South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
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日経新聞土曜版「何でもランキング」「SF映画が描く次の技術」(2024年4月6日)

いささか旧聞になったが・・・。

2024年4月6日付けの日経新聞土曜版「何でもランキング」(おそらく、有料版になるのでリンクを貼らないでおく)で「SF映画が描く次の技術」というSFプロトタイピングのランキングが乗っていたので、そのデータをもとに、追加情報をくわえて以下に記録しておく。

この記事が出たとき、ここ「読書と夕食」に書いていたものもあるが、見たことがあるが書いていなかったものもある。「マイノリティ・リポート」(2002年封切とのことなので、「読書と夕食」には書いていないが、映画館で見たような、あるいは機内映画か?、それで、今回見直して書いておいた)、「エクス・マキナ」(これは、途中まで見てだれてしまったやめた記憶だ)、「her/世界でひとつの彼女」(これも同様に、途中まで見てだれてしまったやめたかも)は見たような見ていないような・・・。まったく、見ていなかったのは2位の「レディ・プレイヤー1」(今回の記事をきっかけに見てみた)と9位の「A.I.」の2作品ぐらい。ということは、結構良く見ているジャンルであったことはたしかだ。

この記事のあと見直したものも含めて、「読書と夕食に」書いたもののリンクをつけておくことにする。

1位 オデッセイ 655ポイント 火星で挑む植物栽培や水の合成 ①監督リドリー・スコット②日本での公開2016年③ディズニープラス 原作:アンディ・ウィアーの小説『火星の人』 [映画「オデッセイ」 - 読書と夕食] [『火星の人 (ハヤカワ文庫SF)』 - 読書と夕食]

2位 レディ・プレイヤー1 435ポイント 貧富の差、VRで逃避する世界 ①スティーブン・スピルバーグ②2018年③ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント/NBCユニバーサル・エンターテイメント 原作:アーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』 [映画「レディ・プレイヤー1」(Amazon Prime) - 読書と夕食]

3位 her/世界でひとつの彼女 400ポイント 自由意思をもったAI、恋愛の対象に ①スパイク・ジョーンズ②2014年③アスミック・エース 脚本:スパイク・ジョーンズ

4位 マイノリティ・リポート 360ポイント AIで犯罪を予想する未来先取り ①スティーブン・スピルバーグ②2002年③ウォルト・ディズニー・ジャパン 原作:フィリップ・K・ディックの短編小説集『マイノリティ・リポート(少数報告)』(入手したので、そのうち読もうと思う) [映画「マイノリティ・リポート」(Amazon Prime) - 読書と夕食]

5位 インセプション 350ポイント 他人の脳に潜入、操作も ①クリストファー・ノーラン②2010年③ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント/NBC ユニバーサル・エンターテイメント 脚本:クリストファお・ノーラン [機中映画『君の名は!』『Inception』『Snowden』 - 読書と夕食]

6位 ブレードランナー2049 285ポイント アンドロイドが自らを人間と認識 ①ドゥニ・ヴィルヌーヴ②2017年③ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 原作:フィリップ・K・ディック(前作の「ブレードランナー」の続編)

7位 エクス・マキナ 230ポイント AIロボット、恋愛の対象に ①アレックス・ガーランド②2016年③NBCユニバーサル・エンターテイメント 脚本:アレックス・ガーランド

8位 メッセージ 225ポイント 異星人の言語を解読 ①ドゥニ・ヴィルヌーヴ②2017年③ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 原作:テッド・チャンの短編小説集『あなたの人生の物語』(現在進行中で読んでいるので、原作については後刻) [映画「メッセージ」(Arrival) - 読書と夕食]

9位 A.I. 220ポイント AIを子どもの代わりに育てる ①スティーブン・スピルバーグ②2001年③ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント/NBC ユニバーサル・エンターテイメント 原作:ブライアン・オールディスの小説『スーパートイズ』(入手したのでそのうち読もうと思う)

10位 チャッピー 215ポイント 自分で学習するAI警察官、悪の手に渡ったら? ①ニール・ブロムカンプ②2015年③ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 脚本:ニール・ブロムカンプ  [映画「チャッピー」 - 読書と夕食]



2024-04-17 10:43:28 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「メメント」(Amazon Prime)

 

クリストファー・ノーラン監督の本作、彼の商業映画第1作のようだが、凝った作品を作っものだ。脳に障害を負って過去の記憶はあるものの短期の一定期間以降の記憶を保持できないという「前向性健忘」になった主人公を描く。作品の進行は、最新の時間から逆行して描かれるが、カラーのシーンとモノクロのシーンが交錯する。カラーのシーンは時間を遡って描かれるが、モノクロのシーンは逆に時間順に描かれる。ところが、カラーとモノクロの表現の時間ギャップが大きいので、視聴者には理解し難く難解さがます。くわえて、登場人物は、主人公が「前向性健忘」であることを利用して金儲け(麻薬の売人から金を巻き上げようとする)をたくらむ悪徳刑事が主人公を操作すべく様々な行動を起こす姿が描かれるので、ますます混乱がひどくなる。
過去や未来ではなく生きている現在こそが現実であって「今を生きる」ととが最も重要なことだ」というメッセージや記憶というのは曖昧であって操作可能で、文字として記録されるメモこそが正しいという主人公の言葉は、時間間隔や人間の認識の重要なポイントと思われる。その映像表現として時間の順行と逆行を交互にカラーとモノクロの映像で示されているのだ。映画「メッセージ」では、回顧あるいは白昼夢が挿入されている。また、映画「マイノリティ・リポート」では予知夢として表現され、TVシリーズ「高い城の男」では多元宇宙という概念をベースに物語が進行する。これらもまた、時間とともに映像が進んでいく映画(ビデオ)の中にどのような形で過去を挿入するかという表現で、たまたまだが、短時間のうちにこれら作品を見ることができて興味深かった。


2024-04-12 21:06:21 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「レディ・プレイヤー1」(Amazon Prime)

 
当方はゲーマーではないので、封切りのタイミングで多分手を出さなかった映画であることは確実だけれど、とはいえ、見て面白かったとはいうものの自分がゲーマーになる可能性もないとも思えた。

まあ、どうでも良いことから始めるとすれば、邦題はどうよ。LとRは違うのだから英語話者にすれば間違いようがないにしても、その区別のない日本語話者は「レディ」というのはどう受け取るの?映画マニアであれば原題をチェックするだろうからいいとしても、意味的に曖昧なタイトルにするってのはどうよ、とまずはおもった。とはいえ、原題としてもタイトルと内容がどのように関わるのかわからない視聴者のわたしとしては、まあ、どうでもいいことではある。

2045年、コロンバスの貧民窟に住むゲーマーのウェイドことパーシヴァルの成長の物語。VRの世界は貧民が楽しむもので、搾取され続けていて、それに対してエスタブリシュしたゲーム会社とが対比される。ところが、画期的なVRゲーム「オアシス」を立ち上げて世界一の会社にした創業者であるハリデーは遺言で3つの秘密の鍵をVR世界に残し3つの鍵を手に入れたものに会社のすべての権利を譲り渡すとしたのだ。ゲーマーたちはチャレンジを続けるが、何年ものあいだそのゲームはサスペンドされ続けていた。ウェイドと彼のチームがそれに挑戦し、ゲーム業界第2位のIOIとVR世界で競い合う。

この作品はスピルバーグの映画愛に溢れた作品で、ゲームの世界には様々な映画のモチーフやキャラクターが挿入されている。このシーンはあるいは、このキャラクターはこれこれの映画だなどという楽しみが溢れている。また、RPGの謎解きはマニアックなゲームの世界観についての知識が必要なので、私がこれまで視聴しなかったのは、この手の世界観とは無縁であったことは確かだ。深みにハマるほど興味惹かれた訳では無いにしても、興味深く映画を見ることができた。


2024-04-11 21:06:21 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「マイノリティ・リポート」(Amazon Prime)


 
随分前(いつだったか?少なくとも「読書と夕食」以前の可能性が高い)に見たと思うがが、今回改めて見なおした。この作品もフィリップ・K・ディックが原作だった。なんだか最近、フィリップ・ディックづいているかんじがする。原作を読みたいと思ったが、Kindleがないようなので紙の本(古本)で注文した。

今回の作品のポイントは、時間とはなにかということ。この作品では予知夢とされる短時間(1日程度)の未来に起きることがテーマになっていて、特に殺人に限って対象となる。その事件を阻止する、つまりはごく近未来に起きる出来事を阻止できるかというのがテーマとなる。時間テーマのSFなどでは過去に遡ったばあい、過去の事象に未来から介入するとパラドックスが起きるのではないかといったことだが、この作品ではごく短時間の未来に起きる事象をあらかじめ起きることを察知したエージェントがそれを阻止することになっている。このばあい、時間的事象への介入が未来にどのような影響があるのかというのは、あくまでも現在からの介入であるから回避できるようではあるが、ところが、作品の主要テーマは未来は未定であるというのがポイントとなっている。この作品の中では、直前に実行されなかった出来事がキーとなる事象なのだ。とすれば、逆に、予知夢とはなにか?、単なる想像にすぎない?ただし、当たる確率が高い?

さて、本作品はプリコグと呼ばれる3人の予知夢に基づくプリクライム警察の物語。プリコグの予知夢に基づき殺人が起こる直前に現場にチームが送り込まれて犯罪を阻止することを任務とする警察なのだが、実際に犯罪が起こるのかどうかは起こってみないとわからないはずだし、実際プリコグたちが見る予知夢のゆらぎ(殺人が起こる場合とそうでない場合)はエコーとして、記録されないことになっているという。犯行を思いとどまるあるいは、殺人か事故かのボーダーラインもありうるだろうが、プリクライム警察は逮捕を実行することになっている。そのゆらぎが問題と司法省からの調査官ダニー・ウィットワーが調査にやって来る。司法省はワシントンにとどまるプリクライム警察を全国化するかどうかについて、調査しようとしていた。
主人公のジョン・アンダートンは6年前、子供を亡くしていて(誘拐された?)それを動機にプリクライム警察にうち込みチーフとなっている。そのかれが、プリコグの一人、アガサから見てと言われた映像にうつるアン・ライブリーの殺人(溺死)に注目する。ところがジョンは、リオ・クロウ殺人の犯人として予知されてしまい、真相を糺すべくチームを抜け出し仲間に追われながら、虹彩認証の対象となる眼球交換の手術をうけてまで、プリコグのアガサを連れ出し、殺人現場へと向かおうとする。エコーとして抹殺されるのではなくマイノリティ・リポート(少数報告)として残されているはずというシステムの発明者のアイリス・ハイネマン博士の言葉を信じて。
その現場にはリオがジョンの息子ショーンを誘拐したことを暗示する写真が残されていた。ジョンは怒り狂うが、しかし、リオは見知らぬ男から、ジョンに殺されれば、家族に保障金が支払われるとたのまれたとも告白する。ジョンは拳銃を抜くが射殺を思いとどまり逮捕の際のステートメントを発する。しかし、リオとのもみ合いの中で拳銃が発さされる。ジョンの跡をつぎ捜査を続けるダニーはリオ・クロウ殺人の現場の証拠の多さに疑問を持ち、アンの溺死殺人についても矛盾点を見出す。そのことを局長のラマー・バージェスにつたえようとするが、ラマーはダニーを証拠品のジョンの拳銃で殺害する。
ジョンはアガサとともに別れた妻のララの家に逃げ込む。しかし、プリクライム警察に逮捕されて、リオ・クロウ殺しとダニー・ウィットロー殺しで収容所に送られる。プリクライム警察の全国化を獲得したラマーの長官就任のパーティの席で、アンの殺人に疑問を持ったララが収容所に侵入してジョンを解放して捜査チームにも情報をながし、会場でラマーの犯罪を暴露する映像が流れる。プリクライム警察の正当性と存続のためにジョンを殺してチームに逮捕されるかあるいは、犯行を認めて組織を解体させるかどっちを取るか迫られたラマーは自らの死を選択する。
この一件の結果、プリクライム警察は解体、3人のプリコグは平和な生活へと解放され、ジョンとララには新しい命が宿るというところで物語がおわる。原作を読むのが楽しみではある。スピルバーグ監督はどこまで脚色したのだろうか。



2024-04-09 21:06:21 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


映画「メッセージ」(Arrival)

 
2016年 米国公開
原作 テッド・チャン『あなたの人生の物語』
監督・ドゥニ・ヴィルヌーヴ

言語学者ルイーズ・バンクスは大学での授業中、学生からニュースを見てくれと言われて教室のテレビ画面を開く。すると、世界12箇所に巨大なコクーン状の宇宙船が飛来しているというニュースに出会う。世界中は混乱して授業は中止となり、彼女は自宅に帰る。このとき、持ってもいない自分の娘が死んでいくという白昼夢を見る。夫とも別れている。まだ未婚だった。
翌日、研究室に旧知の軍人が訪ねてきて「音声を解読してほしい、何を言っているのか」と問う。飛来した宇宙人の音声らしい。ルイーズは直接会いたいと条件をだすが。軍人は帰っていく。翌日早朝、ヘリコプターが自宅近くに飛来して10分で用意しろという。彼女はアメリカに着陸した宇宙船の着陸地点に連れて行かれる。理論物理学者のイアン・ドネリーもいっしょで、チームを組んで宇宙人の飛来の目的を聞き出せと言われる。
はじめ、音声による会話を求めるが成立せず、ルイーズは彼らが発する筆で書かれた丸のような図像が文字ではないかと、文字による会話を試みる。ルイーズと軍人との会話の中には「カンガルー」の語源についてやサピアとウォーフの仮説(言語は思考に深く関わる)が語られ、また、イアンたち物理学者が見出した彼らの思考法が始まりがあって終わりがないという発見、また彼らの言語には時制がなく、丸の図像も筆のように書きはじめがあって書き終わりがあるのではなく、同時に書かれすべてが円環であることをヒントに宇宙人の言語理解を深めていく。
宇宙人たちの姿は典型的なタコ型(G.G.ウェルズの「宇宙戦争」以来の)で、イアンはヘプタポッドと名付ける。彼らの目的は、3500年後に地球人がかかわる宇宙的出来事のために飛来したことが明らかになる。ヘプタポッドは、未来も現在も過去もまとめて理解している。ルイーズはヘプタポッドの言語を理解するにつれて自分にとっての未来に起きる出来事が悲しい出来事につながることを理解しつつもその未来に向かって踏み出す。
彼女は、普遍言語(ヘプタポッドの言語)の発見者として偉大な言語学者となるが、同時に宇宙人の飛来をきっかけに世界を巻き込む宇宙戦争になりそうなことを、未来に起きることを知ったうえで行動をおこして戦争になるのを阻止すことに成功する。
これも、時間物なのだが、いくら、時間もまた一つの概念に過ぎないとはいえども、未来に起きたことを知ったうえで歴史を改変するのは、できるのか?

「メッセージ(Arrival)」はPrime Videoで見たのだが、原作がテッド・チャンの『あなたの人生の物語』で、この読後感については稿を改める。この作品の監督はついこの前に見た映画「ブレードランナー2049」(以前、機内でみたのを見直し)の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴと同じ。また、先日、「デューン砂の惑星」(以前、機内でみたのを見直し)を見たが、これも同じ監督。どういう偶然か、はたまた、なにか共鳴関係があると信じるべきか・・・。
 

2024-04-05 21:03:01 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「リーチャー ~正義のアウトロー~ シーズン1&2」(Amazon Prime)

 特別編成されたアメリカ軍第110特別捜査隊を除隊したジャック・リーチャー少佐たちの正義と暴力は不可分、さらには、自己解決するというアメリカ流の正義で貫かれた物語。リーチャーの父は軍人で海外の基地の付属住宅で兄のジョーとともに育つ。子供の頃から二人で、正義感に満ちた、腕力を生かした生活を送っていた。

除隊後、何も持たず放浪したいたリーチャーは伝説のブルース歌手を訪ねて南部の町を訪ねたところから物語は始まる。殺人事件の犯人として逮捕されるも釈放されるが、殺されたのは兄のジョーであったことが判明する。ジョーは国土安全保障省のエージェントとして贋札づくりを追っていた。町を牛耳る町長らが贋札づくりの集団で最後には彼らを追い込んでいく。シリーズの後半で元同じ隊の隊員であった私立探偵のニーグリーの助けをうける。

シリーズ2は、元隊員が殺されたとの知らせをニーグリーから受けてリーチャーがニューヨークに戻ることから始まる。元隊員たちはそれぞれの生活を営んでいたが、メンバーの一人スカイが航空宇宙産業の警備部門に職をえて務めるうちに小型ミサイルを横流しして大金を得ようとしていた不正を見つけ、元の同僚たちに助けを求めたのだが、次々に殺害されていた、生き残りのリーチャー、ニーグリー、オドネル、ディクソンの4人がこの陰謀に立ち向かって解決する。

2024-03-28 14:05:34 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『高い城の男(The Man in the High Castle)』(電子版、TVシリーズ)

 
フィリップ・K・ディック原作の『高い城の男(The Man in the High Castle)』のTVシリーズ(Amazon Prime Video)を見始めた。原作とはだいぶ違うようだ。そちらも並行して読み始めた。

大きな違いはいくつもあるが、そのひとつが原作では『イナゴ身重く横たわる』が連合国が枢軸国に勝利したという内容の小説であること。一方TVシリーズでは『イナゴ身重く横たわる』はたくさんバリエーションのある映画フィルムのリールに貼られたシールに書かれたタイトルであるというところだ。小説の場合は事実であるか創作であるかどうかは判別のしようがないが、映画の場合は実写であるのか演出であるのか判別が難しい点は小説と同様ではあるものの、実在の人物(TVシリーズに登場する人物)が写っている場合、たとえば、ドラマの中の登場人物が映画の中で殺される人間として表現されているのを見た場合、どれが真実なのかが謎解きとなる。

二つ目の違いは登場人物の役回りが微妙に違うことだろう。先の小説か映画かだが、原作ではアベンゼンは小説家であり、TVシリーズでは映画作家でありコレクターでもある。TVシリーズでは、かれの言動では他の世界に行ったことはないようだが、では、どのようにして映画を撮影、編集、コレクションしたのかが良くわからないままストーリーが進んでいく。それはそれで、良いだろう。あくまでも原作と翻案という位置づけなのだから。私の今やっていることのように原作を読みながら(ただし、日本語訳を)、英語版(日本語字幕)のTVシリーズを視聴するということをするのは、必ずしも必要としないので、多くはそれぞれの作品を個別に楽しむだろうから。

一方、共通のところは易経による易占がある種の狂言回しのように使われていることだろう。易占の結果である六十四卦がシンボリックに示され、ドラマの展開が示唆される。ただし、易経も一つだが、日本人の行動や英語の発音、また、挟み込まれる英語なまりの日本語(必ずしも正しくはない)が、アメリカ人のオリエンタリズムそのままに使用されているということが奇妙に映る。文化的に正しく描くことが必須であるとは思わないが、グローバリゼーションの進む中、たとえば、原作は1962年発表であるのでそのタイミングはともかくとしても、すくなくとも、TVシリーズの方は2017年から放映が始まっているので、もう少ししっかりと抑えておいてもよいとおもうのだが、どうだろう。

TVシリーズの最後のシーンで、旧アメリカ軍人でナチスのトップまで至ったジョン・スミス(原作にはない登場人物でTVシリーズでは重要な役割を演じる)、最後は主人公のジュリアナに「自分はこの道を選んだ」とのメッセージを残して自死するのだが、それだとたしかに自己決定を肯定するというアメリカ文化を肯定するようであるとおもえるが、彼のナチスに従い虐殺に加担したことを肯定してしまうことになると思えるのだが、まあ、よけいなお世話だろうが。

TVシリーズで「トラベラー」が何人か登場する。かれらは、危機的な状況になると、あるいは自己の意志で別の世界と行き来する事ができる。また、ナチスは科学技術によって「ニーベンベルトへの入り口」(タイムトンネル)を開発し、複数世界を侵略しようと企んでいる。とはいえ、多元宇宙と表現されて入るのだが、少なくともジョン・スミスとジュリアナが関わる世界は一致していて、不定の他世界にトラベルするわけではない。その世界は連合国が勝利を収めた世界なのだ。このあたりは、多元宇宙と言いつつもご都合主義的ではある。他の世界に飛んだジュリアナを暗殺すべく(あるいは、連れ帰るべく)ジョン・スミスは刺客を送り込むのだが、かれは、他の世界の別の生活をいとなんでいるが、ジュリアナを助けようとして、刺客により殺されてしまう。ナチスのアメリカ帝国の元帥となったジョンは自分の世界では不治の病のためナチスに淘汰された息子のトーマスが生きているもう一つの世界にでむく。その世界ではトーマスはベトナム戦争を闘うアメリカ合衆国の海兵隊に指板しようとしていた。

原作の小説内小説の『イナゴ身重く横たわる』では、ヒトラーは自殺しておらず、戦争裁判にかけれれている。歴史的人物の人名もあるが、我々の知っている現実世界とはもちろん違う。登場人物の一人、ジョー・チナデーラは、ナチスだが『イナゴ身重く横たわる』を良く読んでいる。彼によると、敗れたナチス・ドイツの国家社会主義は、連合国は同質の組合国家主義となっていて、戦後、世界各国を支援して経済復興を成し遂げている。世界を指導するのはイギリスのチャーチルで20年以上も政権を担っている。ジョーは、どっちが勝っても似たようなものだという。原作者ディックのペシミズム(あるいは、冷戦期における意識)が反映されているのだろう。

原作では原作者の生きた冷戦期を反映して水爆を利用しての日本への核攻撃をふくむレーヴェンツァーン(たんぽぽ)作戦に関わる情報戦が描かれる。

原作では、登場人物のひとりの古美術商のチルダンのやりとりから、モノのヒストリシティ(史実性)、あるモノは歴史的事件や人物に関わっているが、もう一つはそうではないというやりとりは興味深い。とすると、ヒストリシティをともなうものには価値が伴い、そうでないものにはモノとしての価値しかない。とはいえ、そのヒストリシティをどのように証明するのか?それを証明する書類一枚がその命運を分かつことになる。タイムトラベルものの作品にとって、価値とはなにか、事実とはなにかが重要なポイントなのだ。モノの価値は情報が決めると考えてよいのだろうか?また、チルダンと日本人顧客の梶浦との会話の中で、フランクの製作した装飾品についての会話もまた、モノと価値付けについてである。チルダンは芸術家であるフランクが作った装飾品を芸術品であるとして売りつけようとしているのだが(あるいは贈る)、梶浦に大量生産されたお守りのようなものだ決めつけられてしまう。最初から最後まで一人の作者によって手作り制作されたものであっても大量に出回れば、安っぽいものになってしまうというのだ。

モノだけではない。原作ではナチスと日本の虚実を包みこんだ関係性、ナチス政権内の権力闘争、送り込まれたスパイや密使などが重要なストーリーを構成するのだが、登場人物の価値観(何に重点を置いて行動しているか)は状況主義的に揺らぐ。人間性とは、あるいは、人間にとって生きる意味や価値はなにかが問われているように思える。

まあ、どっちが面白いかというと、ある種原作のいいとこ取りをして、原作者の名前のブースターも獲得したTVシリーズに゙軍配が上がるだろう。さらに、原作にはない映像(原作では小説内小説)、ナチスにより鉱山の坑道に作られたタイムトンネル(重要登場人物のジョン・スミスがこれを使って別世界に行く)、タイムトラベラー(TVシリーズでは旅人)も登用して、結構楽しめた。


2024-03-26 20:54:45 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「ブロードチャーチ」(Amazon Video Prime)

イギリスのITV制作のテレビシリーズでシーズン1が2013年、シーズン2が2015年、各1〜8エピソードで放映された。今回はAmazon Prime Videoで視聴した。

別の街で起訴にも持ち込んだものの無罪とされて最低の刑事との世評をうけたアレック・ハーディ警部補がブロードチャーチの町の警察署に赴任してくる。休暇をとって休暇明けには昇進すると信じていたエリー・ミラー部長刑事がその相棒となる。殺人などなかった町に起きたのがダニー少年の事件だった。自殺とも見えたが状況証拠からは、殺人とみなされる。
ブロードチャーチは小さな海岸の街で観光シーズンには観光客が訪れるが、オフシーズンには地元の人間だけの小さなコミュニティだった。住民誰もが他人に知られたくない秘密を抱えながらも息をつまらせながらも他人の視線を避けながら生活している。
シーズン1ではダニー少年の殺人事件の容疑者がエリーの夫である元救命士のジョーであったことが明らかになるが、逮捕までの過程や警察に拘留中に様々な不手際があり、また、関係者はそれぞれあかせない秘密を抱えている。また、アレックは以前の街での事件での不手際をお解決すべく、別件も個人的に負っている。
シーズン2は、ジョーを裁く陪審裁判で幕を開ける。法定での様々な登場人物の証言により、真実とはなにか揺らぎ始める。一方、アレックの別件の捜査は次第に展開し始める。シーズン2の最終回(エピソード8)では両方の事件の結末が待っている。さて・・・といったところだ。

いやー、陪審員裁判は難しいことがわかる。警察の証拠調べもさまざまな厳密さが求められるはずだが、そこは人間がやることなのでドラマの上でのケースだとは思いたいが、現実にはさまざまな手抜かりや齟齬があって、有罪が無罪にあるいはその逆になってしまうことが予想される。このドラマを見る限り、「推定無罪」に向けて陪審員がうごくのだが、かといって、有罪を無罪としてしまう可能性も否定できない。とはいえ、やはり、そうした方向のほうが冤罪をなくすといういみでも、そして、人間は様々な間違いを犯すものという前提で司法手続きが進められることは望ましいとも言える。
以前、1度だけ裁判を傍聴したことがある(2009年12月27日)が、日本では陪審員裁判とはいわず、裁判員裁判とよぶ。歴史も制度も異なるので一概には言えないものの、その時の感想を記したものがあるので、以下にそのリンクを付けておく

裁判員裁判傍聴記(1)
裁判員裁判傍聴記(2)

[追記]このシリーズは2つの事件の解決へのプロセスが並行して起きる様子が描かれているのだが、最終回で陪審員裁判が無罪と決したあと被害者や加害者に親しかった人々が私的制裁かと思えるような行動にでる。無罪判決を受けて放免されたジョーをとらえて、小さなコミュニティとしての決定を告げる。街をで行くこと、用意しておいた更生施設に入ることである。アメリカ西部や南部での私的制裁(リンチ)で絞首するシーンをよくみたが、このシーンは殺しはしないもののコミュニティから追放し更生施設に送るのでいわば社会的な死刑(追放すること)ではある。日本での「村八分」と同じである(村八分は葬式と火事での支援を除く関係を除くことであった)。このシリーズでのコミュニティの結論は残る人々による浄化を結論づけるということであったが、かといって、コミュニティのその後がどのようなものになるのかがわからない。息苦しく秘密を守りながら他者と付き合いを続けるということなのだろうか、それとも、コミュニティはなにか変わるのだろうか?


 

2024-02-28 16:12:41 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「刑事シンクレア シャーウッドの事件(字幕版)」

Amazon Prime Video、原題「Sherwood」(BBC制作の6回のTVシリーズ(2022年))
物語は1984-85年の中部イングランドでの炭鉱争議を背景にしているのだが、同時代での出来事とはいえよく知らなかった。サッチャーのネオリベ政策のあらましは知っていても、詳細についても知っておくべきだと思った次第だ。まずは、このTVシリーズの背景をまずふり返ることにしたい。
イギリスの産業革命を可能にしたのはブリテン島各地の炭鉱から掘り出される石炭だった。もちろん、石炭はローマ時代から利用されていし、産業革命とつながったのは石炭を燃料とする動力革命(蒸気機関が生み出されたこと)と木炭製鉄に変わる石炭製鉄による鉄鋼産業がこれに合わさったことによるので、もちろん石炭採鉱だけが産業革命の原点だなどということはない。そうではなくて、膨大な石炭が多数の労働者の手により石炭は掘り出され、多くの人々がこの産業に携わってきたその挙げ句の果てにのちに述べるサッチャーのネオリベ政策によって人々は人生の行方を失った。それだけでなく、残念なことに、サッチャリズムがその後のイギリスを救ったわけではなく、元炭鉱町の人々は廃坑のあと様々な産業に転職して生業を立てつつも、かといってその地域の新たな未来を見出すことができたわけではないということなのだ。
「刑事シンクレア シャーウッドの事件」というBBCのTVシリーズの舞台となっているのはブリテン島の中部のノッティンガムから北方のシャーウッドの森にかけての地域だ。ロビンフッドの「シャーウッドの森」は記憶にあるだろう。また、ひょっとするとバイロンの邸宅の「ニューステッド・アビー」もこの地域にある(物語に登場する)。このTVシリーズでは、本人の意図とは全く別にある種の「狂言回し」のように物語の根っこを掘り起こすことになる若者スコットがクロスボウ(ボウガン)やアーチェリーを持って殺人や傷害事件を起こして、「シャーウッドの森」のなかを逃げ回る。
さて、ノッティンガム近郊の元炭鉱町では未だに1984−85年の労働争議の波紋を引きずっていた。炭鉱労組の指示に従いストライキを打った者と「スト破り」をやった者たちの反目だ。具体的に暴力事件にまでには至らないにしても、酒場でのいざこざは日常茶飯事のように起こる。そうした中、ストライキ派のゲーリーが夜半クロスボウで射殺され、翌朝路上で死体として発見される。ゲーリーは30年以上も前の労働争議の主導者の一人で労働争議のスト破りへのバリケード(警官に排除される)、当日おきた警察関連車両の車庫への放火殺人事件の当事者として逮捕された。放火殺人については、結果としては誤認逮捕と認められたものの焦点となる人物だった。ゲーリーは、一方の当事者であり、その後も長く、スト破りをした人々との半目でもハイライトを浴びる人物だった。くわえて、労働争議の際警察が送り込んだ覆面警官(スパイ)探しを行っていた。
ゲーリーの殺人事件は犯人不明のまま、町の人々はこれは労働争議の遺恨によるものではないかと疑心暗鬼にとらわれることになる。ノッティンガム署の警視イアンもまた、争議当時の当事者の一人であって、町の人々の不穏な動きを意識しつつ事件の背景が歴史的なものによるとの考えに囚われていた。当時、スコットランドヤードはスト破りのために大勢の警官を労働に従事する労働者を守るという名目で送り込んでいた。ケヴィンという現在スコットランドヤードの警部補もまたその一人だった。イアンは、ゲーリーの履歴の文書の中に黒塗りの部分をみつけ、ロンドンに照会する。スコットランドヤードの警視総監は、事情説明および捜査支援のために当事者のひとりでもあったケヴィンをノッティンガムに送り込む。イアンとケヴィンはもちろん旧知の仲で、ともに労働争議の際の若手警官としてスト対策に従事していた。実はケヴィンは、地元の女性と恋仲になっていて、逢引のために車庫の警備の現場から離れ、結果として放火事件を誘発した責任者であり、イアンはケヴィンを尋問し地元の女性のことも意識して調書の内容を和らげていた。それだけでなく、放火事件はイアンの父(炭鉱労働者)が関わっており、イアンは警官としての義務から彼らのアリバイがないことを上司に伝える羽目になっていたし、警官であった弟は父を助けようと火の中に飛び込みやけどで重症を負っていた。イアンもまた、この労働争議がもつ地域社会への多大なる影響を否が応でも強く意識せざるを得ない人物でもあったのだ。
犯人スコットの殺害動機は労働争議の遺恨ではなかった。ストライキの首謀者であり、廃坑のあと失業したにも関わらずストライキや労働組合へのアイデンティティをなくさないゲーリーに対して未来のない引きこもりの自分自身を誇示するために事件を引き起こすことを選択したのだった。この物語はもちろん警察ものではあるのだがそれだけではなく、イギリスの持つ問題点をえぐり出していた。じつは、石炭産業の栄光と衰退も、労働運動の盛り上がりも、ゆりかごから墓場までの手厚い社会福祉政策も、また、ネオリベラリズム(小さな政府を目指したサッチャリズム屋その後のブレア労働党政権の動きもふくむ)も、歴史の流れの一部に過ぎず、覇権は産業革命から現在に至るまでもシティの金融資本主義にあったというイギリスの社会や経済の暗部や人々のアイデンティティや生き様を深く描いていてとても興味深くみることができた。

 

2024-02-22 14:25:01 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「トップ・オブ・ザ・レイク チャイナ・ガール(字幕版)」(Amazon Prime Video)

ジェーン・カンピオン監督の「トップ・オブ・ザ・レイク」第2作(2017年、エピソード1−6)。ロビンは結婚するはずだったジョナを捨て前作から5年後、娘メアリーの住むシドニーにやってきて、シドニーのイースト・コースト署(ボンダイ・ビーチちかく)に部長刑事として務めることになる(オーストラリア人とニュージーランド人はどちらの国でも就労できるグリーンカードが付与されているパスポートのはず)。ロビンにはミランダという長身の女性警官がアシスタントとしてつけられる。メアリーは養母のジョアンナ(なんとまあ、ニコール・キッドマン)(彼女は、レズビアンの女性と暮らすようになっている)と折り合いが悪い。メアリーは17歳だがプスというドイツ系の中年男の虜になってしまっている。プスは既婚者で妻子がいて、メアリーは妻子の店でプスにであう。プス自身は「シルク41」というアジア系の女性を集める売春宿に階下を貸して、階上に住んでいる。彼の哲学では、植民地主義の犠牲となり、いまだ性的に搾取されている女性たちを助けているという。彼女らは10代から20代前半のアジア系の女性で、メアリーも彼女たちとプスの家で親しくしている。
ある日ボンダイ・ビーチにスーツケースに入れられた長髪のアジア系女性の絞殺死体が打ち上げられる。ロビンとミランダはこの事件を担当する。司法解剖の結果、彼女は妊娠しており、DNA鑑定の結果、彼女の遺伝子を受け継いでおらず、代理母であったことが明らかになる。ミランダは自分も妊娠していると打ち明けるが、実際には妊娠を装っているだけで代理母の出産を待っている。彼女は上司の妻子持ちのエイドリアン警部と付き合っており、代理母を利用して子供を持とうとしていた。オーストラリアでは代理母出産は違法とされていて、公式にはありえないはずだがロビンは不妊治療のクリニックに聴取に出かける。そこは、ミランダとエイドリアンが利用したクリニックで、受付のピクシーが斡旋して代理母出産をコーディネートしていた。もちろん、その背後にはプスと売春宿「シルク41」が関わっていた。
ストーリーはこれ以上追わないが、この作品の隠された意図が気になるところだ。登場人物のプスは最後のエピソードで、ビデオメッセージを残して妊娠した女性たちとともにタイに飛び立つ。娘のメアリーは、空港まで行動をともにしていたが気がついて家に戻るのだけれど。そのメッセージとは、先程の植民地批判の続きで、遺伝子ジャックをして、彼女らはタイに戻って出産して子供を育てるのかそれとも、身代金を狙うのか、それは、シーズン2に続くということなのか?謎めいている。

 



2024-02-13 21:51:01 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「ピアノ・レッスン(原題:The Piano)」(Amazon Prime Video)

ピアノ・レッスン(原題:The Piano)
ジェーン・カンピオン制作・監督の作品(1993年)。声が出せずピアノで表現するエイダは娘フローラを連れてニュージーランドに住むスチュアートのもとに再婚する。ニュージーランドの浜に上陸するが、ピアノは運べないと置き去りにされてしまう。エイダは現地のマオリとともに暮らすベインズに頼んで、浜にピアノを弾きにかよう。やがてベインズはピアノを自分の家に運び、エイダに黒鍵の数だけピアノ・レッスンをしてくれたら、ピアノを返すという。実際にはピアノを触ること亡く聞いているだけだったが、エイダ自身に惚れ込んでしまっていた。彼女ははじめは文字も読めないマオリと同化するように暮らす彼を嫌っていたがやがてほだされて愛を交わすようになる。夫スチュアートの知ることとなり、ベインズに合うことが禁じられるが、鍵盤一本にメッセージを託してフローラに届けるように言う。しかしフローラはスチュアートのもとにこれを届け、怒り狂ったスチュアートはエイダの右手の人差し指を斧で切り取り、フローラにベインズに届けるように言う。しかしスチュアートはエイダの瞳にベインズへの思いを読み取って二人にここを去るように言う。ベインズはマオリのカヌーにピアノも乗せて船を出すが、マオリたちは棺桶みたいだ海に葬ろうという。エイダも(おそらく指を切り取られたのでピアノを断念して)同意する。ピアノは海に投げ込まれるがカヌーに縛り付けていたはずのロープがエイダの足に絡まり海中深く引きずり込まれてしまう。必死で靴を脱いで脱出する。かれらは、北の街で暮らし始め、ベインズは金属製の義指をプレゼントし、再びピアノを引けるようになり、自分で言葉を発しようとトレーニングをはじめたという、最後はハッピーエンドに合わった。物語の語り手はフローラで、作中の演技もあって第66回アカデミー助演女優賞を受賞している。
ニュージーランドが舞台となりマオリも描かれるとあって見なくてはと思いつつ、放っておいたままだった。19世紀の白人の開拓期のマオリが、銃や毛布と引き換えに土地を引き渡すというシーンが有り、実際にそのような交換によってマオリは土地を奪われてゆき、苦難の末20世紀後半に入りマオリ・ルネッサンスなどマオリ文化の復権が行われている。作中では、マオリらしさは入れ墨とカヌーに象徴させているのだが映画作品そのものはニュージーランドやマオリを背景にする必要が乏しいように思えるが、原作は1920年に発表されたニュージーランド人の女性作家の小説をふまえたということなのだろう。

 

2024-02-11 16:48:42 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「トップ・オブ・ザ・レイク:消えた少女」(Amazon Prime Video)

トップ・オブ・ザ・レイク:消えた少女
ジェーン・カンピオン監督のニュージーランド・オーストラリア合同作品。Amazon Prime Videoで見た。
30年以上前に行った南島のクイーンズタウンあたりの風景、懐かしく思い出すが、雄大な風景とは違ってなんともドロドロした人間関係の物語だった。
主人公のロビンは、15歳のときに複数の男にレイプされカトリックの母親により妊娠出産し、その後、オークランドで性犯罪担当の刑事になったが、末期がんの母親のところに長期休暇で帰宅する。街の影の有力者のマットの養女で12歳のトゥイが湖に入ろうとしたところを見つけるが何も話さず、姿を消す。しかし彼女は妊娠4ヶ月だった。警察署の部長刑事アルは、非行少年少女の構成のためのバリスタ養成すると称するカフェの世話もしているが、マットと関係があるらしい。バリスタの資格を取った少年少女たちは左手にNO、右手にYESと書いていて、それを示して返答する以外、最小限のことしか話さない。幼馴染で恋人だったマットの息子のジョナとロビンは縁を取り戻すが、ジョナはマットのもとを離れてテント生活をしている。彼はロビンに彼女がレイプされたときにそばにいた事を告白する。さらに、マットはロビンの母親と寝たことがあり、娘だという。トゥイは森の中で一人で出産し、マットとジョナをショットガンで撃ち、ロビンとともに女たちのパラダイスに帰ってくる。マットは麻薬を密造して売りさばき稼いでいた。ロビンは少女たちを助けるためにアルを撃ち助け出す。
フェミニスト?のカンピオンの描く世界観が表現されているというべきか。

以下のリンク、正確な情報が表示されない。修正はしたものの・・・
 

2024-02-10 21:05:46 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「シェクスピアの庭(字幕版)」

ロンドンのクローブ劇場が炎上し、筆を折って故郷のストラットフォード・アポン・エイボンに帰ったウィリアム・シェイクスピアの亡くなるまでの3年間の物語。20年もロンドンで活躍しほとんど帰郷しなかったウィリアムは、妻と娘二人との距離感を味わう。家長として働き金を送り家を支えたという自負があるが、彼が帰郷したのは幼くしてなくした息子ハムネットを悼むために庭をつくるためだった。息子の書いた師をほめたたえるウィリアム。だが、謎が隠されていた。妹のジュリアの詩を書き取ったのは文字が書けた息子だったに違いないが、詩作したのはジュリアだった。疫病で死んだことになっていたがレジスターで疫病の年ではなかったことを知る。疫病の年には草刈り鎌で草が刈られるように大勢がまとまって死ぬが、そうでない年には短剣で刺されるように少数が死ぬ。息子の死んだ年は疫病の年ではなかったが、妻のアンは疫病のせいだったといいはる。しかし、ジュリアが真実を告白する。

作品の各所でシェイクスピアの作品が引用されて台詞となってでてくる。14歳で学校をはなれ旅行することもなかったのになぜ、様々なことを知り作品に書くのかと訪ねてきた若者に問われるが、すべて、自分から出てきた真実であると答えるウィリアム。本作品の原題は「All is True」でこのシーンが一つの焦点であろうが、同時にウィリアムの真実がすべての真実ではなく、家族それぞれにはそれぞれの、村人にも、そして、世界中の人々にも真実があるということだ。

ウィリアムが亡くなり、追悼文を文字を読み書きできなかったアン、続いて二人の娘が読んでいくシーンで幕を閉じる。


 

2024-01-25 17:17:37 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「愛と死の間で(Dead Again)(字幕版)」

ケネス・ブラナー監督・主演の1991年の映画。1940年代後半、ピアニストの妻マーガレットを殺したとして死刑判決を受けて処刑された作曲家ローマン、その二人の前世を記憶に持つ、マイクとグレース。しかし、ケネス・ブラナーはローマンとマイクの二役、エマ・トンプソンはマーガレットとグレースの二役。しかも現実でも、撮影と放映当時はケネスとエマは夫婦、しかも後に離婚、現実と作品は絡み合い、意味深。真犯人はだれか!凝った映像と象徴的な道具立ての数々、見ごたえがあった。


 

2024-01-21 16:15:03 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「ベルファスト(字幕版)」

ケネス・ブラナーの自伝的作品という、オスカーの脚本賞(2022年)の作品。1960年代の北アイルランド紛争を背景にプロテスタントとカトリックの抗争の中で育ったバディ少年を主人公に描く。懐メロが流れ、モノクロのシーンは美しく懐かしい。

最後近くのシーンで、バディ少年がガールフレンドに別れを告げたとき、不起訴ってくれた父に、「あの子はカトリックだけどいつか結婚できるよね」と問いかけ、父は、「たとえ、ヒンズーであろうと、反キリスト者であろうと、お互い寛容であれば、親戚づきあいできるだろう。告解しなければならないのは、ちょっと問題だな」と冗談交じりにバディにつげる。

ベルファストの街でともに暮らしていたプロテスタントとカトリックに裂け目をもたらし暴力を呼び込んだのはなにか、それについての突っ込みはよわいが、ノスタルジアに溢れた作品だった。そして、ラストシーンのメッセージ、「残った者、去った者、そして失われた者」に捧げられる。

 

2024-01-20 13:55:43 | 映画/TV/DVD | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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