)

昨日(3月12日)、午後2時からの本郷での所要の前に、昼食がてらの時間帯で東京に到着してまずはブリジストン美術館に行った。

今回の"Best of the Best"展のあと施設の改修が予定されているということで、タイトルにも惹かれて出かけてみた。自館のコレクションの展示で、印象派以降のフランス絵画を中心にした作品、また、日本人作家のフランス遊学組の画家たちの作品が展示されていて、いささか、動線が混乱するのとまた、通常のビルの一フロアを利用しての展示ということもあって、せせこましい上に、これでもかと並べられているので、少々、食傷する。とはいえ、質の良いコレクションで眼福ではある。改修するとのことなので、乞うご期待ということか。

東京駅構内で昼食の後、本郷の新しく作られたハチ公と上野教授の銅像を見物した。うれしそうなハチ公はいいな。


2015-03-13 23:11:16 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


国立民族学博物館「イメージの力」展

国立民族学博物館に「イメージの力」展を見に行った。この6月8日に東京の新美術館でみた同展について書いたことがあるが、残念ながら、新美術館の勝ちだろう。その理由は、会場の空間の利用の仕方である。新美術館の誕生の高い白い壁で区画され、かといって区切られながらも広々とした空間を利用できるのでたくさんの展示品をこれでもかと並べても息苦しくなく、むしろ、作品のそれぞれの個性を対比的に見ることができたように思う。しかし、民博では、ストーリーの展開を意識しすぎたか、展示空間を狭くして回廊式に導線をもうけて最後に大空間を見せるという展開にしたのだが、しかし、博物館らしい展示になったと言えるかもしれないが、新美術館のそれと比べると、ちょっと寂しい。民博の特別展示場は、円柱上の大空間であるので、むしろ、広々とした空間使いができなかったかとおもう。

常設展も駆け足だったが、現在オープンしている展示場を一回りした。久しぶりだった。ごく初期の頃の展示を記憶するものにしたら、フィールドの現状を伝えるという展示は、むしろ、ごたごたした印象を与えるようにおもえる。地域によってスタンスも違って、コンセプトがバラバラな印象もある。初期の展示はヴンダーカンマー方式の展示ではなく、展示品の数を絞り同時に天井の高い大きな空間を用いて展示し、ライティングもむしろ抑えめで、利休鼠の黒っぽい壁面を利用し、壁面の白い美術館的なイメージをも凌駕する強烈なイメージを与えていたと思うのだが、説明文が多く入り、モニターが数多く設置され、また、プレステを通しても説明を聞くことができるシステムが入り、視覚的に障害物が増えた印象だ。

研究博物館なので、展示品や民族文化についての説明は必要なのだが、その必要性に応じて付加するか、どのようなシステムを用いるかは悩ましいところだ。スマホの時代にあっては、必要な人はアプリを利用して、スポット的に情報収集できるようなシステムがいいのではないかと私は考える。説明がある場所どこかや展示品がどれかについても最小限の表示にして、ビデオモニタをなくし、スマホに直接送り込むことはできないだろうか。スマホを使わずに展示品を眺めたい人には夾雑情報はあたえず、また、たくさんの文字情報や映像情報を必要とする人に個別に配信するようなシステムだ。


2014-12-07 22:22:49 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


愛知県美術館「デュフィ展」

最近見たものとしてはシャガール展だったので、どうしても比べてしまうが、その点、インパクトが弱いと言わざるを得ないだろう。比べるなと言われても、あの色使いは関連して見えてしまった。


愛知県美術館「デュフィ展」:http://event.chunichi.co.jp/dufy/

2014-11-12 21:26:28 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


特別展「Nippon パノラマ大紀行:吉田初三郎の描いた大正・昭和」

名古屋市博物館で開催中の特別展「Nippon パノラマ大紀行:吉田初三郎の描いた大正・昭和」を見に行く。

作者の吉田は大正昭和の広重を標榜していて、それらしい美人画風の絵画を描くが、しかし、彼の真骨頂は各地の電鉄や自治体の発注になる、路線図や市街地の鳥瞰図・俯瞰図が真骨頂のようで、地形を部分的に含めつつ、対象となる沿線や地域を中心に、周辺を大きくデフォルメして鳥瞰図・俯瞰図をえがくのはたいへん興味深い。「観光社」という受注母体をつくって、全国のニーズに対応したようだ。これまた、興味深い。

特別展「Nippon パノラマ大紀行:吉田初三郎の描いた大正・昭和」:http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji140726/details/

2014-09-07 21:17:48 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「イメージの力」展、「バルテュス最後の写真展」、インターメディアテク(Kitte)

新美術館に「イメージの力」展:http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/power_of_images/https://www.facebook.com/the.power.of.images

みんぱくは博物館だけれど、十分美術館的に展示品を見せていると思うが、美術館でのキュレーションは全く違う印象となる事がわかる。白い壁、作品との距離感、動線、一つ一つがみんぱくとは違う。解説はみんぱくとおなじく最小限の解説となっているのだが。また、観客の見方が違っている。みんぱくは地域にわかれていてそれぞれの地域の物質文化や「芸術」作品が展示されるが、ここでは、テーマに従って、また、イメージと言うキーワードで並べられる仮面、神像、現代文化との混交(メディアミックス的ですらある)、インスタレーション風に展示が進む。みんぱくのことをよく知るひと以外のファン層をうまく獲得できればいいのだがどうだろう。民族学=文化人類学に興味のある人が来るだけでなく、新たな観客層が獲得できたのだろうか。
学会の同僚をお二人、会場とミュージアムショップでお見かけした。みんぱくの特展場に巡回するのだろうが、みんぱくではない展示は見応えがあった。みんぱく外での展示に関わったことがあるが、やはり、みんぱくのイメージに引きづられたことが思い知らされた。

三菱一号館美術館の歴史資料館「バルテュス最後の写真展:密室の対話」:http://mimt.jp/balthus/
東京都美術館の「バルテュス展」(http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_balthus.html)に出向く余裕が残念ながらなかった。だから、ではあるがこちらに来てみた。ほんの小さな展示スペースに晩年のバルテュスがカラーポラロイドに作品のイメージを確かめるためか、同じ姿勢のモデルのポラロイドが並ぶ。しかし、かえって作品そのものよりも面白い。本の微細な違いが作家をかき立てているのだろう。

東京大学総合研究博物館のインターメディアテク:http://www.intermediatheque.jp/
東京中央郵便局の再開発で、元の空間の2-3階の大きなスペースを取って、東京大学総合研究博物館の分館?のインターメディアテクの展示スペースがある。古いフローリングと、収蔵施設、什器などに膨大な(といって、まだまだ一部にすぎないのだろうが)収集品がこれでもかと並べられる。まさにヴンダーカンマー(驚異の部屋、蒐集室)の趣。テーマでなくても、こだわりの蒐集が披瀝される。もちろん、研究用の蒐集ではあるが、一般の人々にとっては見慣れない、不思議な物品が並ぶことになる。
無料だし、ぜひとも訪問すべし。

また、「Kitte」と名付けられた中央郵便局の修復再開発施設は、面白い。旧中央局長室から、また、屋上庭園からの東京駅丸の内口の建物の眺めや東京駅の列車の眺めは、見る価値あり!

2014-06-08 23:39:47 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


愛知県立美術館「シャガール展」、名古屋テレビ塔「フェルメール光の王国展」

愛知県立美術館「シャガール展」
あまり予備知識を持っていなかったが、ロシアのディアスポラ・ユダヤ人画家のマーク・シャガールの作品の内、音楽・バレー、オペラ座の天井画やバレーの衣装、背景が、教会のステンドグラスに焦点があたっていたもので、大勢の観客に混じって結構楽しむことができた。望むらくは、もう少し、大きな空間で作品の間隔を明けた展示で一点一点堪能したかった。もっとも、下絵が多かったので、それほど細かく見るというよりも、どのように作品の発想が展開したかを見るということでは、ザッピングのような見方もありだったかもしれない。その意味でも、図録を購入したのは正解。あとでじっくり眺めることができる。

名古屋テレビ塔「フェルメール光の王国展」
2010年8月24日にデルフトに行ったことがあって、その時にフェルメール・センターに行った。この展覧会はまあ、それ。現地と同じ、写真版、ただし現物と同サイズの作品が制作順に並べられていて、構図について説明がある。タブレットPCを貸してくれて(有料)、作品それぞれについての説明があるが、娘と父がそれぞれ説明することになっていて、いささか、その設定はうざい。早々に見るのをやめた。テレビ塔下3Fの展示スペースに行ったのは初めてだが、狭くてちょっとびっくり。まあまあ、なつかしく、デルフトの街を歩き回ったことを思い出すことができてよかった。

2014-05-25 21:02:35 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


オーストラリア博物館「Old Masters」(樹皮画回顧展)

3月24日月曜、キャンベラで所要だったのだが、午後、オーストラリア博物館「Old Masters」展を見てきた。

"Old Masters" at National Museum, Canbera, Australia: http://www.nma.gov.au/exhibitions/old_masters/home

23日日曜夜にキャンベラに到着し、24日月曜午前中と昼食時にミーティングを終えた。その後、雨の中歩いて、キャンベラのNational Museum にきて、「Old Masters」という樹皮画の展覧会を見た。20世紀前半、樹皮画が発見されて以来、樹皮画の巨匠たちの作品が集められている。樹皮画はオーストラリア北部のノーザンテリトリーにあるアーネムランド・アボリジニ領の人々が、ユーカリの樹皮を剥いで平にして、赤白黒黃の四色の顔料を用いて、彼らの物語を描いたもの。今回の展覧会はこれまで、巨匠として知られる作家たちの作品を集めたもの。生存しているのは1-2名?見応えがあった。

日本国内は常時展示されているところはないが(たぶん)、数多く収蔵しているのは国立民族学博物館と岐阜県美術館だろう。

会場でアーネムランドから、Yolnguの人々も来ていたので、ひょっとして係累でもいないかと、何人かに話しかけて見た。残念ながら見つけることがでなかった。残念ながら。この十年もほとんど行っていなくて、声をかけたのは若い人たちだったのでしょうがない。

2014-03-30 23:37:49 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


シンガポール美術館・博物館訪問記

日経新聞の12月28日付けの文化欄に「シンガポール、アジアのアート拠点へ:有力ギャラリー誘致/美術館新設 経済の次は文化立国」という記事が掲載されていたことは旧聞に属することだが、年末年始にシンガポールに滞在していたので、あわせて、博物館美術館を訪ねたのでメモとして記録しておこう。

シンガポールは成功した開発独裁国家としての経済発展は著しく、また金融や物流、観光のハブとしてのアジアにおける位置づけはよく知られている。東京23区規模の面積(700平方キロ)に人口は約500万人(23区は人口900万人)とあって、高層ビルが林立する都心だけでなく、郊外住宅地も高層住宅が建てられている。結果として、空間の多くは緑濃い熱帯降雨林がそのまま広がっている。市街地でも街路樹や公園の緑が豊かである。年末年始だからか、繁華街やショッピングセンターは大いににぎわっていて、観光客はむしろ目立たなかった。ここで記録する博物館/美術館でも、観光客よりも地元の人が多かったような気がする。

さて、一番最初、28日に出かけたのは、Singapore Art Museumである。Biennale2013が開催中とは知らずに飛び込んだのだが、とりわけ、東南アジア諸国のアーティストたちの作品がたくさん集められていて、興味深かった。展示室ごとにボランティアガイドさんがいて、とにかく説明しようとしてくれる。もともと、現代アートは、理屈では見たものが感じることができれば何でもアートということではあるが、説明があった方が見る助けになることは確かだが。しかし、訛の強い英語を聞き取るのは忍耐を必要とした。特に興味深かったのはベトナムのアーティストの作品で、古い建物をリノベートして作られた美術館の「チャペル」に単独出品されていた大きなオブジェで、トンネル上になっている。ガイドさんの説明によると、若い作家がアメリカに行ってベトナム戦争をみいだし、同時に伝統的な漆芸のテクニックを使って作り出したアイデンティティ発見のタイムトンネルのようなもの、だそうだ。アメリカ体験とアイデンティティの発見が漆芸で結びついていて興味深かった。この館で、Trienaleにからんで、National Museum とPeranakan Museumとの3館共通券を一館分の料金で販売していたので購入できて、ラッキーとおもったが、もっとも、National Museum へは元旦に行ったので、祝日は無料といわれて、券は2館分しかを使わなかった。ちなみに、元旦は一日だけ祝日で、翌2日はオフィス街は機能していた。

午後、宿泊していたホテルが所有する絵画を紹介するツアーがあるというので参加してみた。確かに1階に小さなギャラリーがある。そのお姉さんが館内の彫刻や絵画を選んで案内してくれた。シャガールだけはプレジデンシャル・スーツにあるとやらで、見ることはできなかったが、ピカソの単彩シリーズが10枚、バーの壁に飾ってあったりするのは、たいしたものだ。

30日には、Prenakan Museumにいった。Prenakanプラナカンとは、マラッカ海峡両岸地方に居住するようになった中華系住民をさし、シンガポールではエリート層をなすと言われる。2日にたずねたサマセット駅近くのプラナカン街は、プラナカンたちの邸宅が今も名残をのこしつつ一角をなしている。この博物館ではプラナカンの歴史と生活と文化を展示していて、興味深かった。また2階の一室にはBienaleの作品が展示されていた。

元旦には、National Museum of Singaporeにいった。祝日は博物館美術館は無料開放とのことであった。ここでは、いくつもの展覧会が平行して開催されていて、そのひとつは常設展のシンガポールのエンタテインメントとファッションのれきしについてのものだった。とりわけ面白く見たのは、"A Changed World: Singapore Art 1950s - 1970s"という絵画展で、シンガポールがマレーシアから独立して国家を建設していく家庭の中でシンガポール人の画家の作品の変化について、時系列をおって展示されたものである。たとえば、伝統的な中国の様式化された南画が風景画にかわっていくような。考えたのだが、日本の明治時代の絵画と比べるかもしくは、この絵画展と同じ時代の日本の絵画の展開を比較研究するのも面白いとおもった。なんなら、東南アジアから東アジアも含めて比較できればおもしろい。

2日には、ラッフルズプレースにあるAsian Civilizations Museumに最初に行った。"Beginning of the Becoming: Batak Sculpture from Northern Sumatra"という特別展があり、また、アジア各地を比較して展示する常設展を見た。決して大規模な博物館ではないが、古い建物をリノベートして活用しているのはどの博物館とも共通である(国立博物館は、モダンな新館が併設されていたが)。隣接するArt Houseにいった。ここは、展示が終了してなにもなかったが、創設期のシンガポール議会の建物だそうである。その後、Gillman Barracksに行った。元は軍の駐屯地だったようだが、小規模な建物がそのままかつようされて、15のギャラリーが集まっている。残念ながら、とくに、日本系のギャラリーが冬休みで開いていたギャラリーは数カ所しかなかった。

このあと、サマセット駅近くのプラナカン街にいった。町並みが保存されつつも、そこでの生活があるようすが伺える。内部を見ることができないのが残念なところである。ところで、私はシンガポールを訪問するのはそれこそ30年ぶりぐらいのものであった。当時は、仕事でオーストラリアを往復するのにシンガポール航空をつかっていて、前後にストップオーバーして何泊か何回か滞在したことがある。その当時、チャイナタウンを訪ねたときも、来年来たらここはこわされてビルが建ち始めるという話を聞いた覚えがある。きいてみたら、ちょうどその頃から、建築物についての保全運動が進んで、結果として、チャイナタウンやアラブ人街、インド人街がそのまま残ることになったのだそうだ。博物館のような由緒のある建物は政治的なモニュメントとしての意義があるものについては、のこされるのだろうが、古い建物を残していくというのは好ましいことだと言えよう。しかし、もちろん、それでは小さい島に大きな人口は収容できないから高層ビルを建てて人々はすむことになる。今回、郊外の町には行かなかったが、中心部が古い町並みが保全されているのに対し、どうなのだろうか。

何れにしても、シンガポールにはまた行ってみたい。


2014-01-06 09:50:52 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


名古屋市美術館「ハイレッド・センター:直接行動の軌跡」展

現代芸術はさっぱり分からないにしても、しかし、何でも芸術の素材になるというのは、60年台の「ハイレッド・センター」の直接行動を「展示」するこの展覧会を見ると少しは理解が進むというものだ。若干世代的には遅れてはいるが、また、東京での彼らの活動を知る機会もなかったが、それでも、赤瀬川原平の「ニセ千円札事件」は同時代に生きたものとして多少は記憶がある。通常の偽札偽造版とは違う芸術としての創作活動を執行猶予付きとはいえ有罪判決をしたというのは、昨今の「秘密法」にむけての慌ただしい自民党などの政権側の動きと重ねてみるのは、過剰であろうか。6-70年台は新左翼系の運動が吹き荒れたが、彼らの運動も、そういった政治的な流れの中でおきたということである。あの時代、見過ごしていたことが、累積的に現在に至っているようだ。

名古屋市美術館「ハイレッド・センター:直接行動の軌跡」展:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2013/hrc/index.html

2013-12-08 21:22:54 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


豊田市美術館「フランシス・ベーコン展」

フランシス・ベーコン展に行ってみようと思っていた理由は、ジャクソン・ポラック展に行ったんだから、ぐらいのつもりだったが、予想外に面白かったのは、身体技法という視点だった。アブストラクトには形象を対象にするのか、それとも、動態を対象にするのか、両面があったのだ。ベーコンの抽象は人間の動きに向けられていたのであろうか。動画が動きを捉えようとするのに、静止画でその動きを捉えようとしたのか。ぶれて、奇妙な四肢の重なり、これが、彼が狙ったものであったのか。展覧会では、土方巽の舞台シナリオ(どう言っていいのかわからないが)が展示され、土方の身体技法がフィルム展示されていた。そして、最後の展示が、クラシックバレーをバックグラウンドとするアーティストによる、上方、正面、側面からの動態記録であった。ベーコンの表現が、動態を静止画として描くということであったのか・・・。と思った次第。本当のところは分からないが、ベーコンのブレのある描法は振り返るととても面白かった。

豊田市美術館「フランシス・ベーコン展」:http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2013/special/bacon.html

2013-07-13 21:15:40 | 博物館/美術館など | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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